2017年2月9日木曜日

お前の仕事はなんや その3

 美大で勉強してきたあなたは、自宅で絵画教室を開いています。
 この2月、近くに住む小学生の男の子が母親に連れられやってきました。お絵かきが好きというこの子は、しかし初めて見る絵描きの部屋にひどく緊張しています。石膏デッサンなんかやらせた日には今にも泣いちゃいそうです。まずは彼の緊張をほぐそうと、あなたは考えました。
 「ワンピース、描こっか」
 あなたは一枚の裏紙に鉛筆でルフィを描きました。みるみる彼の目が驚きに満ちてきました。すると、そこに知らない番号から一本の電話が入りました。
 「どちらさまですか」
 「集英社です。いまあなたルフィ描きましたね。作品使用料をお支払いください」

 このように他の業種に当てはめ喩えてみると、わたしたち音楽の世界というのは、尾籠ながらずいぶんとケツの穴の小さいものです。あちらの業界はビッグサイトを貸し切って二次創作の祭典すら催してますものね。もちろん細かい話を言えばいろいろなことがいろいろとありますけれども、あれが成り立っていること自体、健全だなあ、と羨ましくなります。
 
 我々の世界にだって、たとえば変奏曲という二次創作の伝統があります。
 ウォルトンの『ヒンデミットの主題による変奏曲』も、ベートーヴェンの『ディアベリの主題による変奏曲op.120』も、これらは同時代の作家による同時代の作家の主題による変奏曲ですが、クララ・シューマンが『ロベルト・シューマンの主題による変奏曲op.20』を書くときには、たとえ夫婦間といえども、JASRACを通さないといろいろ厄介なことになるのでしょう。
 コミケで長蛇の列を作っているリストの『パガニーニによる大練習曲』も、『ラ・カンパネラ』に至ってはもはや原作の協奏曲より人気ありますけど、アウトでしょうね。
 当時は当時のあり方があって、今は今のあり方がある。とは言っても、今の我々は当時の彼らより不自由な環境を持っていることを認め、自覚する必要があるでしょう。

 今のあり方も、それはある時期のある必要によって生み出されたビジネスなので、それ自体が悪いものではないでしょう。善悪という単純な話ではないし、それは分けて考えなければなりませんが、わたしたちがもっと考えなければならなのは、ビッグサイトは黒山の人だかりで埋まっているという現況、パガニーニをいじり倒したリストは残っているという現状のほうです。これらを鑑み、音楽の今のあり方は明日のあり方にふさわしいものなのか、考えなければなりません。

 お前の仕事はなんや、という問いは、自分たちの仕事が明確であってはじめて可能です。
 少年誌の作家というのは、電車のひと駅分の時間で即座に理解できる内容を書くこと、それを網棚に安心して捨てていけることを目指すと言います。そこに徹したから、かえって人々の印象に強く残るシーンをいくつも生むことができたわけです。もちろん音楽と単純に比較できることではありませんが、そうしたあり方から学べるところは我々も謙虚に学びたいものです。
 分配をすっぽかされ続けた僕がJASRACを叩くのもカンタンな話なんですけど、制度に依存してきたのもまた他ならぬ我々であって。少し時間はかかるかもしれませんが、頭をひねり続ければ、なにか、明日からのしばらくの期間にふさわしいあり方が見つかるかもしれません。
 面白いから、楽しいから我々も音楽をやってるわけで。その面白さや楽しさをもっと多くの人に届けるためにはどうすれば良いのか、考えていきましょう。
 この話、ひとまずおしまい。