作曲家と演奏家の視点は、どうしても違います。
音楽家の場合なら、視点ではなく「聴点」と言ったほうが良いのでしょうか。すでに出来上がっている楽譜を毎日見ている人と、何も書かれていない五線紙を毎日見ている人とでは、発想が違って当然です。演奏家という人は解釈が上手いなと思います。上手すぎることもあります。プリクラや「SNOW」で撮るように作曲家像を本人の2割増で盛ってくれると、それはそれでこちらとしてはありがたいんですが、あまりにも深く考えすぎて、考えなくても良いことまで考えてしまって先に進めずにいる若い演奏家などを見かけます。そのままで良いのに、と、思うわけです。
◇ゼロからトースターを作ってみた結果(新潮文庫)
トーマス・トウェイツ著 村井理子・訳
面白い本なので紹介します。
身の回りにありふれているのに、プラスチックをどうやって作るのか、僕たちは興味を持っていませんね。野菜売り場には大根を育てた練馬区の佐藤さんの顔写真が置かれているのに、プラスチック製品の隣に原油を掘っているカタールのアフマドさんの顔写真が飾られていることは、たしかに無いです。この本を音楽の人が脳内で翻訳しながら読めば、作曲家の側と演奏家の側の視点の違いというか、作曲に対する「誤解」を少しクリアにできるかもです。
人の目に真っ先に入るのはきれいに作られた製品のほうだから、地中の奥底にある黒々とした原油のことは想像しがたい。僕は毎日聴いてますけどね、黒々とした原油。「きれいー」「かわいいー」の声を聞きながら、それもこれも元は黒くて臭い物質なんだぜ?って、心ひそかに思います。
それと、この表紙のトースターみたいになっているアレンジをみかけて、あわわわわ、ってなることもしばしば。あなたはトースターでおいしくパンを焼いてお客さんに食わせてちょうだい。ヨゴレ仕事はこっちにまかせてちょうだい。って、心ひそかに思います。