2017年1月21日土曜日

演奏家のための和声のはなし(7)5度

 ハ調では、「レ」を根音とする和音にII度とドッペルドミナントがある。サブドミナントと説明されるが、長調のII度は短三和音、短調のII度は減三和音。ドッペルドミナントの場合はどちらも場合でも長三和音になる。
 ドッペルドミナントは字義の通りにV度調のV度を意味しており、属七の和音や属九の和音など、V度に積み重ねられる形の和音がそのままの形で使える。現代人にとっても最も馴染み深い「V度調の属九」の和音は、大ヒットした任天堂のテレビゲーム『スーパーマリオブラザーズ』の主題で、「ミミ、ミ、ドミ、|ソ」の最初の小節がそれだ。ハ長調の「ド」と「ミ」をこれで和声付けするのは、なかなか大胆で、面白い使い方だと思う。
 長調のII度はVI度調のIV度とも解釈できる。短調のII度は非常に特殊なものだ。そこに生じる減5度の分断がロマン派以前の音楽を特徴付けていると思われる。「レ」を半音下げ「レ♭」にして使うナポリのII度を、ラモーはIV度の変化した形だと説く。同様に、バスに「ファ」を置く第1転回形は(I度調の)IV度「ファ・ラ・ド」の「ド」が「レ」に持ち上がった形と捉える。よって、第3音「ファ」は重複させる配置が最良であるとの案内が、和声の初学者にはなされている。
 調性音楽では、根音を同じくした和音であっても、II度とドッペルドミナントの根拠はあくまで異なるものではあるのだが、「ド」からの完全5度を並べ、I度とVI度というトニックの5度下はサブドミナントであるということを図式化すると、上の図のようになる。

 前回はリーマンのトーンネッツを観察したが、それはシューベルトやリストが先駆けた3度の扱い、「斜め」の角度をいっそう自由に使うための試みだったと言える。ゆえに、長3度と短3度がそれぞれに重視された。それとは逆に、斜めといってもそれはどれくらい手前なのか、どれくらい奥なのかを細かく規定しようと考え始める者もいた。ピタゴラス以来の歴史を誇る「五度圏」に、新たな光が当たる。
 先の図を、さらに5度ずつ伸ばし、上の図の順番通りにトニック、ドミナント、サブドミナントを割り振ると、右の図のようになる。この考えでは、「ミ」は「使い方によっては」などという優柔不断な文句を抜きにドミナントと規定される。「シ」が「根音省略形のV度1転」ではなくサブドミナントと規定されるのは、「ファ」にシャープをつければ理由がわかる。
 
 「ド」から見て短3度の関係にある「ラ」と「ミ♭」、増4度の関係にある「ファ♯」はトニックの機能を持つと規定される。「ド」と「ファ♯」を繋ぐ軸を一次軸、「ラ」と「ミ♭」を繋ぐ軸を二次軸という。同じ要領でドミナント、サブドミナントを繋ぐと、左のような図になる。レンドヴァイ『バルトークの作曲技法』(全音楽譜出版社1978年)で説明されている「中心軸システム」というのがこれで、本の題名のとおり、バルトークが彼の作品中でこれを推し進めた。
 ここでは「ド」を主調の主音とした場合の話をしているので、「ソ」が主調の主音になった場合は、左の図のDをTに、TをSに、SをDにずらせば良い。「ファ」の場合は3つの円を右に30度ずらせば良い。
 
 祖国の英雄にリストを戴くバルトークであるから(リストの名付けた「ハンガリー風」には「部分的にしか彼を責められない」と、やんわりと断りを入れているけれども)リストが示した角度の付け方を、彼なりの方法で受け継ぐために、彼は5度と3度の扱いをいっそう厳密化した。たとえば同じIII度でも、主音から見て長3度上のIII度なのか、それとも短3度上のIII度なのかで角度はまったく違うものだと細かく聴き分けた。根音そのものにこれらの機能を求めるため長三和音や短三和音での区別は無い。「ド」を根音として「ミ」と「ミ♭」を同時に鳴らすような「dur=moll」の形も現れる。それでも、機能の強化に意図があって、機能からの逸脱ではない。「いままでの音楽と同じように書くため」というシェーンベルクと、少し角度は違うかもしれないが、同じ方向に顔を向けている。 


 バルトークは、和声だけでなく主題のつくりにも細かい配慮が見られる。左に『弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽』第1楽章の冒頭を示した。このフーガ主題は休符を挟み4つのグループに分けられている。3番目と4番目のグループは、拍子は違うけれども、同じ音型が半音下に移置されたものだ。譜例には半音を「1」として隣り合った音の音程関係を記した。1番目のグループで「シ♭、ド♯、ド、シ」と現れる「3、1、1」の音程が、2番目のグループには2つ、3番目と4番目のグループにも1つずつ現れている。1番目のグループでは「上、下、下」と進むそれが、2番目のグループでは「上、上、上」「下、下、下」となり、3番目4番目では再び「上、下、下」となる。そこには新たな音程「2」が現れているのが確認できる。
 2番目のグループ以降、頂点の音と、そこから降りていく最後の音の間が完全4度になっている。半音を「1」とする上の言い方を使えば、完全4度は「5」だ。この「5」の間隔、上から下に到達するまでの間隔が少しずつ伸びていくのがわかる。


 1番目のグループを数えると5音ある。2番目は8音ある。3番目と4番目を合わせると(最後の「シ♭」はアウフタクトなので、これを除き)13音。2番目以降、2小節目アウフタクトの「ラ」と5小節目頭の「ラ」に囲まれた「シ♭」から「シ♭」までは21音。拍子を見れば8拍子、12拍子、8拍子、7拍子。アウフタクトの分を考慮に入れて、これを足すと合計34拍子。1、1、2、3、5、8、13、21、34。フィボナッチ数列だ。これは形式にも適用されて、クライマックスが55小節目にあり、全体は89小節で閉じられる。それぞれ13や21といった小節数で区切られている。便宜のために各部にアルファベットを振った。


 aがフーガの提示、bが推移、cで弦楽器の弱音器が外されティンパニのロールが加わり、dのクライマックス。eでまた弦楽器に弱音器がつけられ、fにチェレスタのアルペジオ、gで閉じられる。主題最初が「ラ」の弱奏、クライマックスのが「ミ♭」の強奏、曲の最後が「ラ」の弱奏。先の中心軸でちょうど結ばれる増4度=減5度がある。以降の楽章も、第2楽章が「ド、ファ♯、ド」、第3楽章が「ファ♯、ド、ファ♯」、第4楽章が「ラ、ミ♭、ラ」と、先の図のトニックの円を見ていただければ、そこにこの作品の構成を見ることができる。


 こうしたバルトークの発想には先駆者がいて、フィレンツェ大聖堂の落成式(1436年)のためにデュファイが書いた『ばらは新しく』は、第1の部分が6拍子で168拍、第2部分が4拍子で112拍、第3部分が2拍子で56拍、第4部分が3拍子で84拍。6:4:2:3の比率が、ちょうどこの建築物の構造を模したものになっている。「機能」の折に説明に用いた立方体を使って、デュファイ氏が建てたもう一つの大聖堂を、少々乱暴に図式化した。上下の完全5度を用いて立体的に描けるようにもなり、現代で喩えればVRのようなものを目指した、と言えば、彼の意図も伝わるだろう。
 
 よく抱かれる疑問として、そうした構造は聴き取れるものなのか、ということがある。バルトークならフィボナッチ数を知っている前提で小節数を数えなければそれに気づけない。しかも変拍子だ。これはひどく難しいというより不可能だと思う。それは作曲家のエゴではないのか、と思う方もいるかもしれない。しかし、作曲家が聴いて欲しいのは、もちろん音であって、音楽である。デュファイは大聖堂を讃えるために曲を書いた。そこに彼の美の基準がある。フィボナッチ数列はオウム貝の貝殻、ひまわりの種の分布、松ぼっくりなどの有機物に見られる。バルトークは自然に美の基準を置いていた。自然のように美しいものを書きたいと願った。彼はひまわりの花を愛し、デスクには常に松ぼっくりを置き、手にとってしげしげと眺めていたそうである。
 彼は自国の農民の民謡を収集していたことでも知られるが、そうした民謡もまた人間が生み出した有機物として、ひまわりや松ぼっくりのような構造を持っていることに注目した。演奏家がバルトークから汲み取り表現すべきものは、そこにある。『弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽』の主題も、つねに伸びていく余地が残されていて、まるで蔦が成長していく様を見るかのようだ。
 数字ということに少し触れた。次回も数字について触れる。(続く)