2017年1月19日木曜日

演奏家のための和声のはなし(4)記号

 「和声を教えてほしいんです」と、酒の席でとある若者から相談を受けた。
 「1や2で習っていたものが、次の学年から4や6になったので意味がわからなくなった」とこぼしていた。これは転回形の話題である。「ドミソとミソドは違うものとして聴こえているでしょう?」と慰めその場をごまかしたが、彼も酒を飲んでいる僕に相談するべきではなかった。
 それらは所詮、ただの記号に過ぎない。それ自体に意味があるわけでもない。「なぜ赤信号は赤である必要があるのか」と質問されても答えようがないのと同じことだが、彼にとってはパリサイ人のパン種のような話に見えるのだろう。いま少し辛抱してもらいたいものと思う。
 芸大では林達也著『新しい和声─理論と聴感覚の統合』(アルテスパブリッシング2015年)に教科書が改められたと聞くが、この影響がどのように顕れるのか、わからない。当時の作曲科学生の例に漏れず「芸大和声」として知られる島岡譲執筆責任『和声 理論と実習』(音楽之友社)を僕は学んだが、ひととおりのことを出来るようになろうという人には、あの3巻本は非常にスマートであると思う。受験の頃にはさんざん呪詛の言葉を吐いたが、そう思う。合理的である。しばしば合理的に過ぎる面もある。残念ながら、音楽を志そうという人が誰しも合理的であるとは限らない。
 そうして、「準固有V度調属9根音省略形体下方変位第2転回形」などという和音を前にして、先の若者のような学生が、毎年、頭を抱えることになる。

 僕が音大に入っていちばん驚いたことは、島岡譲先生がまだ生きていたことだった。
 無礼を承知で書くけれど、生きているとは知らなかった。というのも、あの本の執筆陣がすでに亡くなった作曲家ばかりなので、そうだとばかり思っていた。三善晃、佐藤真氏はまだ生きているから表紙の下のほうに名前があるのだとばかり思っていた。ところが先生は元気そのもので、作曲科の学生の前でお酒が入ると戦争の話をした。
 いわく、先生は戦闘機のエンジン音を聞き取る任務についていたらしい。
 「小高い丘に登って聞くんですよ。これを面白いことに『聴音』って言ってね…」
 平成の御代に入ってもなおテンション高く軍隊時代のことを喋れるのだから、先生は自分の任務に相当のプライドを持っていたに違いなかった。
 「…耳を澄ますとね、聞こえるんですよ。『ブーン』っていってね、僕なんかは耳が良いほうだったから自軍と敵軍のエンジンの音が聞き分けられるんですよ、それで、これは敵軍だ! 来襲だ! ってね、伝えるんですね。でもそのまま伝えたら筒抜けだから、暗号でやりとりするんです」
 僕は合点がいった。むべなるかなと思った次第である。
 準固有V度調属9根音省略形体下方変位第2転回形という、文面に起こせば23文字も消費する概念をひとつの記号で示してしまえる合理性は先の大戦で鍛えられたのである。僕に相談してきた若者はきっと合理的な人間ではない。おそらく戦争経験もない。彼の悩みは無理もないのだ。


 ゆえに、件の準固有V度調属9根音省略形体下方変位第2転回形は、彼には「増六の和音」であると説明したほうが良いだろう。いや、「ドイツの6」のほうが親切だろうか、それよりも実例を見せ「ここの和音だよ」と指を差すのが手っ取り早いに違いない。譜例にベートーヴェン(リスト編)交響曲第5番第2楽章、モーツァルトKv.332第1楽章の部分を示す。


 この譜例では、どちらも(部分的に)ハ長調になっている。それぞれの3小節目にある「ラ♭・ド・ミ♭・ファ♯」の和音がそれだ。仮に「ファ♯」を「ソ♭」と書けば変ニ長調のV度7、属七の和音そのものであるが、これはあくまで「ファ♯」と書く。「ラ♭」は下に向かう性質、「ファ♯」は上に向かう性質を持っている。どちらも「ソ」に向かうわけだ。「ミ♭」も本来ならば「レ」に向かう性質を持っているが、それをそのまま書いてしまうと「ラ♭-ミ♭」から「ソ-レ」という連続5度ができてしまう。

 ベートーヴェンの場合、I度の第2転回形を経由することによって連続5度を避けている。「ド」を保留し、「ミ♭」を「ミ」に移動。正しい書き方だ。しかしモーツァルトの場合は直接V度へと向かい、わざわざ連続5度を作っている。「モーツァルトの5度」というのはこれのことだ。例外的に許容されるという文面も時おり見かけるが、決して推奨されない。ベートーヴェンはティンパニまで加えて豪快にフォルティシモを鳴らし、モーツァルトはさりげなく通り過ぎるが、こと増六の扱いに限っては、モーツァルトのほうがいっそう大胆だったと言うことが出来る。自称変態より一見真面目にしている人の中身のほうが変態だった、というような話だ。
 ちなみに、学生時代にこれを書いたら、「モーツァルトだけに許されることです」と和声の小河原美子先生に満面の微笑みで書き直しを命じられた。良い思い出である。


 別の国の作家の使用例も見てみよう。サン=サーンスが死の年に書いた『クラリネット・ソナタ』第4楽章、右の譜例では上段4小節目の最後に「ド♭・ラ」の増六がある。ここまでは普通なのだが、面白いのは、その次の小節からクラリネットがこれを受け継ぎ(増六の転回形である)減3度を生のまま旋律線にすることだ。古典的なフォルムを持つこの曲が急に不思議な響きを出しはじめる。彼はすでにドビュッシーをあの世に見送っているが、後輩たちの書いていた全音音階を、もしかしたら彼はこう聴いていたのかもしれない。


 「上に向かう性質」「下に向かう性質」と先に書いたが、これらは限定進行音と呼ばれている。もっとも馴染み深いそれは導音で、主音に向かう。
 和声の実習ではいろいろと覚えることがあるけれども、演奏に際しては「水の低きに就く如し」と同じ要領で思えば良い。上にあるものは落ちるのだ。属七の和音は第4〜7倍音の4音を重ねたものとも受け取れる。自然倍音の場合、第7倍音のピッチは非常に低い。ゆえに強く下に向かおうとする。ピアノのように調律の定まった楽器であっても、奏者の耳のなかでこの音程を低く聴けば、不思議なことに、そのようになる。良い奏者はそういう色味を見せるのが上手い。
 音楽は仮想世界の建築であるから重力に逆らうことだって可能だ。半音下がる導音や、半音上がる属七の第7音は、しばしば見受けられる。第7音を下げも上げもせず保留させ別軸の調に向かわせるような手段をフォーレが『舟歌』などのピアノ曲で試みている。腕利きの作家らしい書法だが、そういう箇所の聴覚はたやすく迷子になるので、奏者の集中力が試される。


 第3音が下方変位するのは、もっぱら同主短調からの借用で、それはそのまま下に向かう。第5音はしばしば上方変位する。フランツ・リストの常套手段だ。そのまま上に向かう。作曲家が振ったシャープやフラット、調号によってはダブルシャープとナチュラル、もしくはナチュラルとダブルフラットかもしれないが、それをそのままの意味で受け取ることによって、進行の意味合いには対処できるはずだ。
 減七の和音は、各構成音の進行を考えるよりも、調的な「ご破算」と言ったほうが実態に合う。右の例、シューベルト『ピアノ三重奏曲第2番』第4楽章では(この形はしつこく何度も出てくるけれども、この譜例の箇所では)減七を咬ませることでロ短調から減5度上の長調、へ長調に転調する。この大胆な遠隔調への転調は、いささか狡い。作曲者本人がフォルテシモを振っている通りに、聴衆を相手に猫騙しを仕掛けるのが良いだろう。

 「和声のはなし」と題して話を進めているし、和声で扱う和音は3音か4音、ときには5音が積み重なったものであるけれども、音楽を聴くとは音程関係を聴き取るという作業に尽きる。リゲティが『ムジカ・リチェルカータ』で極端に試みたように、非常に限られた音程であっても音楽は成立する。上のサン=サーンスの例も、2音もあれば音楽の性格の説明ができることを示している。
 機能の話題で完全5度には触れた。中心音の上下2度で説明する時代が200年あったことにも少し触れた。今回は増6度や減7度に触れた。次回は3度に触れる。(続く)