2017年1月20日金曜日

演奏家のための和声のはなし(5)3度

 長調にとっての平行調はVI度調だが、短調のそれはIII度調である。
 調号を同じくする調が平行調だ。ハ長調にとってはイ短調。イ短調にとっては、ハ長調。ソナタ形式では、長調の場合は属調で、短調の場合は平行調で第2主題を提示するのが定石とされる。よって、短調のソナタはIII度調に向かうはずだが、ベートーヴェンのピアノ・ソナタop.31-2はニ短調からV度調のイ短調に進み、ずっと暗いままである。定石とは何なのだろうか。


 『未完成』として有名なシューベルト交響曲第7番(世代のせいか、このナンバリングには未だに違和感が消えてくれない)はロ短調。定石通りに進むのであれば第2主題はニ長調で提示されるはずだが、「シ・レ・ファ♯」で終止したI度の第3音「レ」を軸にしてト長調に進む。ロ短調から見ればVI度調である。平行調であるニ長調の第2主題を聴くためには展開部後の再現部まで待たなければならない。いよいよ定石は定石なのかが疑わしくなってくる。
 ところで、III度調およびVI度調の共通点は、I度調から「3度」の関係にあるということだ。上に3度がIII度調、下に3度がVI度調。V度からVI度への進行は「偽終止」として和声の初学者にも馴染み深い。ハ長調の場合は「ド・ミ・ソ」と「ラ・ド・ミ」だが、主調の主音「ド」を共有できるのが大きい。以前にもバッハの例を示したが、右の例もそれと同様、ニ長調から準VI度調(同主短調のVI度調)である変ロ長調に向かうベートーヴェンop.18-5『弦楽四重奏曲第5番』第3楽章。主調の主音「レ」が共通しているのが確認できる。のだが、それより何より、直前のサーカス騒ぎに身を任せていると肩透かしを食らう。ボケ倒し、とでも表現したい箇所だ。彼の先達モーツァルトが晩年に書いた弦楽四重奏曲Kv.590の第4楽章の展開部も、準VI度の強奏から始まり、ひどく驚かされる。

 III度の場合、主調主和音の第3音、ハ長調の場合なら「ミ」を共有できる。リストの歌曲s.270a『平和は見つからず』の最後にI度-長和音のIII度-I度の連結を聴く。変イ長調で書かれている左の譜例の場合は「ド」が共通しているのが確認できるが、いったいこれは何終止と考えるのが妥当と思われるだろうか。


 リストの場合は単独の和音としての使用例だが、その先達として、シューベルト『未完成』第2楽章のいちばん最後に根拠を同じくする転調を見ることができる。ホ長調I度の第3音「ソ♯」を「ラ♭」で読み替え、長調のIII度調、変イ長調に向かう。機能というのは遠近法に対応しており、上下の完全5度によって手前を奥を示していると前に書いたが、手前と奥があるなら斜めもある。III度とVI度はその斜めに対応している。斜めは上下左右にあるように、上下の長3度、短3度、それらを根音にして得られる長三和音、短三和音と、バリエーションも豊かにある。
 ドミナント、サブドミナントの要領で、III度のメディアント、VI度のサブメディアントという言い方をそのまま用いても良いように思う。III度は特に「使われ方によってはトニック」「使われ方によってはドミナント」と、どっちつかずの説明がなされるけれども、これはこれ、と思った方が、いっそう作曲家の感覚にも沿う。のちに触れる「中心軸システム」の考え方では、上のリストとシューベルトの例を「VI度のV度」のドミナントで説明されるが、要するに、斜めだ。


 ところで、この『未完成』の、オーケストラでは第1ヴァイオリンが演奏している「シソミド」の線が3度で降りてきているだけのものであることに目を向けたい。この背景には何もない。木管で「ラ♭」が現れる際の「ミ-ラ♭」間の増5度に驚く。これを下行ではなく上行にすれば、「ある天使の思い出に」の異名を持つベルク『ヴァイオリン協奏曲』の、ソリストによって提示される12音音列に酷似している。この音列は調的な響きのするものとして知られるが、(「調的」という言葉の指す意味についての議論は、今は隅に避けておいて)まったく3度の集積で作られている。ヴァイオリンの開放弦ソ-レ-ラ-ミ(-シ)の完全5度の間に3度が埋められ、余りの3音で「シ」からの三全音が作られている。

 この曲の後半部分にはバッハのコラール『われ満ち足れり Es ist genug』が引用される。右に原曲を示した。ソプラノが歌う三全音とベルクの音列が呼応する。それにしても、このバッハの進行には、本当に合っているのだろうかと不安になる。


 3度の集積という音列を書いたベルクの発想と同じものを、ブラームス『交響曲第4番』冒頭にも探し求めることができる。ため息の漏れるような美しい弦合奏のメロディだが、これを下のように書き直すと、実は3度ずつ下がってから3度ずつ上るという、およそロマンのかけらもないシステマティックな方法で書かれているのが良くわかる。これはベルクの師シェーンベルクの著書『作曲の基礎技法』(山縣茂太郎、鴫原真一・訳 音楽之友社1998年)でも注意深く触れられていて、このような音程操作が彼の12音技法に甚大な影響を与えただろうことは想像に難くない。余談ながら、演奏に際して「シソミド」の「ミド」間を短6度で取ってしまっては、これを正しい音程で歌うことができない。長3度下で取った音程の1オクターヴ上を歌うのが良いだろう。


このブラームスの発想の父となった存在、ベルクから見れば祖父となった存在は、やはりベートーヴェンをおいて他にいない。クラシック音楽の代名詞ですらある交響曲第5番の冒頭は、3回の1度と、1回の3度だ。
 誰も疑いなくこれをハ短調と聴く今日の我々だが、ここは弦とクラリネットのユニゾンで、調を確定させている要素は何もない。「ファファファレ」まで聴いても、変ホ長調の可能性が残されている。この時点では、まだ何も決まっていない。要するに「3」であると言っているだけだ。これはメロディとは言えない。仮にそう呼ぶにしても、本来の概念からはひどく外れたものだ。一時期「3の倍数でアホになる」というのが流行ったが、少しそれに似ている。第2楽章では拍子も「3」になり、そのしばりは第「3」楽章まで続く。

 和声の学習者は、まず与えられた課題にI度なりV度なりと記号を振って、そこから連結を考えるという手順を踏むと思うが、それはそれで訓練の段階では意味のあることだけれども、作曲家は、そういう手順では曲を書かない。だいいち課題とはすでに出来上がっているものである。作曲家はその段階よりさらに前の作業をしている。つまり聴いているのだが、今回は3度という音程を聴く作曲家の姿を示した。5度と3度は、古典派・ロマン派の作曲家にとって、その時代が終わるまで、重要な音程であり続けた。次回以降、その展開を観察していく。(続く)