今までも何度か書いてきたが、僕の母は盲人である。
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全盲ではなく弱視である。白い杖と手帳を持っている。
戦争中に鼓膜が破れて、片耳も聞こえていない。
顔にくっつけるようにして本を読み、飲まれるかのようにテレビの前に座って、24時間テレビを見ては、おいおい泣いている。自分が障害者であることを忘れているようである。「めくらの子供なんて世間様にみっともない」と、幼少の頃は押入れに隠されて育ち、小説のモデルに口説かれるほど波瀾万丈の生涯を送ってきたが、今では埼玉の奥地で平穏無事に、毎日寝っ転がっている。
実の息子から見ても、まったく頑張ってはいない。
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母のおかげで僕も少し点字が読める。
どうしても眼で見てしまうが、そこに何が書いてあるのかはわかる。読むよりも書くほうがずっと楽だ。裏返しの紙を点字器と点筆でへこませていく。裏返しだから当然左右が逆になる。つまり盲人たちは文字を扱うとき、常日頃から右と左が逆さまになった世界を、同時に、同じ分量だけ味わっていることになる。これがどのように彼らの思考に影響を与えるものなのか、ちょっと興味がある。
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実の母を差別しても仕方ない。障害者はいつも僕の近くにいた。
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母の妹、つまり僕の叔母も、盲人である。
母と同じく弱視である。母が言うに、僕と性格が瓜二つだという。
10年ちかく前、ずいぶん年下の全盲の男性と結婚した。彼の熱烈な恋であったようだ。按摩で生計を立てるごく普通の盲人ふたりである。年が年だからこっ恥ずかしいと披露宴などは一切しなかった。が、申し訳程度に親近者で集まって、二人の新居で軽く食事をした。惚気話をさんざん聞かされて、僕のほうこそ、こっ恥ずかしかった。
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「あたしゃどう転んでも『方』って柄じゃあねえよ」
その会話のなかで叔母が語ったことが、印象深かった。
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「最近の若いあんちゃんたちのほうがよっぽどあたしらみたいなのにやさしいよ。
そりゃどっかで隠れて悪りいことしてんのかもしんねえけど。そんなんあたしゃどうでもいいよ。タバコ吸ってるなんて可愛いもんだ。それよりよっぽどジジババのほうがおっかねえから、こないだもどっかの知らねえクソジジイがいきなり『あんだこのめくら』って、こうだよ。さすがにカチンとくんな。
でも、最近の馬鹿っ丁寧な、ありゃあ、あんなんだかね。
こんなどうしょもねえのを目の不自由な『方』って言われっと、もう首とか背中とか痒くなっちまって。多摩の女は育ちが悪りいからよ、言葉が汚ねえで。『方』なんつってご大層に笑っちまうべなあ。あたしゃどう転んでも『方』って柄じゃあねえよ。つんぼはつんぼ、めくらはめくらでいいんだよ」
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それにしても我が叔母ながら、どうして彼は叔母に恋をしたのかが不思議になってくる。
しかし彼は叔母の脇で「でも僕には見えてますから」と、誠実そうに言うのである。僕は手で触ればなんでもわかります。だから結婚したんです。ああ、お熱いお熱い。
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つまり叔母が言うには、今の世の中、健常者による障害者の差別というものは、人々が思っているほどには多くないという。むしろ無さ過ぎるというか、過剰に無くそうとしすぎているようにも思えて「気色悪いくらいだわ」という。特に若い世代が障害者に優しくなったと僕の母も言う。杖を持っているだけで声をかけてくれる若者が多くなったと。「終戦直後なんざよく近所のガキどもに石投げられたもんだけどねえ」とサラリと言うが、むろん、これは無くなって良かったことだろう。
そういう意味では確実に、良い社会になってきているのだ。
しかしむしろ健常者とではなく、盲人社会のなかで、問題は起きるものだという。
叔母の結婚はまったく歓迎されなかったようで、噂が噂を呼んでいた。やれカネ目的だ。とんだ色きちがいだ。不純な動機を推測しては、こき落とす。どれも現物を知っていれば笑うしかないような話ばかりなのだが、ここで生まれた悪い噂は、都心で働く見ず知らずの人間までもが知るところとなった。
「あんだっつってもめくらってのは視野が狭めえからよ」と。素人には迂闊に手出しできない高等な洒落で、他ならぬ盲人の叔母は、これを表現していた。
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僕の母も噂されていた。
自由気ままにほっつき歩いて都心に住んでしまった母は、ワニを飼ったり鳩を飼ったり出来たてほやほやの二丁目のゲイバーで朝まで飲んだりしながら、いつのまにやら結婚し、実の妹と40年近くも連絡をとっていなかった。僕の母は行方不明だったのである。
実の妹が姉の居所を知らないなんてことはあり得ない。言えない事情があるのであろう。だからきっとどこかの妾になっているはずだ。ねえちゃんあたしゃさんざん言われたんだに。長年探し歩いていた叔母に、僕は心から同情した。息子である僕が断言するが、僕の母は、どう転んでも妾という柄ではない。
あまりの荒唐無稽さに、母もまた、腹をおさえて数分間もんどり打って笑っていた。
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しかし聞けば聞くほど、思えば思うほど、むずむずする話だ。
笑って済ませられるうちは問題ないが、噂はときに人を殺す。
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目に見えないところに真実はある。
そうなのかも知れない。しかし人はそのせいで「目に見えないからこそ真実である」と、よく勘違いをする。いま目に見えているものは何なのだろうか。ほんとうは、いま自分が手に触れているもの、手に触れることができるもの、その温度と肌触り、ただそれだけが、自分にとっての真実なのではあるまいか。なぜ僕たちは目に見えないものばかりを探し歩いているのだろうか。
「あんだっつってもめくらってのは視野が狭めえからよ」
ならば僕たちも、ひょっとしてめくらなのではあるまいか。
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「気が利かねえで悪りいやね」
夕刻を過ぎ、日は落ちて、部屋は暗かった。叔母夫婦は電気をつけなくても不便をしないのである。部屋が一気に眩しくなって目の奥が痛くなった。お茶の残りがようやく見えて僕にはありがたかったが、このときほど、電灯の音と熱と圧とを感じたことはなかった。
彼(つまり義理の叔父になったわけだ)は生まれながらの全盲であるから、生活に困ることはほとんど無い。知っている土地ならば歩くのも早い。なにもかも一人で難なくこなす。僕のような音楽家がわざわざ味方しなくたって、むしろ彼のほうが生活力もある。
ただ一番困るのは、紙幣が新しくなることだと叔母と口を揃えて言っていた。そこらの知らねえのひっ捕まえて「すみませんこれいくらでしょう」なあんて言うわけいかねえべ。そりゃそうだと思った。ことに、現行の紙幣は触り心地が悪く、手に覚えさせるまでたいそう難儀したらしい。前のお札はわかりやすかったと。今度新紙幣を発行する際には、ぜひ盲人の声も取り入れて頂きたい。
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顔を触らせてくれますか。
帰り際、彼は僕の顔に手を伸べた。頬と鼻、目や唇の位置を確かめて、「わかりました。ありがとうございます」と言った。彼にはもう、僕が見えているのだろう。