2014年3月7日金曜日

ほんとうの嘘

 作家とは正真正銘、本物の嘘つきなのだ。
 
 かぐや姫は本当に月に帰っていったのか。カルメンとホセは本当に刃傷沙汰を繰り広げたのか。孫悟空や亀仙人やピッコロや魔人ブウは本当に実在するのか。見てきたような嘘を作品にして、「この作品はフィクションです。実在の人名・団体・事件などには、いっさい関係ありません」と断った上で、読者や聴衆に渡すのが作家の仕事だ。根っからの大嘘つきである。
 しかし、それらを嘘だと罵る人など世界中どこを探してもいまい。すぐさま嘘と理解でき、しかも人々の共感を呼ぶ「すてきな嘘」「面白い嘘」でなければ、作家は評価されないのだ。
 マンガ、漫才師や芸人の舞台は言うに及ばず、虚構新聞が愛読され、楽器の弾けないゴールデンボンバーがエアバンドを名乗って音楽をしている。現代社会の我々も「嘘を楽しむ文化」とちゃんと心に保っている。大衆に深く根付いている。それは寛容性であり、社会の豊かさの証左だ。嘘つきは泥棒のはじまりという。瞬時にばれる嘘をつき、しかし騙して、人の心を盗むのである。そのために作家は肉に秘めたる虚構を一滴残らず作品に注ぎ込み、自分に厳しく、嘘偽りなく、上を向いて技術を磨き、どこまでも誠実に生きていかねばならぬのだ。なんと因果な商売であろう。
  
 今日の会見を見て、やはりイライラした。
 佐村河内氏に対してはもちろんのこと、マスコミに対してだ。
 
 新垣さんの会見から1ヶ月もあった。
 この騒動の問題点を何も考えていなかったのか。何もまとめていなかったのか。彼の聴力を確かめたところで何になる。あなたたちの今日の仕事は、どう評価しても最大で「少々耳の遠い50歳の変なおっさん」を社会にひとり生んだだけだ。そんなおっさん、僕にはまったく興味ない。
 おそらく、あなたたちの質問が違えば、彼の答えはそれに従って丸切り変わったことだろう。耳の問題を執拗につついて、耳の問題をこじらせたのだ。空気を読む国のマスコミならば「聴覚障害には該当しない」のペラ紙一枚ですべての空気を読むべきだった。
 責めどころさえ替えれば、この騒動から世間も教訓を受け取れたはずだ。
 だいいち、仮に彼の難聴を証明したところで、彼の行動は結局アウトである。
 いずれにせよ3年前から聞こえていたなら、あのドキュメンタリー番組の「全聾」は嘘である。作曲に行き詰まって壁に頭をぶつけたり、海に入ったり。これらはもちろんすべて嘘である。結局のところ、目の前にある美味しそうな嘘にとびつき喜んでともに生産していたに過ぎない者たちが、こぞって50歳の変なおっさんひとりをいたぶりなぶったところで何になる。「被災地への思いは本物でした」と変なおっさんに言わせて被災地が喜ぶとでも思っているのか。
 要するに、あのおっさんを壁際に追い詰め遊んでいただけだ。面倒くさい問題の責任をひとりに押し付けて。だから「名誉毀損」などと余計なことを言い始めることになる。
 
 しかし、これについては、今はここまでにしておこう。
 
 社会に許され、しかも喜ばれる嘘。社会に許されず、人を怒らせる嘘。
 「これは嘘ですよ」と渡して、しかも相手を喜ばせるのが、ほんとうの嘘というものだ。それに引き換え、「本当ですよ」「実話ですよ」「嘘ではないですよ」と言わねば人々に受け取ってもらえぬような嘘など、結局のところ生半可なのである。嘘つきとしての覚悟が足りないのである。そんな中途半端な嘘に世間が騙さたのは何が原因か。それは、ほんとうの虚構、ほんとうの嘘が大事にされてこなかったということである。ほんとうの嘘を生み出すべき芸術が、その役割をまったく果たしていなかったということである。
  
 実際にあのドキュメンタリー番組を見ていたら僕も違ったのかもしれないが、しかし昨年4月に人づてに聞いて僕が面白いと感じたのは、「全聾」の部分ではなく、「ゲーム音楽出身の作曲家」が「交響曲」を書いたということだった。日本のゲーム音楽文化もひとつの交響曲を編めるまでに成長したのか。ゲームの画面を抜けだして純粋に音楽だけを書いてみたいという作曲家が現れたのか。実に結構なことではないか。ますます音楽は盛んだ。そう思ったのである。
 しかしそれでも、売るためには中途半端な嘘に頼らざるを得ない現実だったのだ。
 予定されたもののためならともかく、売れるか売れないかわからないもののために、「未定」のために100万単位の身銭を切り、大の大人が1年もかけて書いた労作を5年もの歳月をかけ、ついに世に広めてしまうような熱意のある人間は、この業界の今現在にあるのだろうか。ほんとうに彼を馬鹿にできるのだろうか。交響曲を委嘱した当時の彼より情熱に満ちていると誰が言える現状なのか。嘘をつかなくても交響曲を発表できる音楽文化があるほうが良かったのではないか。
 別に彼はダニでも良かろう。世間はそうしてもてあそぶのが良かろう。しかし、そんなダニにぬくぬくたかられる業界だとは、いったいどれだけ我々は間抜けだったのか。今日の会見程度のおっさんが魅力的な人間に見えるほど、我々には魅力がないと世間に言われたようなものだ。悔しくないのか。
 要するに、芸術音楽家の怠慢が呼び寄せた騒動に他ならない。
 僕は今日の日を、音楽家のひとりとして、強く恥じている。

 佐村河内氏には一点だけ言っておきたい。
 僕は10年ちかく前から思想と技術の変遷と要請によって自分の創作の主眼に調性をわざと選んでいるが、あなたの後を追った記憶もなければ、あなたの後を追う予定もない。業務妨害であなたを訴えなければならなくなるので、音楽的な部分については余計な口をつつしんで頂きたい。そもそも、あなたは音楽家でも何でもなく、ただの変なおっさんなのだから。