今回は序奏なしに主題から提示する。
問題の円満なピカルディ終止のために、僕からひとつの提案をしたい。
佐村河内氏。もしもあなたが世間に対し嘘をついた罪をつぐないたいと言うのなら、今後の人生すべてをかけずとも簡単に実行できる方法がある。新垣さんが著作権の放棄を会見で明言したように、あなたも、あなたの保有している権利を聾唖者団体や障害者団体に、そのまま譲渡しなさい。
以上の主題を展開させていただく。
以前「3つの提言」と題する記事を書いたが、もちろんこれらの提言は批判と皮肉をこめたジョークである。とは言え、僕とてジョークを言いたいがためだけにこれを書いたのではない。音楽と社会はどのように関わっていくべきなのか、ひとつの問題を目の前にして人と人はどのように協力していくべきなのか、それをジョークの形式で示したのである。
あまり面白くなかったという意見に対しては、陳謝する。
しかしこの事件は音楽の世界に起きた事件なのであり、創作は現にあったのであり、誰がなんと言おうと新しい作品が生まれた事実に変わりはない。新しい音楽作品とは、作品の価値の有無や出来の良し悪し以前の問題として文字通り人間社会の財産なのであって、それは人々にあまねく共有されるべきものである。ここを否定するようになれば、まさに我々音楽家の自殺だ。
新しい作品が生まれることで誰かがひとりでも不幸になってはならない。現に、この事件では誰も死んではいないのだ。我々をオウム扱いされては困る。
悪い商売に使われてしまったマンションを建てるのに汗水垂らしてコンクリを捏ねていた型枠大工は罪に問えるのか。僕から見るこの事件は、そういう事件である。演奏家たちは文字通り汗水垂らして練習していたのだから。しかし、建築士は自らを悔いて世に告発した。王様は裸なのに今まで黙っていた私は共犯者です。しかし彼は、その実、マンションを設計していたに過ぎない。なれば、悪い商売をやめて、新たに良い商売を始めれば良い。訳あり物件をわざわざマンションごとユンボで解体する必要はない。商売主である佐村河内氏が真人間になりさえすれば良いのである。
主題を変奏しつつ再現する。
世間を侮辱したのは音楽そのものではない。商売の手法が問題だったのであって、音楽はどこまでも音楽である。音楽が悪い商売に手を貸してしまったのなら、今からでも挽回は利く。今度は横浜の温泉付きマンションではなく、障害者たちの手元に、啓蒙活動のための資金が入るようにすれば良いのである。弾けば弾くほど障害者のためになるシステムを作れば良い。全聾と難聴の区別が人々の間につくようになれば、自然、今後はこのような事態が起こりにくくなるだろう。
先天の全盲・弱視である僕の叔母夫婦は、日頃から中途失明・弱視者に向けたボランティアをしている。盲人が盲人のボランティアをしているのであるが、中途は弱視でも命に関わることが起こりうる。健常者の差し伸べる手よりも、生まれながらに見えない世界に住む彼らのアドバイスのほうが役に立つことは多い。これらのボランティアに少しでもお金が回れば、実に素晴らしいことだ。
交響曲をはじめとするあれらの作品群は、僕の耳にもゲーム音楽の文脈として、新垣さんの言葉を借りれば「サブカルチャー」の文脈として聞こえる。しかし、サブカルチャーの文脈で交響曲を書いてはならないなどと一体どこの誰が決めたのだろう。あっても別に良いではないか。あの曲は、ゲーム音楽に親しんできた現代日本の聴衆のための、新垣隆作曲「青少年のための交響曲入門」である。実のところ、「祈り」だの「鎮魂」だの「闇から光」だのよりも、本当はさらに高い理念のもとに書かれた仕事である。
僕は文春の「ヤマト」のくだりを読んで、新垣さんがこの技術を手にするまでの苦労がどれほどのものだったのかを思った。あそこは確かに「ヤマト」であった。僕にはどうしてもマーラーに聴こえなかったが、ようやく腑に落ちた。勉強になった。僕も仕事に応用させていただこうと思う。
「ソナチネ」もまた、大事なヴァイオリンのテクニックが身につく練習曲として利用していけば良い。子供たちの発表会でも人気曲になるだろう。このようにして音楽熱を盛り上げていくうちに、作曲家もやりたいことしかやってないのに世間でも受けが良く、長く演奏されていくに値する作品というものが湯水のように沸き上がってくる。音楽の傑作は個人が作るのではない。人と人とが共同で作っていくものだ。僕も10年以上作曲家の看板を背負って生きてきて、身にしみて分かったことと言えば、それくらいだ。
生まれたばかりの作品が傑作か駄作か。それを拙速に判断しようという姿勢こそが、そもそもの誤りなのだ。酒で言えば蒸留を終えたばかりである。まだまだ無色透明だ。原酒を詰めた樽が10年後、20年後に良質のウイスキーになっているのか。神のみぞ知る。樽がすべて無事とは限らない。腐る場合がある。きれいな琥珀色になった昭和の歌謡曲もある。酒は作り続けるということが何よりも大事だ。飲み続けることが大事だ。それこそが「愛のカタチ」というものだ。100年後の音楽は100年後の人間に任せれば良い。我々はどうせみんなきれいに死んでいる。
佐村河内氏。今度こそ、あなたは音楽界の大恩人になるチャンスが到来しているのである。新垣さんはあなたと争うつもりはない。「この2人が世間の前で争っていることがそもそもおかしい」と言っている。僕の前でもいじらしいほど、あなたのことを一言たりとも悪くは言わなかった。
あなたは正真正銘の名声を目前としていることに気付いてほしい。一時の利益を捨てさえすれば、あなたには何百倍ものものが返ってくる。その返ってくるものの大きさと、温泉付きのマンションと。どちらが大きいものなのか、よく考えてみてほしい。
あなたも含め全員丸儲けの算段だ。悪い話じゃないと思うが、いかがか。