つまり現在、僕は新垣さんと接触があるのだが、これについては詳しく述べない。誰の質問にも答えるつもりはない。暇だったら考えても良かったが今月はことに忙しい。ご理解を乞う。
ただ、証明はできることを念のため申し上げておく。
なぜ僕なのか。署名サイトの管理をしている手前、僕が預かったということだ。
なぜ教え子ではない僕が管理をしているのか。特に理由はない。
ただ、佐村河内氏には分からないだろうが、音大の学生たちはこの時期とても忙しい。試験があったり、海外に研修に行ったり。この問題に首を突っ込めば、ただでさえ貴重な時間が大人の都合に奪われる。優秀な彼らの親御さんに申し訳がたたない。僕はたまたま彼らと仲が良いのだが、幸いどこの音大の先生でも関係者でもない。いざとなればなんとかなる。つまり、自由がきいたわけである。
やはり正解だった。なにかといろいろ対応に追われて大変だったから。
それに学生たちも、新垣さんひとりのためだけに立ち上がっているわけではない。
連絡があったのは先月2月25日以降だ。
署名に賛同してくれた方々にお礼を申し上げたい。そのような申し出を受けた。
そこでお礼文を預かったのだが、相談のうえ掲載を見合わせていた。理由は3点。署名サイトに掲載する文章は発起人一同の声明に限ったほうが良いであろうこと。世間を騒がせば新垣さんへの反感を強める結果になりはしないかと心配したこと。そして、謝罪文を発表してからしばらく、佐村河内氏の動向がまったく見えなくなっていたこと。彼は逃げるのではないかと僕は思っていた。もしそうなら、逃げようとしている者を追い詰めて、もしものことがあってはいけない。
実は昨日の記事でも引用していたのが、その際にやりとりした新垣さんの考えを以下に要約する。これは3月5日のことだ。
「私も彼の逃げ場がなくなることを案じています。ですから、逃げて解決するのであればそれでよいかもしれません。私にはわかりませんがいろいろと事情もあるのでしょう。私としては彼に、仕方のない嘘をついていないで、曲を世に広める情熱に嘘はなかったのだということを訴えて欲しかった。「HIROSHIMA」が1年をも費やして完成させた労作だとしても、売れないのが現実です。新垣は僅かなお金しかもらっていないと言われているけどそれは当然です。売れるかわからないものを5年もあきらめずに、ついに世に広めたのは彼なのです。どんなに非難を浴びようと、世間を欺いたことを謝罪したうえで、ゲームプロデューサーなどから出直す努力をして欲しかった」
僕は新垣さんのほうの身上を心配していたのだが。
しかし、僕はこれで新垣さんが交響曲を書いた理由がわかった。痛いほどわかった。
趣味と異なる音楽であろうと、いつもと違う作風の作品であろうと、そんなことを彼は問題にしていないのだ(むしろ余計大変なくらいだ)。完成は03年。逆算すれば委嘱・着手は02年以前。佐村河内氏が手帳を手にしたのは02年1月。「現代典礼」は「HIROSHIMA」と勝手に改題され、「お蔵入りになった」と思っていたのに発表されて「驚いた」。抜粋の初演は08年9月である。大事な点なので、もう一度指摘しておく。ゴーストライターの是非が問題ではないことも指摘しておく。
「共犯者」という表現を、僕は最初、彼の性格を知る者として、彼の文脈で理解し受け取った。しかし考えなおさなければならない。この言葉にはもっと深い決意が込められている。
にも関わらず、だ。昨日の会見はあれは何だ。
僕はあの程度の生半可な詐欺師が乗っ取れる業界であることに屈辱を感じているのだ。「てめえらが欲しがってる感動物語をくれてやったんだよバーカ!」ぐらい言いたまえ。何をしおらしく反省なんかしているのだ。「ポケットマネーで交響曲買ったことあんのかよ悔しかったら真似してみろや」と札束でペチペチ軽部アナの頬を引っ叩いたら、世間の誰が何と言おうと、僕は俄然、支持した。ここにも最大級の賛辞を書き連ねた。開き直る方向を完全に間違えて、あいつはなんという白痴なのか。せめて業界が乗っ取られるなら、もっと徳の高い悪魔のような詐欺師のほうが何千倍も良かったのに。屈辱だ。
もともと公開を前提で受け取ったものだ。
昨日のような喧嘩を売られては、こちらも黙ってはいられない。改めて了解を得たので、28日に受け取った「お礼文」を原文のまま、ここに掲載させていただく。
この度私、新垣隆は、佐村河内守氏との関わりにおいて世間を大変お騒がせし、皆さまに多大な御迷惑、御心配を御掛け致しました。深く御詫び申し上げます。
事件に関しましては諸々の報道の通りであります。そしてその様な中、私の学校の進退に関しまして、署名活動という形で皆さまの大変あたたかい励ましの言葉を頂いた事が、私にとってどれほど心の支えになったか知れません。
皆さまの御理解、そして誠意ある言葉に対して、私は最大限応えねばなりません。
学校の進退に関しましては、世間を大きく騒がせてしまった事、その中で(1)障害者詐称の幇助(2)それによって結果多くの人々の心を深く傷つけてしまった事―また特にその中に未成年者を含んでしまった事―の責任は免れないと思いました。
2月17日に退職願を提出し、受理されました。皆さまには大変申し訳ない気持ちでいっぱいですが、どうぞ御理解頂けましたらと思います。
それでも尚、私の音楽活動を認めてくださった皆さまと共に、今一度初心に戻り、一歩一歩、歩んで行きたいと強く思っております。今後共、どうぞよろしくお願い致します。
本当にありがとうございました。
'14 2/28 新垣隆
退職願が受理された今、署名サイトも本来の意味を失ってはいるのだが、これも相談のうえ、今はこのまま残す方向で合意している。本来の意味ではない別の意味で、改めて署名へのご協力を皆様に願う次第であるが、最後に僕の今の切なる気持ちを一言だけ申し上げたい。
てめえら作曲ナメてんじゃねえよバーカ!