2014年2月8日土曜日

音楽バカ

 我々の意思とは違う次元で、ものが動き始めているのだ。
 
 18年前。1996年と言えば、僕ならちょうど大学に入学した年。「今度自分で作った曲を提出しなきゃいけないんだけど、なに書いていいのかわからなくて」と相談してきた他の科の友人に曲を作って、食堂で昼ご飯を御馳走になった。なにしろ僕も当時からお金が無かった。
 作曲科が書いたとばれぬよう、筆の趣向を少し変えたり。
 僕も立派に、友達の先生を欺いていたと言える。被害者が1人で済んで良かった。
 
 他にも似たような話はたくさんあるが、ここには書かない。
 
 筆の趣向を変えるとは「手を抜く」ことではない。
 少なくとも僕にとって両者はイコールで結ばれない。まったく別の次元の話だ。会社のデスクで手を抜きまくって、帰宅後には人知れず本気の趣味に走る。そういう人だって世の中にはごまんといる。もちろん、仕事に人生を捧げて家では死んでいる、という人もいる。
 筆の趣向を変えるとは、文字通り、筆の趣向を変えるという話である。
 筆の趣向を変えたからといって、それは「嘘」なのではない。筆の趣向を変えて書くことに心血を注ぐのである。全力の精神を必要とする場合だってある。そのようにして苦心して作った作品を演奏者が真摯に演奏してくれる。聴衆が喜んでくれる。嬉しくないわけがない。
 その瞬間、様々な現実の問題を、ふっと忘れてしまう。それが音楽バカだ。
 
 今回の件、新垣さんである意味ありがたかった。
 確信を持って「彼は手を抜いていない」と言えるからだ。五線紙を前にして無心になれる人だからだ。音楽の前でどうしても嘘をつけない人だ。それどころか人の前でも嘘のつけない人だ。今回の件だって墓場まで持っていけば誰も損をしなかっただろうに、だが嘘はつけなかった。
 「彼の情熱と私の情熱が非常に共感しあったことはあったと思います」
 その嘘のつけない人が、よりによってここで嘘をつくだろうか。
 本人名義の作品でも、会場で笑いが起きたら彼は嬉しそうにしてはいまいか。
 佐村河内氏も、新垣さんが苦心する姿を脇で見て、出来上がった曲を「聴いて」、なんとかして世に出さなければと思ったのだろう。動機は純粋で善良と言える。そこで、ずる賢いとも強引とも少々頭が弱いとも言える手段、要するに詐欺に訴えた。(それを新垣さんが当初は知らなかったのは大事なことだと言える。彼は「現代典礼」として交響曲を書いたのだから)
 本来、問題とされるべきは、この一点ではないかと僕には思われる。 
 
 佐村河内氏は、音楽家のみならず、世間よりも世間を理解していたと言える。
 僕は単純に彼のことをバカにすることはできない。本当に、もっと違うかたちで我々と関わってくれたなら、彼はこの業界の、真の意味での救世主にもなれたような気がする。
 ただのダメ人間で一生を終えられたかもしれない彼をして詐欺に走らせた、その理由を、もっと真摯に考えるべきではないのか。
 
 僕は佐村河内名義より、新垣さん本人名義の作品のほうが「好き」だ。
 だが、佐村河内名義の作品を偽物と言うのなら、新垣さん本人名義の作品も偽物であると言わなければならない。彼にとって、両方ともに「趣味」ではなく「仕事」だ。佐村河内名義で手を抜く人ならば、本人名義でも必ずや手を抜くだろう。
 彼が本物の音楽バカであることは、彼を知る人はみな知っている。
 
 いま世間に音楽家が求められている役割は、佐村河内名義の作品と新垣さん本人名義の作品と。どちらが良いのか、優れているのか。それを明らかにすることでは、ない。
 芸術論争を起こしている場合ではない。
 確かに僕は本人名義の作品のほうが俄然「好き」だが、そんなことは世間にとってどうでも良いことだ。「新垣さんはああいう曲を作る人ではなくて」という文脈を繰り出している場合ではない。その類の言葉は「新垣さんは手を抜いて曲を書いてました」「世間を馬鹿にしていました」と世間には映る。その言葉がいったい誰を破滅させる結果になろうか。
 マスコミの言うことをひとつひとつ取り上げて、これは違う、あれも違う、などと言っている場合でもない。それは世論なのだから。どんなにそれが腹立たしくても、ただただ情報を消費しているだけという意味において、パンを食いながら新聞を広げて「ふうん」とつぶやく人々と大差ない。自分のことを棚に上げて言う人の文句は楽しいと枕草子のころから人間は言っているのだ。千年前からということは、千年後もだ。人間のこの部分は未来永劫変わらないのだ。

 今の音楽界は、無理やり外に引っ張りだされた引きこもり息子のようだ。
 部屋に帰りたい、もっと自分の好きなことだけをしていたい、社会に出たくない、放っておいて欲しい。僕だって引きこもりだ。社会に出るのは大嫌いだ。人前なんて大嫌いだ。だが、いま何かをしなければ、我々自身の老後はおろか、未来の才能すらつぶすことになるだろう。
 新垣さん本人の内心は推し量れない。できればそっとしてあげたい。
 だが、もう我々の意思とは関係ないところで「日本のクラシックはうさんくさい業界だ」と思われているのである。悪者にされているのである。貧乏だから反社会的な仕事に手を染めたのか、ああ、かわいそうに、馬鹿だね、ああはなりたくないね、と思われているのである。
 「僕たちは本物なんです」と言って、今さらいったい誰が信じるものか。
 ひとりの音楽家(ありがたいことに本物だ)の窮地を音楽家たちで救えるか。それは、新垣さんや佐村河内氏のような音楽バカたちが、もっと理想的なカタチで手を携え、誰の心も傷つけることなく、思い思いに音楽を楽しめる未来を作れるかどうか、という問題である。
 
 人の顔が千差万別であるように、音楽だって人それぞれだ。
 千差万別の音楽に満ち溢れた世界は、必ずや平和だ。
 
 桐朋学園に対し、引き続き新垣さんが教職の位置にあれるよう活動が始まっている。
 別のややこしい問題にならぬよう前もって言っておきたい。
 その署名サイトは僕が作らせて頂いた。
 本来、僕よりももっと新垣さんに近い人はたくさんいる。僕だって数年以上お会いしていない。だが、会見を見て、お会いした頃の純粋さ、素朴さを毫も失っていないことはすぐに分かった。
 前回の記事を書いて以来、僕は友人たちとたくさんのやりとりをした。新垣さんの教え子から、新垣さんの古い友人、知り合い程度のひとに至るまで。その会話のなかで「署名活動はできないものだろうか」という話題があり、誰も署名活動の始め方を知らなかったので、僕が「ゴーストライター」となって、サイトを作った次第である。
 そこにある文章も僕の文章だが、しかし僕個人だけの意見ではない。
 彼ら、彼女らの意見のひとつひとつを紡ぎあわせて、自分が矢面に立っても構わないと思う人々の想いをまとめて、あのような文章にさせて頂いた。単に僕が作ったというだけの話である。
 僕個人だけの意見ではないと言っても、僕個人の想いとまったく同一だ。
 桐朋学園にはいくつか仕事を頂いたことがあるのみで、国立中退の僕は、それ以上の関係にはない。本来、僕は何もしなくても良かったのかもしれない。そのほうが賢いと思う。
 しかし作った以上、僕にも責任が生じる。
 またこいつは余計なことをしてやがる、と、僕の脳のなかのもうひとりの自分がタバコをふかしながらあきれ返っている。責任なんて言葉、僕は大嫌いなんだが、仕方ない。
 
 世界を変えたいと思うなら、まず自分が変わらなければならない。
 
 ◇追記
 急いで作ったので、取り消しを求める「処分」がまだ下されていないというタイトルの矛盾があります。指摘されて気がつきました。お詫び申し上げます。