2013年4月27日土曜日

展開部

 芥川也寸志が著書「音楽の基礎」で、音楽の大前提として「静寂」を取り上げて論じている。赤い紙に赤いクレヨンで絵を描いてもわからない。環境と同化してしまう音は音楽には聴こえない。音楽を音楽として把握するには、ある程度の静かな環境を必要とする。まったくその通りとしか言いようのないことだが、当たり前すぎるからこそ、忘れがちにもなる。彼が生きていた時代よりも街ははるかにうるさくなった。電話をかければ一方的に(たぶんその人が好きな)音楽を聴かされる。僕はあれに辟易している。
 出会う環境こそ違えば、なかなかいい歌じゃないか、と、思ったかもしれない。しかし、かけた途端にその曲の途中から一方的に始まって、その人が出るまで一方的に聴かされて、その人が出たら一方的に切れる。辟易する。どんな歌にだって多少なりとも作り手の気持ちは乗っていよう。そんな人の気持ちの、もっとも不遜な使われ方だと思う。
 でも、その金で生活している人がいるのだと思って、僕は耐えている。ただ、こんな方法に頼らずとも歌手たちが生きていけるほうが、もっと良い。
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 このような音楽の無惨な「切り取られ方」は、傍線部の文章について次のアからオのなかで作者の気持ちにもっとも近いものを答えなさい、という、僕たちが子供のころに散々見てきた、あのありがちな国語のテストの設問に似ている。
 「恥の多い生涯を送って来ました。」だから僕の人生は誇らしいものです、なんて答える人は、まずいない。もしも文学に要点があるのなら、作家は最初から要点だけを書けば済む。だらだらと小説にする必要もない。作者の気持ちにもっとも近いものを答えなさい。これは絵画や音楽を鑑賞するうえでも悪い影響を与えていると思う。
 人がもっとも把握しやすい芸術は、文学である。その次に美術ときて、音楽となる。視覚を鍛えるには文章が役立ち、聴覚を鍛えるには文章と視覚の両方が手がかりとして役に立つ。だから文学史は美術史に先んじ、美術史は音楽史に先んじる。これが逆になることは、ほぼない。一瞬、ベートーヴェンが美術の先に立ったと言えるだろうか。
 外国語の習得をことごとく失敗している僕が偉そうには言えないが、たとえば外国語の習得も、この順を追っていくしかないだろう。でなければ、我々の国の歴史における漢文や蘭学の発展というものもありえない。
 だからこそ文学はもっとも長寿の芸術でもある。紀元前のギリシャ悲劇も我々は読める。だが、それがどのように発音されていたのかを確かめる術はない。エジソン以来の録音媒体の登場で変化するかに思われた聴覚も、流行の廃れは早いことが、もう明らかになっていると僕は思っている。
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 要点とは、つまり点である。
 この点の位置を説明するには、座標が必要となる。恥の多い生涯を送って来ました。その恥の点とは、xyのどの位置にあるのか。人によっては、生涯ぐだぐだに女に依存していることが恥かもしれないし、人によっては、生涯まったく女っ気がないことが恥かもしれない。両者同じ程度に感じている「恥」であっても、人の芝生は青いのだから、この場合、他方にとって他方は、むしろ羨ましい生涯である。
 つまり点がひとつ打たれただけでは、それは点であって、点以外ではないのだ。赤地に打たれた赤い点なのか、青地に打たれた赤い点なのか、白地に打たれた赤い点なのか。そしてそれは縦と横のどの位置に打たれたのか。緞帳が開いたら、もうホセの刃がカルメンに刺さっていた。物語は始まることなく終わっているのである。
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 作者の気持ちに近いものを答えなさい。この影響はどこに出ているのか。聴衆は作品の要点を答えるために音楽を聴いているのか。そんなわけはない。
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 どんな聴衆も、音楽の感想は音で抱いているものだ。
 どんな大衆酒場の酔っぱらいが、あの歌のここの文句が良いという場合にしたって、やはりこの酔っぱらいも、音楽を音で記憶している。
 数年前のある日。いつものように僕は酒場で知らないおじさんに絡まれて、彼は1時間ほど僕の隣でバラライカ、バラライカと歌っていた。おかげで僕は久しぶりに会った友人とまったく話が出来なかったのだが、この彼のバラライカには、本来のバラライカの意味はない。彼はバラライカという単語を手がかりに記憶の音を引っ張り出しているのである。バラライカという単語を忘れていたら、彼はハミングででも歌ったはずだ。
 歌詞は出てこないけど、あの歌は良いよね。そんな酔っぱらいもいる。あの歌の何が良いのか。音である。僕たちは食べたものも、言葉ではなく味覚で覚えているはずだ。多忙に長距離の移動でようやくありついた立ち食い蕎麦は美味い。刺激物を大量に食った直後に痺れた舌で神田の「やぶ」を食っても、そんなに美味くはあるまい。
 青春時代に出会った一曲は、いつまでも、自分の青春時代を回顧させる一曲となる。あのおじさんは、そんな彼の素晴らしい青春時代に、たぶんどこかの素晴らしい歌声喫茶で、その歌のあるべき位置にあった音に出会って感銘を受けたのだ。そこがたまたまバラライカという歌詞だったのだ。彼が経験した素晴らしい時間のながれをバラライカという歌詞に象徴させて、僕に教えてくれていたのだ。
 このような意味において、聴衆はどこまでも正しい。聴衆が切り取る音楽には罪はない。僕を辟易とさせる電話のあれは、むしろ提供する側の罪なのである。
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 こんな教訓を彼は僕に与えてから、さんざんハイボールを飲んで歌ったあげく、僕の飲んだ焼酎ロックの金も払って「ごちそうさん」と上機嫌で去って行った。と、うまく提示部冒頭の素材がかえってきたところで、この話は再現部に続く。