2013年7月6日土曜日

寄席に行く


 交響曲については改めて書くとして、寄席である。
 作曲を終えたら寄席に行こうと思っていたのだ。
 なにも今回が初めてというわけではなく、一仕事終えて、依頼主からなにがしかのものを頂戴するたびに、僕はそのなにがしの一部を手にして、寄席に行くのである。
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 落語が本当に理解できれば、対位法の肝心要なんて簡単に理解できると僕は思っている。バッハの無伴奏の聴き方や弾き方はおろか、書き方だって理解できると思っている。日本の音楽が文字通りに確立するときには、おそらくそれはヨーロッパのそれよりも一歩先に立つことになる。その鍵は寄席が握っている。落語や漫才が握っている。そう思っている。寄席は日本でもっともたいせつなソルフェージュの道場なのである。
 まだ芸の確立していない漫才師や落語家は、内容を聞かせようとする。上手い人は、音を聴かせる。音を覚えさせる。その覚えさせた音で、客に反射を起こさせる。面白いことを言おうとする人では、客席を温められない。どんなにたわいない話でも、いくつもの音の色や素材を駆使できる人は、客席を温められる。こういう彼らの教訓のおつりで、(少なく見積もって)音楽の90%くらいのことはマスターできる。
 自分の仕事が仕事でこんなことを言うのも憚られるが、コンサートホールなんて全部潰れて消えても、寄席さえ残っていれば、僕たちはどんな状態からでも、昭和20年の夏や平成23年の春よりひどい状態になっても、立ち直ることができる。寄席が無くなったら、どんなに表面上繁栄していても、僕たちは死んだも同然。だから自分の稼ぎは、少しでも寄席に落とさなければならないのである。

 オペラはまた別の話。これの鍵を握るのは歌舞伎だ。
 どうだい、おれのつむじは左曲がりだが、新大久保や鶴橋あたりで騒いでいるやつらよりよっぽど国粋主義者だろうよ。吸ってるタバコもわかばなんだぜ
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 だから僕は、演者を選んで寄席に行くということはしない。とにかく行く。平日のゆるい客席の雰囲気も全部ひっくるめて、寄席である。夜の新宿末広亭。主任は桂米福、演目は「抜け雀」だった。一文無しで宿に泊まった絵師が抵当にと屏風に描いた雀が、日の光を浴びて飛び立つ。こういうファンタジー、寓話が、楽しくないわけがない。現代の僕たちだって、寓話を語って良いのだ。嘘八百の作り話を語って良いのだ。それが人に一陣の風を遺していくとき、それは、本当の歴史よりも、よほど真実の歴史になる。だいたいにおいて、人が「正しい」といってする話は、まったく面白くないのだ。
 僕は作曲中、行き詰まったり疲れたりして何も書けなくなったときには、コーヒーを飲み一服しながら、8代目桂文楽の落語、もしくは夢路いとし・喜味こいしの漫才を聴いていた。彼らは本当に洗練された偉大な芸の持ち主だと思う。どれほどのことを教わったかわからない。彼らのような存在は、寄席がある限り必ず今後も現れる。現れないはずはない。そうして現れる洗練された芸人が、僕たちになにもかも教えてくれるだろう。日本の音楽のためにも、自分の芸のためにも、僕は寄席に通うのである。