交響曲については改めて書くとして、寄席である。
作曲を終えたら寄席に行こうと思っていたのだ。
なにも今回が初めてというわけではなく、一仕事終えて、依頼主からなにがしかのものを頂戴するたびに、僕はそのなにがしの一部を手にして、寄席に行くのである。
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落語が本当に理解できれば、対位法の肝心要なんて簡単に理解でき
まだ芸の確立していない漫才師や落語家は、内容を聞かせようとす
自分の仕事が仕事でこんなことを言うのも憚られるが、コンサート
オペラはまた別の話。これの鍵を握るのは歌舞伎だ。
どうだい、おれのつむじは左曲がりだが、新大久保や鶴橋あたりで騒いでいるやつらよ
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だから僕は、演者を選んで寄席に行くということはしない。とにかく行く。平日のゆるい客席の雰囲気も全部ひっくるめて、寄席である。夜の新宿末広亭。主任は桂米福、演目は「抜け雀」だった。一文無しで宿に泊まった絵師が抵当にと屏風に描いた雀が、日の光を浴びて飛び立つ。こういうファンタジー、寓話が、楽しくないわけがない。現代の僕たちだって、寓話を語って良いのだ。嘘八百の作り話を語って良いのだ。それが人に一陣の風を遺していくとき、それは、本当の歴史よりも、よほど真実の歴史になる。だいたいにおいて、人が「正しい」といってする話は、まったく面白くないのだ。
僕は作曲中、行き詰まったり疲れたりして何も書けなくなったときには、コーヒーを飲み一服しながら、8代目桂文楽の落語、もしくは夢路いとし・喜味こいしの漫才を聴いていた。彼らは本当に洗練された偉大な芸の持ち主だと思う。どれほどのことを教わったかわからない。彼らのような存在は、寄席がある限り必ず今後も現れる。現れないはずはない。そうして現れる洗練された芸人が、僕たちになにもかも教えてくれるだろう。日本の音楽のためにも、自分の芸のためにも、僕は寄席に通うのである。