2020年1月20日月曜日

覆水、盆に返らず~AI美空ひばり所感


電気楽器の発明者のほとんどが、初期の自動車デザイナーが馬車を真似たように、十八、十九世紀の楽器を真似ようとした。テレミンが新たな可能性をもたらしたときテレミン奏者がやったのは、甘ったるいヴィブラートをかけて過去の名曲を無理やり弾くことだった。我々は新たな音の体験から遮られたのだ(ジョン・ケージ)

 「NHKスペシャル『AIでよみがえる美空ひばり』(2019年9月29日放映)」で披露された「AI美空ひばり」。紅白歌合戦にも起用され、最近また山下達郎が「一言で申し上げると、冒とく」と発言した(2020年1月19日・スポーツニッポン)ことで話題になっています。
 関係者の皆様におかれましては大変なご苦労だったとは思いますが、いかんせん新曲『あれから』の詞と曲とが美空ひばりの個性に全く合致していないというのが痛恨の極み。これが「夏川りみの新曲」とかだったなら、きっと何の文句もなく祝福される曲になっただろうと思いますけど。「松田聖子還暦記念コンサートの新曲」でも良いかもしれない。

 昭和の頃は「巨人嫌い」「北の湖嫌い」の要領で「美空ひばり嫌い」という年寄りもけっこういましたよね。いたんです。たしかに歌は上手いかも知らんがくだらない、浅い、とかなんとか言って。それだけ彼女は説教臭い歌を歌わなかった。「後の祭り」とギャグを言うためだけの『お祭りマンボ』なんて最たるものじゃないですか。
 昭和12年生まれなら戦争の空気を覚えてないわけがないし、子どもごころに感じたことも当然あるはずだけど、彼女の歌った反戦歌は『一本の鉛筆』ただ一曲のみ。この曲にしたって必要以上にセンチメンタルな台詞を吐かないわけです。


 そんな人がポップス調で説教臭い『川の流れのように』を歌ったものだから、当時は意外性とともに受け入れられたものです。そうしてそのまま死んでしまって30年が経ち、世代交代が進んで、徐々に、平成元年の不死鳥・美空ひばりこそが彼女のイメージとなっていく。社会の持つ記憶力の限界というものを考えますけど、とにかく。『あれから』はいかにもその続編という体に過ぎるというか、秋元康氏のあざとさの部分だけが強調されてしまって、彼の仕事としてもどうなんでしょう。
 いっそ生身の人間じゃないことを悪用して、いつもの秋元康氏が書いているようなものを歌わせたほうが余程面白くなったんじゃないかしら。欅坂46『黒い羊』とか。「全員が納得する そんな答えなんかあるものか」って視聴者みんなドキドキするでしょうね。でも案外、そのほうが意外性を楽しむ生前の彼女の姿に近くなったかもしれない。

 ということで、「AI美空ひばり」開発チームには引き続き「AIちあきなおみ」にも取り組んで頂いて、ぜひともシェーンベルク『月に憑かれたピエロ』を歌わせて欲しいと、僕は個人的に願っています。冒とく批判も避けられるでしょう。ご存命ですし。

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 冒とく、という言葉に引っかかりそうな話題をもうひとつ。
 ベートーヴェンの交響曲第10番をAIに復元させる試み。技術者の皆様方には敬意を表しつつも、そら無理やと思うで、というのが正直なところ。結局、死ぬまでの作品を解析することでしかデータは得られないわけですよね。その前提の時点で無理やで、と。

 なにしろ予想の裏をかくというのがベートーヴェンの真骨頂。
 もう少し具体的に言えば、御大が勝手に設定した俺様ルールを聴衆に一方的に押し付けておきながらそれを逆手にとってフェイントをかまし続けるという根性の曲がり具合。わかりやすい例を挙げれば、弦楽四重奏曲第15番を書いた直後の、天国が見えてきましたのでこれからあの世に行って参りますという作曲家が「Es muss sein!」の一発ギャグとともに第16番を書くという脈絡のなさ。素人にはわかりませんが、そういうの、AIはフォローできるんでしょうか。

 囲碁のAIが上手くいっているのは、盤面の四隅に角があるからでもあるし、置ける石の総量が決まっているからでもある。そのいずれも音楽にはございません。むしろ畳の上に石を置くとか、ポケットの中に忍ばせておいた石を相手に向かって投げつける、というのが、あのおっさんの芸風。

 僕は、こんな発想は生身の人間にはできません!すんませんした!という、果てしなくワケのわからんもんをポンポン出力して頂きたいのですよ。研究のためにしていますという趣旨は理解してますけど、過去の作曲家の焼き直しなんて聴きたくないねん。と、Twitterに書いたところ、こういう返信がありました。

つまり、我々は「作曲できるAI」を作る前に、「どのような条件設定をすれば『面白い音楽が作れるAI』を作れるか」ということを人間自身が学習する必要があるということでしょうか。((c)やれやれ氏)

 まさに、そういうことであります。
 例えば、ブクステフーデとリムスキーコルサコフを勉強しまくったパキスタン人作曲家がメキシコに住み始めて5年後に書いた『エチオピア狂詩曲』とか。そういう種類の大喜利精神を発揮して頂かないと面白くない。せっかくの新しい技術なんだから、遊ばなきゃ。

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 死んだ人にしかできない仕事というのはあります。ただ、彼らが仕事をするのに墓から掘り起こす必要はない。死者に本人性は必要ないのであります。尾籠な例を挙げれば、トイレに行くのが面倒だからピアノの下におまるがあったとか、同じピアノの上にはカビたパンが転がっていたとか(ベートーヴェンのことですが)そういう種類の本人性を求めていないのであります。

 死者その人ではなく、死者が遺した仕事を取捨選択し、そこから本人性をうまく取り除いて後世に智慧を繋いでいくという作業。これはたしかに生きている人間にしかできない。誤認逮捕されるくらい服装の汚い缶詰のゴミに囲まれているおっさん(ベートーヴェンのことですが)なんて同時代の人間にとっては迷惑以外の何者でもないので、これは生者の仕事です。そうして生者が仕事を引き継ぎ続けてきた結果、今がある。
 で、価値のあるものを遺すには、よほど生きている我々の耳が肥えてなきゃいけない。「こんなに面白い曲があったのに埋もれさせやがって、どうしてこっちを大事にしなかった!あいつらの耳はフシアナか!」と50年後の後輩に言われたくないですし、幽霊のようにAIに本人を演じさせるよりも、よほど、保存性に優れたジャンルに移植して新たな命を吹き込むほうが長い寿命を得るのではないか、という発想から、「クラシック風アレンジで聴く 美空ひばり」という編曲のアイデアが生まれてきたわけです。

 …と、うまく宣伝につながりましたね。

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◎クラシック風アレンジで聴く 美空ひばり
日時 2020年1月25日(土)
   13時30分開演(12時開場)
会場 アート・カフェ・フレンズ
   http://www.artcafefriends.jp/
   (JR恵比寿駅西口下車徒歩2分)
チャージ 前売¥3,500 当日¥4,000
     ※お飲み物代500円を別途申し受けます。

曲目
 東京キッド(万城目正)
 リンゴ追分(米山正夫)
 みだれ髪(船村徹)
 悲しき口笛(万城目正)
 車屋さん(米山正夫)
 日和下駄(米山正夫)
 花笠道中(米山正夫)
 哀愁波止場(船村徹)
 悲しい酒(古賀政男)
 津軽のふるさと(米山正夫)
  ※新しい編曲の追加を計画しています。

お問い合わせ
 卍プロジェクト 03-6421-1206
 スタジオ・フレッシェ studiofroesche[at]gmail.com

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