2020年4月14日火曜日

総理動画、そもそもコラボに非ず

 星野源さんの「うちで踊ろう」に安倍総理が乗っかった件。よく燃えてますね。
 とあるジャズ・ピアニスト/作曲家さんによるnoteの記事(『安倍総理の星野源さんコラボは何が問題だったのか / 音楽家からの視点と分析』2020年4月13日)がたいへん良くまとまっていると思います。…が、もう少し単純に、音楽的な話に絞ってみます。

 総理の動画。あれはコラボではないですよね。BGMにしているだけ。

 幸い比較対象がある。岡崎体育と大泉洋。「何もしない」というメソードだけは一緒ですが、まさに雲泥万里、月とスッポン、雪と墨。星野源を上に立てているか、道具に使っているかの違い。星野源の音楽を聴いているか聴いていないかの違い。「耳を使っているか使っていないか」の違い。


 しかも、二人とも「画面にどう映ってるか」がちゃんと計算出来ていますよね。大泉洋に至っては音楽を聴きながら「聴いてない」を演じている。言葉をちょうど邪魔になる部分にかぶせているでしょう。こういうのは直感、センスの問題で、素人が真似しようったってそうそう出来ることじゃない。彼らはそれが出来るから芸能人をやってるんです。こんな高等なテクニックに手を出したらヤケドするのが当たり前。




 では、総理はどうするべきだったのか。正解はこちら。



 場末のカラオケスナックの寒々しいノリでも良いから、タンバリンのひとつでも持っていれば、「だっせ…」とは言われたでしょうけど、少なくともヤケドはしなかった。

 で、40歳過ぎのおっさんとして深く確信することですが、他業種の仕事の難易度に対し想像力の働かない人に仕事のできる人間はひとりもいません。「あ、これ、真似したらあかんやつや」と思えない人に、有能な人間はひとりもいません。

 総理が自分で思いつくとは考えられないので「総理、最近これがナウいんすよ、イケてるんすよ」と進言した勘違い甚だしい取り巻きがいたんでしょう。おそらく岡崎体育や大泉洋のを見て「総理にも出来る!」とか思ったんでしょう。そういう人らに自分の命を預けている現状、生活を握られている現状を考えてみてください。

 「狂ってる」と表現している人いますね。違います。凡庸なだけです。

 総理の動画は控えめに言って死ぬほど不愉快なので、もしも僕が演出家だったら急所めがけて灰皿を投げるくらい不愉快なので、ここにシェアするのは控えておきます。その代わりと言ってはなんですが亀井静香ちゃんの歌をお聴きください。これ、10年ほど前、彼のサイトを開くたびに聴かなきゃいけなかったんです。くっそ下手には違いないんですけど、僕はどうも憎めなくて。