2017年6月23日金曜日

練習しなくてもピアノが上手くなる音楽理論教室

 駅の自動アナウンスに、時おりこんなものを聞きます。

 …まもなく さん っばんせんに きゅうこう みなみくりはし いきのでんしゃが じゅう↓ っりょうへんせいで まいります きいろいせんのうちがわにさがって おまちください まもなく…

 「さん」や「みなみくりはし」や「じゅう」などの取り替えが利くように収録したんでしょうけど、「じゅ→う↑」ではなく「じゅう↓」と、「十」だけを取り出して聴けば正しく発音してしまっているのが災いして、前後がつながっていない例です。

 「おはようございます」のあいさつひとつにしても、わたしたちの発音は常に一定のものとは限らない。たとえば、NHKアナウンサーが朝のニュースで発音する「おはようございます→(Moderato, sempre mf)」、中2男子が片思いを寄せる3年女子に向かって発音する「おはよう…ございます(perdendosi)」、やり手OLがドンくさい男上司に向かって発音する「おはようございます↓(Presto, f)」。良い時期を迎えているカップルが朝のベッドの上で交わす「…ぁょ↑(amabile, ppp)」

 で、作曲家は、その「…ぁょ↑(amabile, ppp)」をそのまま「…ぁょ↑(amabile, ppp)」と記譜しているわけですが、「あ」は喉の奥を大きくあけ、「よ」は横に開いた口蓋を強く中央につぼめながら、清く正しく美しい日本語の発音を、などとやってしまったら、幸せな空気感がかえって台無し。これはマジメな人ほど案外陥りやすい罠であります。

 少なくとも僕は、楽曲分析とは「そのまま読む」「そのまま聴く」に徹することであると認識しています。演奏に際して「…ぁょ↑(amabile, ppp)」を「おはようございます→(Moderato, sempre mf)」に近づける努力は必要ないわけです。あくまで音楽の胴体は音であって、音を聴きとる耳、音を扱う肉体が両翼。理論は尻尾といったところ。尻尾がなくても、とりあえず死にはしません。ただ、尻尾を使ってバランスを取ると、こんなにも空を飛びやすくなるんだよ、というのを、理論の人間は演奏家たちに向けてもっと啓蒙すべきではないか、と思ったりします。

 インプットの質が変われば、自然とアウトプットも変化するもの。それを体感していただくべく、理論の門をくぐりたくなる良いコピーは無いものか。僕は思いつきました。

 「練習しなくてもピアノが上手くなる音楽理論教室」

 これはむしろお金のニオイがする!…と一人で盛り上がって近所のスーパーでお寿司(370円)を買い、食べ終わったところで眠気に襲われ1時間半ほど昼寝をしたわたくし。今日も怠惰でありました。

   * * *

 ということで、この6月。東横線・都立大学に本拠地を移しました。
 お教室をやって良いという条件で部屋を借りましたもので、つきましては、生徒さんを広く募集したいと思います。僕の得意とするところは分析ですから、いま練習している曲の作曲者が何を考えているのかさっぱりわからない、とお悩みの方。セカンドオピニオン的な気分でお尋ねください。懇切丁寧に理論で紐解きながら指導します。ピアノに限らず、どんな楽器の皆様でもお気軽にどうぞ。
 吹奏楽部やコーラス部で音楽に目覚めてしまったものの、音大の受験の要項を取り寄せて、それを見て、やっぱやめよう、と諦めかけているピアノ専攻以外の高校生諸君。僕はきっとみなさんの気持ちを他のどの先生よりも知っています。なぜなら僕がそれだったから。副科のピアノ、聴音、新曲視唱、楽典などなどまとめて面倒見ます。諦める前に、おいでおいで。