2017年4月8日土曜日

楽曲分析で何が明らかになるのか

 これはM先生の受け売りですが、
 バラバラに鳴らした何の脈絡のもない音列を「ファです」「ド♯です」などと答えられる人、いわゆる絶対音感の持ち主が多いのは、幼い頃から教育を受けたアメリカ人、中国人、日本人だとか。
 ヨーロッパ人の場合、絶対音感なるものの傾向はそれほど強くありません。意外に思われがちですが、案外、意外でもなく、ここでは「何の脈絡もない音列」であるというのがミソで、彼らは音と音との関係性を聴きとる傾向にあります。ゆえに、関係が分断されると分かるものも分からなくなる。一方、日米中の音楽家の多くは、どの音も等価なものとして聴いている傾向にあると言えます。
 この事象の理由については、きっと、お詳しい方がいろいろ研究なさっていることと思いますが、ミルトン・バビットのようなトータル・セリー作家に端を発したピッチクラス・セットの考え方がアメリカで浸透していくのは、ある意味では自然なことだったかもしれません。

 ちなみに絶対音感の最たるは小鳥さんたちだそうで、確かにあの子たちはいつも決まったテンポ、正確なピッチで歌っています。僕の住まいの向かいにある小学校のマーチングバンドがモコモコしたヘ長調で『歓喜の歌』を練習してますが、もしも小鳥さんたちが原曲を知っているなら、子どもたちの吹くそれを『歓喜の歌』だと認識できないかもしれません。もっとも、僕も小鳥さんたちとはまったく別の意味で違う曲に聞こえていますけど、けっこう気に入っています。


 さて、ハインリヒ・シェンカーによる「シェンカー理論」がアメリカで発展を遂げたのも、そうした彼の地の音感の風土に合ったからではないだろうかと考えました。つまり、等価ではない調の機能を、個々人の才能や師弟相伝の秘術に依らず、誰でも炙り出せる客観的な方法として。関係を見いだすために関係を省いていく手続きの肌触りは、ピッチクラス・セットとも少し似ている気がします。
 故郷オーストリアで受け入れられなかったのは、少々性格に難のある人物だったらしいのが災いしたから。というのもあるにはあったのでしょうが、僕の知る限り音楽家なんて性格に難のある人物ばかりなので、この話はここまでにしておきましょう。いずれにせよ、この理論が展開していくのは、不幸な戦争の時代に多くの音楽家が大西洋を渡った以降の話であって、中にはフルトヴェングラーのような例外的な支持者もありましたが、これは彼が指揮者であったことと無縁ではないでしょう。つまり、崇高にして偉大な建築物たるドイツ音楽を現前せんと大所帯を率いていた彼には「遠聴 (Fernhören)」という言葉の響きがしっくりきたのであると。
 確かに彼の振る『運命』冒頭5小節は(シェンカーの分析したとおり)ひとつのドミナントに聴こえます。作曲家の側からすると、これはベートーヴェン本人の思惑を少々超え過ぎているのではないかと感じないこともないですが、それを説得力をもったドミナントとして聴かせるのはさすがですし、演奏は現在という時間の創作なのだと思わせてもくれます。作曲家は紙をめくって遠近の過去未来を行ったり来たりするものですから、現在を特別に扱う点において、演奏家には敵いません。


 ウィキペディア『シェンカー理論』の項に「楽曲を徹底して単純化していくと、最後は主調の三和音に行き着く。逆にこのことから、楽曲の創作過程は主三和音の拡大・発展であるということになる」とありましたが、シェンカー分析の前提は、作曲を「分析の逆算」であると一時的に仮定しているところにあると言えます。分析者はどうしても作曲家が経た時間を追えませんから、どこかで線引きをする必要がある。シェンカー理論の場合では主三和音に、作品の骨組みの骨を求めるわけです。
 譜例は、ベートーヴェン『ヴァイオリン・ソナタ第10番』の冒頭をシェンカー流儀の手続きに則って単純化したものです。ご覧のとおり最後は跡形もなく消えました。僕はこの曲を心ひそかに「足のない幽霊の足あと」と呼んでおりまして、くまのプーさんよろしく「僕は、何も書かないを書いているのさ」を実際に書いてしまったようなものと捉えているわけですけれども、このI~V~Iは「弱い相互作用」であると、物理学の世界から丁度良い塩梅の言葉を拝借して説明したいところです。『運命』1楽章最後に聴くような、引力と斥力とで並んでいるI、V、Iとは甚だしく異なります。これ以外の書きようがないので分析の上では同じ記号を使わなければならないのが少々もどかしいですが、調性の作家は主和音すら作品の骨にならない場合があることを経験的に知っています。ゆえに、分析によって炙った骨の処遇は、どうしても個々人の耳や経験、または別の理論の予備知識に依る必要が生じることでしょう。

 同じ海からマグロも穫れれば、イカやタコも穫れる。ベートーヴェンという漁場から水揚げされる作品が魚類ばかりとは限らない。作曲家の興味はその時その時に応じて変わっていくので、ひとりの作曲家の生涯を通してこれと説明できる共通点は、ほんとうにわずかなものですし、それら姿の異なる作品を同じように分析するのは、いささか乱暴なことではあります。
 時おり作曲家と分析者の幸福な結婚ともいうべき事象は起こりますが、作曲はどう転んでも分析の逆算ではなく、第1楽章の1小節目を書いている作曲家は最終楽章の終止線のことを知りません。「頭のなかで先にすべて出来上がる」という状況は、おそらく、皆さんの想像するようなものではないでしょうし、作曲家は自分の作品においても全知全能の神にはなりようがありません。
 ならば、そもそも楽曲分析で何が明らかになるのか。それは分析者の耳であろうと思います。自分で分析するというのは、自分の耳を知るということであり、他者の書き起こした分析を読むというのは、他者の耳を借りて音楽を聴き、自分の耳の聴こえ方の精度を調整するということ。そのことによって、間接的に、または結果的に、作品を掴む。分析法とは鍋やフライパンのような道具であって、どんな方法でも作品を知ることは可能です。が、どのような分析であっても、誰の分析結果であっても、作品そのものを直接的に知ることにはならない点には注意すべきです。

 むかし、フランコ・ドナトーニが日本に来た折、彼はバッハのコラールを写譜し続け修行したという若かりし頃のエピソードを語っていました。いわく「その腕の感覚と自分のアイデアが結びついたとき、作品は生まれる」と。これは僕が見聞きしたなかでもっとも役に立ったアドバイスでした。画家のいう石膏デッサンの意義に近いものがあると思います。
 そのバッハ本人存命の時代には当然、近くのコンビニにコピー機も無いので、入り用の楽譜は手で書き写さなければならなかった。かのメヌエットのように、バッハがメモしてくれたおかげで忘れられた作曲家の作品もいくつか残ることになるわけですが、たくさん音符を書くという当たり前と言えば当たり前の作業が、どれほど基礎体力を高めるものか。いろいろと便利な時代である現代ですが、要領の悪い方法の良さも、改めて振り返ってみたいものです。