太古のむかしから、わたしたちは音楽の営みを続けています。
音を紙に記録するという大発明をしてからも、千年の時が経ちました。その間、記譜法や演奏法の進化、印刷技術や工業の発展にともなって、木材、動物の皮や腸、金属、さらには電波までもが、幾千万の音楽家たちの飽くなき探求(あるいはふとした思いつき)に応えるかのように、人間の声にも劣らぬ歌声を手に入れるに至りました。
本日の演奏会は、いずれも耳に近しい、馴染み深い、親しみやすいメロディばかりです。しかし、わたしたちは音楽史に連なる先人たちが聴きたくても聴けなかった音楽を今まさに聴いているのだということを、ここに少し説明したいと思います。
コントラバスという楽器の歴史は古く、ヴァイオリンやチェロなどの発祥より遡ること100年、16世紀に端を発します。もっとも、低音を補佐する以上の役割を作曲家から求められることはほとんどありませんでした。この巨大な楽器が上へ下へと器用に飛び跳ね、優雅に歌う姿など、誰も想像し得なかったからです。
そうした事情が変わるのは18世紀末の名手ドメニコ・ドラゴネッティがベートーヴェンと親交を結び、1850年代の名手ジョヴァンニ・ボッテジーニが「コントラバスのパガニーニ」の異名をとって活躍したことで、にわかに独奏楽器としての認知が高まりました。が、その確立は20世紀に入ってからと言って差し支えないと思います。今日ほど、この楽器の名手たちに多く恵まれた時代は、今まで一度も無かったでしょう。
ドラゴネッティはベートーヴェンの伴奏でチェロのためのソナタを弾き、ベートーヴェンは目を剥いて驚いたそうですが、今日は石川さんの独奏でバッハの無伴奏チェロ組曲をお聴きいただきます。コントラバスは、チェロに比べて一回り大きいというだけでなく、なにしろルーツを別にする楽器ですから、技術をまったく異にしているのです。チェロ奏者に「旧約聖書」と譬えられるバッハを、この楽器がどのように弾くのか、刮目しましょう。
一方、オンド・マルトノは20世紀の生まれです。楽器名の「オンド」とは電波のことで、直訳すれば「マルトノ氏の電波」となります。マルトノ氏とは、第一次大戦に通信兵として召集されたフランスの電気技師モーリス・マルトノ。彼は三極真空管から発信される音を聴いているうちに、これをなんとか音楽に利用できないものかと考えたのでした。
アドルフ・サックスによるサクソフォンなどもそうですが、フランス・ベルギーには楽器発明の才があり、彼らごのみの音色を持つ楽器を多く生み出してきた歴史があります。電波を使う楽器は同時代的に他の国でも発明されましたが、ついに、ひとつの独奏楽器としての地位を確立したものは、このオンド・マルトノを除いて他にありません。
メシアンやオネゲル、ジョリヴェなど、もっぱら同郷の作曲家たちによって寵愛されました。この楽器の発音原理はまったく電気の回路によるものです。しかし、そうして得られた純粋な周波数は、木箱、弦や銅鑼によって豊かに増幅され、演奏には奏者の繊細な指先を必要とします。歌心が丸のまま顕れる楽器なのです。
楽器の名手は、ときに本職の作曲家も羨む作曲の才を発揮することがしばしばあります。特に、新しいレパートリーを必要とする楽器においては、なおさらです。先のボッテジーニもコントラバスの可能性を自ら作品に書いて示しました。ピアノにおいてはショパンやリストが、ヴァイオリンにおいてはパガニーニやクライスラーが、オンド・マルトノにおいては、まさに、本日の奏者、原田さんがそれにあたります。軽妙洒脱な色合いの絵筆で、この楽器の魅力を存分に伝えてくれるでしょう。
ここに念のため書き添えれば、ピアノという楽器も、88の鍵盤を持つ今日の形が一般的になったのは、ほんの100年ほど前。そう古い話ではありません。わたしたちはこんなにも楽しみながら、過去にはありえなかった芸術を聴いているのです。音楽史的にも豊かな時代を生きているということを、本日の演奏会によって知ることができることでしょう。(「コントラバスとオンド・マルトノの響き」2016年11月12日 於・ラスカ茅ヶ崎ホール)