欠陥だけを取り出してリストの揚げ足とりをする人は、その背後に隠されている本質までは深く見ていないのです。ところで、公平無私な評価というものは、本質を認識することなしには考えられません。(バルトーク『リストに関する諸問題』1938)
8月23日、晩。
池袋の西口、少し奥まったところにあるマレー料理店「マレーチャン」で、僕はライターの井内千穂氏とともに遅めの食事を取っていた。食事といっても前菜ばかりの軽いもので、ぱりぱりとえびせんを囓りながらタイガーとシンハーの瓶をお互い1本ずつ飲んだだけだった。二人とも深夜に書き物を控えていたせいである。ここの女将の濃さと言ったらウエストゲートパークのヤンキーたちの比ではない。が、この日は姿を見なかった。
この直前、芸術劇場の大ホールでは東京室内管弦楽団のコンサートが催されていた。
終演後、僕と井内氏は二人でこの日の作曲家に挨拶した。彼は関係者にもみくちゃにされていて、会話らしい会話はほとんどできなかった。僕は祝福の言葉とともに「『好き』がたくさん入ってましたね」と申し上げた。彼は満面の笑みで「全部詰め込んだよ」と答えていた。
「昨日もメールをありがとうございました」
「いえいえ、とんでもない。それで…」
「すみません、今日もお時間をいただいて。…その、新垣さんの新しい交響曲を西澤さんはどうお聴きになったのかということを、お伺いできればと思いまして」
それが記事になることを僕は知っていたので、いくつかの外見的な特徴を簡潔に申し上げた。開始の和声、前奏が抜けた箇所の旋律とオーケストレーション、楽器法などについて。井内氏から頂いた「昨日のメール」には、「通俗的なものと芸術的なものの違いはどのように区別すれば良いのか」という質問が記されていたが、これに対し、拙速に答えることは憚られた。
新しい交響曲『連祷』は、人々には『HIROSHIMA』と似た印象を抱かせるものかもしれなかった。しかし、その表面を注意深く取り除けば、この作品が正反対の立ち位置から書かれたものであることがわかる。というのも、一口で表せば『HIROSHIMA』が「もしも、ゲーム音楽作家が交響曲を書いたとしたら」という「もしもシリーズ」であるのに対し、『連祷』ではそうしたサブカルチャーの要素がまったく排除されているからだ。
改めて振り返れば、『HIROSHIMA』で行われたことは、第一に、ゲーム音楽やアニメ音楽などの現代日本の大衆音楽を材として用いた対位法的構築であり、第二に、01年から03年の作曲当時における前衛語法のエンタメ化であった。前者の例は『宇宙戦艦ヤマト』の和声的な援用などに、後者の例はリゲティ『ヴァイオリン協奏曲』の楽器法からの影響などに見られる。ある種の人々には前時代的な大言壮語と思われたこの作品が、さて当の「前時代」、すなわち19世紀に可能だったかと問われれば、その素材や技法の出典において、僕の答えはNOである。
『HIROSHIMA』が話題になったのは、あくまでドキュメンタリー番組の放送があったからだが、あの番組のあまりの陳腐さゆえに、作品の内容には誰も注意を向けることができなくなった。「ブルックナーやマーラーの明らかな模倣」と言われもしていたが、(何度となくこの指摘はしているけれども)これは当たっていない。僕には演奏時間が長いことくらいしか共通点を見出し得ない。基材となる和声はドイツ・オーストリアではなくフランス・ベルギーに近いものであり、管弦楽法もまったく異なっている。
依頼主である佐村河内氏にマーラーを感じさせるためにはマーラーの語法そのものを使うことができず、考えた末にアニメ音楽を用いることとした。と、告発直後の『文春』手記にもある。一般の聴衆がマーラーを感じるのは、それが意図なのだから、問題ない。『宇宙戦艦ヤマト』を使って人々にマーラーを思わせるのは一種の魔術でもある。ただし、専門家と言われている人までもが「ブルックナーやマーラー」と言ったことには大いに問題がある。だいたい、個性も性格もまったく異なっている2人の作家を並べること自体が乱暴に過ぎるであろう。(大胆にも「ブルックナーの明らかな模倣」をしでかしたマーラーをどのようにお考えかも、忌憚のないご意見を伺いたいところである。)
『HIROSHIMA』を劇伴風の作品であると評するのは決して間違いではない。しかし、前衛風の外見を持つ作品と同じ楽器法が、粉砂糖にまぶされた旋律の影に隠れるだけで聞こえなくなってしまうとしたら、いったい専門家は何を聴いているのかとの批判を退けることができるだろうか。この観点から、当時の記事が残っているのなら、それらを読み返せばいろいろと面白いことが見えてくるだろう。いったい誰が何を言ったのか、僕が見た範囲のものなら、僕はすべて覚えている。
話を『連祷』に戻す。
僕は…誤解を恐れず言えば…新垣さんは佐村河内氏から「影響」を受けたのだと思う。つまり、19世紀的な語法を今日的な文脈で捉え直すことは本当に不可能なのか、という問題において。新垣さんは、自身の「好き」を使い分けて、これまでを過ごしてきたと思われる。半身で「前衛」を書き、半身で佐村河内氏風の「佐村河内作品」を書いてきた。しかし佐村河内氏の無茶振りを真面目に捉え、正面から取り組んで来たからこそ、これを使い分ける必要がなくなったのである。全身を使って良くなったのである。縛りが無くなった分、おそらく、模索や葛藤は濃く、強くなっただろう。
僕はいくつか楽譜も頂いているから、新垣さんの好きなもの、癖のようなものを、おそらく人様よりかは若干詳しく知っていると思う。依頼主を満足させるために用いられていた『HIROSHIMA』における材は、『連祷』には無いのである。その代わりにあるものは、彼自身の「好き」であった。ようやく全ての「好き」に対して正直になったのだと、全ての「好き」を自身の名前で書くことに責任を持つ覚悟を決めたのだと、僕は思った。彼は彼自身の人生において一個の前衛になったのだ。その第一歩を僕は祝福し、「好き」がたくさん入っていましたね、と申し上げたのである。
「自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである(『マタイによる福音書』10:39)」この2年間は、ほとんど宗教的な説話のようだ。音楽のために音楽を捨てようとした男が、本当に「好き」な音符だけを書ける環境を得たのであるから。一方、あれはただの技術者であって自分こそが本当の音楽家であると言い張っていた男は、自ら素人であることを豆乳を飲みながら白状する始末である。
これまでも何度か書いてきたが、『HIROSHIMA』の完成には一年が費やされた。佐村河内氏はその委嘱料に自腹の200万と、営業には5年を費やしている。僕は音楽家であるから音楽以外の論点はすべて排して言う。佐村河内氏の音楽観そのものは、ものを知らないからこその思いつきであり、素人ゆえの無責任な発想である。が、彼の思考は確かに一つのモノを生んだのだ。テレビの前でぶつくさ文句を言うより一攫千金目当てにサッカーくじを買う人々の方がスポーツ選手たちの役に立っているという以上に、彼は音楽界に対し貢献してすらいる。その点において彼を非難する資格を持つ者は現今の音楽界に一人もいない。彼は自分の仕事を誇って良い。ただし、それはあくまで彼の素人性ゆえだ。それを彼自身も分かってないのが痛い。
『連祷』はたいへん律儀な作品である。
しかし、僕自身の私的な感想を正直に言えば、『連祷』にはいささか凝りすぎた感、意識しすぎた感を認める。19世紀ロシア風の旋律に21世紀初頭風のオーケストレーションを組み合わせるなどは分かりやすいのか分かりにくいのかが少々分かりにくいし、『HIROSHIMA』の直接的な引用が誤ったメッセージを伝える可能性を危惧する。僕の思う、もっとも「新垣的」なるものは、もう少し違う。彼がいたずらしたくなったときや、羽目を外したくなったときの音楽が、そっちには行かないよという転調が、僕は好きなのだ。
願わくは、次はとびきり「ふざけた」交響曲を所望したい。
もっとも、「自分で書けよ」という話ではあるが。
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本文中の井内氏による記事はThe Japan Times紙2016年9月5付で配信されています。