2014年1月9日木曜日

ラスカ・ニューイヤーコンサート2014 プログラムノート

 ◇ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756~1791)
 ◆オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットと管弦楽のための協奏交響曲 Kv.297b
 モーツァルトの作と伝えられてはいるものの、この協奏交響曲の本当の作者は、実のところ、わかっていない。
 事実としてはっきりしているのは、1778年、彼の22歳のときに「フルート、オーボエ、ホルン、ファゴットと管弦楽のための」協奏交響曲がパリのコンセール・スピリチュエルのために作曲されたことと、その楽譜が何らかの人間模様の果てに失われ、演奏されなかったこと。(「パリ」と呼ばれる交響曲第31番Kv.297も、このときの作曲だ。)
 ここまでの経緯は父レオポルト宛ての書簡に愚痴とともに記されている。「家に帰ったらもう一度楽譜に起こす」とも書き残しているのに、それもまた見つからないため、楽譜の捜索は百年近くも続いた。ケッヘルの目録にタイトルだけが記録されてから約半世紀後、ついに、フルートではなくクラリネットが用いられたこの作品の編曲版と思しき写本が、20世紀初頭に音楽学者の遺品のなかから発見されて、これが現行の協奏交響曲となっている。
 とはいえ、彼の作品とするにはあまりに多くの疑問があったために、真贋論争が巻き起こった。議論の結果、情況証拠から「偽作の可能性が高い」として、現在では「Anh.C14.01」という分類番号が与えられてもいる。念のため申し上げれば、私の耳にも、これはまったく違う人間の音楽に聞こえる。
 モーツァルトでないのなら、いったい誰が、何の目的でこれを書いたのだろう。もしも後の世の誰かがモーツァルトに似せて書いたのなら、それは、世間が思っているほど甘い作業ではない。彼の真似をするのがどんなに大変なことか。難しい編成を選んで、そうとうの苦労があったはずなのに、しかも自分の名を捨てて。
 成立に問題を抱えているにも関わらず、4人のソリストを持つこの曲は、やはり壮観なものだ。協奏ソナタ形式の第1楽章、同じ変ホ長調のアダージョ、冒頭の主題に10の変奏が続く第3楽章は、入れ替わり立ち代りソリストが現れ、まるで永遠に続くダンスの時間のように、楽しい。この作品中もっとも技法的にモーツァルトらしくない音楽なのだが、不思議と、もっともモーツァルトの精神に接近している音楽にも聞こえる。

 ◆モテット「踊れ、喜べ、幸いなる魂よ」(エクスルターテ・ユビラーテ)Kv.165
 冒頭の歌詞から「エクセルターテ・ユビラーテ」(踊れ、喜べ)と呼ばれているこのモテットは、もちろん真筆。1773年、なんと、彼の17歳の作品である。旅先のミラノで、お気に入りだったカストラート歌手ヴェナンツィオ・ラウッツィーニのために作曲されたという。レチタティーヴォを挟んだ2つのアリアに、最後はアレルヤの連呼で結ばれる。最初のアリアがソナタ形式で書かれており、そうとうな技巧も要求されるので、まるで声楽と管弦楽のための協奏曲のようにも聴くことができる。
 歌詞の作者は不明。神への賛美を謳ったラテン語のテキストだ。これはこの作品に限ったことではないのだが、いくら200年前のモーツァルトの時代とはいえ、すでにラテン語ははるか大昔に死んだ言語で、母語として喋っていた人など当然ひとりもいない。私たちにとっての「お経」のような言葉である。そんなラテン語を、彼は音として本能的肉感的に理解して、楽譜に書きつけているふしがある。特に少年の頃のほうが顕著に、ラテン語に忠実で、仔細に見れば小節の単位も、楽想も、めまぐるしく入れ替わっている。普通だったら作品の統一感が崩れるほどのアクロバティックな作曲法にも関わらず、この青磁のような質感は、いったい何なのだろう。
 恐ろしく複雑なのに、決して濁らず、なめらかで、清流のように澄み切っていて、少年モーツァルトの才気は鋭く切れ上がっている。ただ神ひとりのためだけに書こう、なぜなら、僕の才能を本当に理解しているのは神ひとりだけだから…まるで、そんな自信にあふれているかのようだ。

 ◇フランツ・シューベルト(1797~1828)
 ◆交響曲第5番変ロ長調 D.485
 甘く丸い管楽器の響きのなかから、遠い雷光がちらりと覗く。
 クラシック音楽を愛するものにとって、こんなに特別な瞬間は、ない。シューベルト、1816年。彼の19歳の作品である。付点のリズムに絡む小鳥のさえずりのようなフルート。連綿と紡がれる美しい歌に、ふと和声の翳りが差す。モーツァルトが若すぎる死を迎えてから四半世紀、さらに若い死を迎えることになる彼が、親しい友人たちの力を借りながら人生を歩みだしていた。第4番とともにオットー・ハットヴィッヒ家私設のオーケストラのために書かれたと考えられているが、初演などの記録は不明。ハイドン・モーツァルト時代のような、クラリネットもトランペットも欠く2管。ベートーヴェンがすで8つの交響曲を書き終えている頃、この編成はかなり小さいと言える。
 しかし内容は斬新だ。第1楽章の再現は主調ではなく下属調の変ホ長調で現れ、意表を突く転調に足元を脅かせさせられ続ける。調をじわり変容させ続け、濃密に素材を絡ませ合いながら、いつまでも名残り惜しく歌う第2楽章には、早くも「未完成」や「グレート」のような後年の彼の姿が見える。一方、シンプルで歯切れの良いスケルツォ風のメヌエットはト短調。トリオはト長調に転じる。しばしばモーツァルトの交響曲第40番の影響を指摘されるらしいが、地獄の底から引っ張ってきたようなコントラバスの半音のうごめきは、彼にしか書けないものだ。
 第4楽章は、ときに東欧的な素材に遊ぶハイドン、モーツァルトの伝統を踏襲する軽快なアレグロ。起伏に富み華やかだが、楽章のほとんどの部分が短調の響きに支配されている。古典派の最良の果実を着実に吸収し、しかも新たな時代の予見をも落とし込んだこの音楽の奇跡は、シューベルトの才能ゆえなのだろうか、それとも時代がそうさせているのだろうか。この後、彼はますます貧しくなりながらも、さらに独創的な作曲家へと進化していくのである。