2020年5月9日土曜日

南館病棟午後十時

 「生きながら死して、静かに来迎を待つべし」と云々。万事にいろはず、一切を捨離して、孤独独一なるを、死するとはいふなり。生ぜしもひとりなり、死するも独りなり。されば人と共に住するも独りなり、そひはつべき人なき故なり。(一遍上人語録)

 「…2時間ですか。」
 「ええ、今からそちらに向かうとすると、どうしても。」
 「わかりました。では、お見えになると考えても…」
 「急ぎます。が、つまりはそういう状況なんですね?」
 「かなり切迫しています。」
 病院からの電話を切り、急いで身支度を整える。約3ヶ月ぶりに乗る電車は東京のものとは思えないほど閑散としていて、いつもこれくらいならありがたいのに、などと思う。地下鉄、準急、急行と何度も乗り継いで埼玉に向かった。
 父が倒れたのは2月だ。母が言うには、自分ですべての入院支度を整え、自分で救急車を呼んでからそのまま昏睡したという。いかにも父らしい気がする。執刀医によれば6年前に挿入した人工血管が破れていたとのこと。あのときも長い手術だった。今回も8時間に及ぶ手術に耐えた。術後はすぐに意識を回復し、予後も順調で、リハビリさえ始めようとしていたところだった。

 「これがお父様のCTです。」
 小さな部屋に通され、すでに到着していた母とともに主治医からの説明を聞く。医師顔という典型があるかどうかは知らないが、僕の医師の友人に少し似ていた。
 「今日の晩から苦しさを訴えられて…。胃液を吐くことは度々あったんですが、今までは上手く吐けていた。ところが今日は上手く吐くことができなくて、誤嚥性肺炎を起こしてしまった。ほら、ここが白くなっているでしょう。それで、気になるのは白血球の値なんです。普通は炎症を起こすと上がるはずなんですが、お父様の場合、逆に下がっている。これは入院された当初の値。6,000くらいありますね。これが先程の値。1,400くらいしかない。」
 「…あの、つまり、主人は大丈夫なんですか?」
 医師の丁寧さと家族の焦慮とは、残念ながら、しばしば噛み合わない。
 「今日お呼びしたのは、この先の方針についてご家族で話し合って頂きたくて。今日は息子さんを待つことができましたが…」
 いつ何時、それこそ今にも、致命的な状況になるとも限らないわけだ。
 「私どももお父様の命を預かっているわけでして…たとえば人工呼吸器をどうするか、というようなことです。最近はコロナなんかでご存知でしょうけど、もちろん病態はもっと違いますけどね。人工呼吸器というのは太い管を喉に挿して強制的に呼吸させるものですから、辛いんですよ。回復の見込みがあるなら、それこそ息子さんのように若くて元気なら、やるべきだと私もすぐに言えるんですが…。ああ、簡単なパンフレットを用意してありますので、お母様に差し上げましょう。」
 医師の話など耳に入らない母は「とうとうだめかなあ」と独り言ちている。

 コロナ禍の渦中にある昨今、どこの病院も面会を基本的には停止している。無論、父の入院する病院もだ。緊急事態宣言の後は特に、ティッシュや入れ歯洗浄剤を持っていくという場合においても会えるとは限らない。僕としても、もし仮に自分が無症状のキャリアであったなら、とてもではないが責任を持てない。が、この日は面会を勧められた。
 「今は朦朧としてますが、意識はあります。私はご入院されたときからお世話させていただいているんですよ。だからね、お元気なお父様も存じているんですけど…」
 ふわふわとパーマを巻いた看護師が僕たちを案内しながら言った。夜ということもあってほとんどの照明は落とされている。そう言えば、かつては僕もこの病院に骨折で入院したことがあった。おかしなことに母もまったく同じ時期にこの病院に入院したのだった。苦笑していた父を思い出す。あの頃は院内の至るところに灰皿が置いてあったものだが、数年前に建て替えたらしい。暖色系の壁紙に、清潔な匂いがする。

 「西澤さん、ご家族の方がね、ご面会にいらしてくださいましたよ。」
 父はうっすらと目を開け、僕を見て、また閉じた。口を開け、はあはあと息を立てていた。隆々たる筋肉に覆われ、80歳近くになるまで病気らしい病気をしてこなかった頑強な父が、ほとんど骨と皮だけの姿となってベッドに横たわっていた。
 「鼻に挿しているチューブは胃まであります。もうお腹がほとんど動いていないので胃のものを便にして出せないんですよ。食べるのが難しいので点滴しているんですが、もう血管が脆くなってしまっていて。いま挿している腕の静脈が持てば良いんですが。昇圧剤も入れてますが、それでも血圧が100に届かないくらい。体重は37kgです。」
 「37キロ? おいおい、まるで小学生じゃねえか。」
 母が素っ頓狂なことを言う。
 「では私は席を外しますので。何かあったら呼んでください。」
 布団からはだけた父の脛をまじまじと見た。こんなに脛毛が薄い人だったのか、と、40年目の親子関係にして初めての発見をする。脛の肌色に比べて、まだらになった腕の青さがいかにも痛々しい。確かに、何度も何度も点滴を挿したのだろう。母が無言で父の額をさする。歳の割には、父の髪はしっかりしたままだ。
 すると、介護用ミトンに覆われた父の手が宙に浮いて、なにやら円を描きはじめた。一生懸命喋ろうとしているが、声になりそうにない。
 「どうしたの?」と母が訊く。
 「水飲みたいのかね。」
 父は横に首を振った。問題なく聞き取れているらしかった。
 「なに言ってんだか分かんねえだよ。」
 文句を言う母を脇に、父は顔をしかめた。不機嫌なのか、苦しいのか、困り果てているのか、泣きたいのかが判別できない顔をした。僕は不思議と思うところがあった。
 「手袋を外したい?」…父は頷いた。

 父は自分の弱みを見せない人だった。戦争中の教育を受けたからなのか、やたら辛抱強かった。母が僕を身籠ったとき、母とともに酒をピタリとやめた。以来一滴も飲まなかった。父は良き父であろうとした。自分の規範を自分で厳格に決めた。前半生の反省がそうさせたかも知れない。僕も全ては知らないが、いろいろあったらしいから。ただ、その激しい気性を理性で抑え込んでいるのを僕は幼心に分かっていた。父の自分自身への厳しさは、時として、良き息子になる才能のない僕にとって重荷になることもあった。
 僕と父は、家族とはいえ父と息子とでは全く違う人生があるという当たり前の事実に、何度も何度も向き合う必要があった。僕たち親子はその試練にあまり成功しなかったかもしれない。父が黙って耐えるという選択をしたから、必然的に僕も黙らざるを得なかった。父という役割を重んじるあまり、要するに、素直になれなかったのだ。僕は、自分のオペラ『瘋癲老人日記』第2幕の浄吉の台詞に、それを忍ばせた。父には慳貪に扱われる浄吉の想うところを想像し得たから、原作の台詞を拾うだけでは足りない彼の言葉を創作できたのだった。
 
 どうです父さん。少しは良いですか。…まったく強情っぱりで。父さん、少しは颯子を頼れば良いんですよ。僕たち腹を割って話すことのなかった親子じゃないですか。でも、案外、僕は父さんのことを分かってるつもりなんですよ。颯子のことだって分かってます。だから離婚もしないんです。とにかく、颯子にも良く言っておきますから。父さんも颯子のこと気に入ってるんでしょう? なんでもいいから颯子を使ってください。なんでもさせます。妙な方向かもしれないけど、これは一応、親孝行なんですよ。…それじゃあ、おやすみなさい。

 それが、いま、この時に至って、僕は初めて父の弱い姿を見た。良き父であるために息子の前で素直さを隠し通していた姿は、あれはあれでひとつの「素直さ」の発露だったのかもしれない、僕はずっと父を誤解していたかもしれない、と思い直した。確かに言葉は不自由しているかもしれないが、意識もあれば判断もできる人間にとって、両手の自由を奪われるとは耐え難い苦痛だろう。点滴の針を挿されるよりよほど根源的な苦痛である。「良き父」として振る舞うことに生きがいを見出した父は、人生の最晩年に、自らの屈辱的な姿を息子に見せなければならなかったわけである。

 「すみません、ミトンなんですが」
 「ああ、管を抜こうとしちゃうんでね、どうしても…」
 「ええ、分かってます。あの、できるだけ外してあげてくれませんか。夜は仕方ないと思います。理解します。でも、皆さんが起きていらっしゃるときは、できるだけ。それでもしものことがあっても決して責めるようなことはしませんから。お願いします。」
 ふわふわパーマの看護師にお願いし、ミトンを外してもらった。その瞬間に、父はいつもの顔に戻った。確かにもう話せないし、いろいろと自由は利かないままだが、あれやこれやと指先で指示する父には、いつも通りの父を感じた。鼻に刺さった管が邪魔だ、水が飲めないから喉が渇くと手が雄弁に語りはじめた。
 「看護師さんに無理をお願いしたんだから、頼むよ。それじゃあ僕は帰るから。」
 「……。」
 「なに?」
 「……。」
 ゆっくりと動く父の口元を注意深く読み取った。
 「『コロナ?』」
 父は頷いた。
 「コロナに気をつけろ、ということ?」
 父は再び頷いた。
 「ものすごく気をつけてます。家からも出ていないから、心配しないで。」
 父は握手を求めてきた。父の手は冷たかった。

 「あたしはぶっきらぼうだからさ。」
 「知ってる。」
 「お医者さんに色々言ったけど、本当はもうお父さんに触って欲しくないんだよ。」
 「分かってる。」
 「そう、分かってるの。まあ、とにかく気をつけて頂戴。」
 「気をつけてます。そっちこそ気をつけて。」
 母を見送り終電に乗る。すると、またすぐ病院から電話が掛かってきた。すぐさま僕が決断しなければならないことがまだまだいろいろとあるようだった。本人の意志が今も強くあるにも関わらず、僕が決めて本当に良いものだろうか。それは分からない。本当は父の命に責任など持てるはずがない。が、僕が決めない限りは医師たちが動けない。ほとんどそれだけのために、僕はいくつもの決断しなければならないようだった。
 いま、父の命は最晩年を生きている。
 僕は、生まれたばかりの僕を抱いた父の年齢になった。