2台ピアノ(に限った話ではないのですけど)を書くとき。僕は全くタイプの違う奏者を想定します。個性の違う、音色の違う、性格の違う、服のセンスも好きなラーメン屋も何もかも違うピアニストが二人いて、お互い、相手の趣味に寄せる気ゼロという状態を考えるわけです。スタインウェイなりベーゼンなりで同じピアノを2台揃えたところで、2人の打鍵が同質に揃えられるなんてことは不可能なのであって。それなら、まったく違う色で弾いてもらったほうが、面白い。
8月18日。仙台ピアノデュオの会会員による第20回記念デュオコンサート。この会のために2台ピアノのための新作『祝典ソナタ』を書き下ろしました。僭越ながら僕自身もゲスト出演ということで、2014年に書いた2台8手のための『夏の前奏曲』を演奏。初演がまさに5年前の仙台でした。再演を重ねると変わっていきますね。初演時と違うメンバーの演奏であっても、再演は再演の響きがする…作曲家をやっていて不思議に思うことのひとつですが、これが楽しい。僕自身リラックスした伸びやかな演奏が出来たと思います。リハーサルの音源ですが、You Tubeにアップしておきました。
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今回の滞在では、ちょっとした旅をしました。
19日。フェリーで石巻から田代島に。「ひょっこりひょうたん島」のモデルになった島のひとつという噂もありますが、それよりも猫の島として有名で、フェリーの船内も、明らかに地元の人たちという以外は、外国人観光客が多く見受けられました。
日差しの強い日で暑いは暑いものの、東京のような、モワリとした湿気は感じません。港に着くやいなや、道端に猫、塀の上にも猫。いかにも島らしい細い途を歩いていると、寝てる猫、散歩している猫、建物にこっそり入りたがってる猫、ケンカしてる猫、たまにヘビ。大事にしてもらっているのか、旅人にもあまり警戒心を示しません。
僕は、あれは馬鹿な戦争だったと思っている人ですけど。ただ、あの頃の地位ある方々の言葉というのは、構文がしっかりしていて、どんなに長い一文でも崩れない。美しいは美しい。そういう言葉が扱える高度な訓練を受けた人たちでも道を誤るのだということを、崩れまくった現代語を喋っている我々も忘れずにいたほうが良いでしょう。
石巻の街も散策。石ノ森章太郎の出身地だけあって街中至るところにサイボーグ009。石ノ森萬画館にも寄りました。震災後、木村拓哉とビートたけし、笑福亭鶴瓶が出演した車のテレビCMに使われていた建物は、ジンギスカンを出す飲み屋として営業中。ここの女将がとても愛らしい性格で、僕は好きになりました。
東京の人間として旅行にやってきて、石巻の飲み屋で雑談していると、どうしても「津波」という話題になります。たくさんの確かめられない死…確かめられないから死とは認められない何かが、消せないメールの数々となって残っています。けれど、それはそれとして、生きている以上は生きていかなければなりません。
生きるということ。食ったり飲んだりするということ。田んぼで米を刈ったり、海で魚を採ったり、商売したりするということ。だが「何にも進んでない」と女将はこぼしていました。「戦後の闇市みたいにさ、商売するときなのよ今は。本当はチャンスなのよ。でもさあ…私ももうちょっと若けりゃ説教して回るんだけどねえ」
都市計画にまつわる意見の相違ということなのか、とにかくお上からの規制が厳しいようです。「嵩上げなんかしなくったってね、動線だけちゃんとしてればいいの。あと、高い建物。避難できる場所。全部流されても命さえあればなんとかなるんだから」
5年前『夏の前奏曲』初演の際に見学した荒浜の観音像をふと思い出しました。あの日の記憶を忘れまいと像が建立されても、肝心の人々のことは、そこに生きて生活してきた生きている人々のことは、今なお忘れられたまま。内蔵をむき出しにしてひしゃげている電柱の脇で、帰りたいと訴える人々が黄色い旗を掲げていました。その声に同調するように、応援するように、小さなタンポポたちもひっそり咲いていたのを覚えています。
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20日。白石に移動し蔵王キツネ村を訪問。珍しい種類のキツネや、何らかの事情のある数匹の子が檻に入れられている以外は、100匹近くの個体が放し飼いにされているということです。写真のこの子にはクンクンと足元のニオイを嗅がれたうえで、マーキングされました。どうやら僕は光栄にもこの子の所有物になったようです。そういうこともあるので、動物のすることに寛大な心を持てない人には、あまりオススメいたしません。
だっこ体験もできます。別途600円也。
最寄りのバス停を通る市営バスは週に2回のみ(!)の運行で、猫の島でも見かけた外国人観光客を、ここでも見かけました。髭面のいかつい男と、おそらくオランダ語らしき言葉を喋っている女の子たち。まったく同じ旅程を辿ったようです。ひどい雨の日でしたが、ずぶ濡れになりながら、彼ら彼女らはたいそう楽しんでいました。こういう場所は、日本人よりむしろ外国人にウケが良いようです。
夜空に白く浮かび上がる白石城。仙台よりかはもちろんのこと、石巻よりも静かです。ところで、白石といえば、うーめん。油の入っていないそうめんと言えばイメージしやすいでしょうか。麦と塩だけの素朴な麺で、飲み屋に蕎麦屋、小料理屋と、うーめんを出していない店が見つけられないほど。東京でも稀に乾麺なら見かけますけど、出している店は見当たりません。胡桃ダレの冷やしうーめんを蕎麦屋でいただいてから、帰途につきました。
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ということで、猫の島・キツネ村訪問記は、これにておしまい。
取って付けたようにココで載せるのもどうかと思いますけど、いくつかの写真を。まず1枚目。7月8日、鶴見のサルビアホールにて。荒井章乃さんが『無伴奏ヴァイオリンのための小ソナタ』を初演してくださいました。端正で美しい音程と音色の持ち主で、リハーサルの段階で僕が言うことは何もない状態まで仕上げてくださったので(本当に何も言わなかったので、かえって不安にさせたかもしれないですけど…)僕の作品も幸せでした。左はヴィオラの三浦克之さん。僕よりも派手な人を久々に見ました。長いことお二人でデュオのコンサートシリーズを開いているそうで、これが(僕好みの)渋い会でした。いずれはデュオを書きましょう、と、打ち上げの席でお約束しましたので、お楽しみに。
2枚目。8月24日、東京文化会館小ホールにて。東京リコーダー音楽祭で中村栄宏くんが『リコーダーとピアノのための小ソナタ』(同じタイトルだ…)を演奏。真ん中はリコーダーアンサンブル曲の作曲家として日本のリコーダー界でも馴染みの深いゼーレン・ジーク氏。この会のために来日されたそうで、インド料理屋でお昼もご一緒しました。作曲家らしからぬオープン・マインドっぷりで、良い人です。
3枚目。8月31日、新大久保のスタジオ・ヴィルトゥオージにて。この曲を中村くんと共に委嘱・初演し、CDにも収録してくれたピアノの安嶋健太郎氏と、客席にいらしていた作曲家の酒井健治氏。同年生まれで、名前こそ良く存じ上げているものの、この日が初対面。不良作曲家の僕はともかく、裏番組が芥川作曲賞だったのにコッチに来ちゃって良かったのでしょうか。
安嶋氏が音楽ジャーナリスト池田卓夫さんに「同年代の作曲家で誰のを演奏したら良い?」と相談した際、彼は「西澤健一、酒井健治」と名前を挙げたとかで、ありがたいことです。僕と酒井氏とは、作風というか、取り組んでいることの種類のようなものが違いますけど、あくまでこの世界は、幅広く、多様なスタイルの音楽が同時代的にあってはじめて豊かなのであるというところを強く共有していると思います。そんな話をネタにしながら中華屋で餃子を食べ、すっかり遅くまで一緒に飲んで、いろいろの話をして、酒井氏は新幹線を逃すという。学生時代を思い出すような、グダグダな一日を楽しく過ごしました、とさ。