2023年8月31日木曜日

歴史と標、歌と踊り

  「バッハやショパンのような天才はいったいどういう頭をしているんだろうと思いますね。あなたのように作曲家の前で言うことではないけれど、やはりああいう天才が出てこないと人を感動させるような音楽ってのは生まれないものなんでしょう。彼らがああいう音楽を作ってくれたから、僕たちはこうやって感動できるんで、あなたのような作曲家の前で言っちゃ失礼だけど、やはり昔の人は凄かったんだと思うんですよね。大変な苦労もあったんだろうけど、何よりも才能の違いがあるだろうし。現代の人間はダメですね。僕は戦争を経験して大変な時代に生まれたと思っていたけれど、でも良い時代に生まれたと最近ではつくづく思います。なにしろ最近の人間の音楽なんて聴いてもさっぱりで、あなたのように作曲している人に言うのは申し訳ないけれど、もう時代を動かしていくような大作曲家なんて残念ながら出ないんじゃないかと思いますよ。」

 十年ほど前、とある酒の席で、とある老人が、僕がクラシックの作曲家であると知るや演説を始めた。彼がバッハやショパンを愛するのは全く構わないし、むしろ素晴らしいことだけれども、「あなたのように作曲している人に言うのは申し訳ないが」と、作曲している人間の前で何度も何度も繰り返す無遠慮さにはさすがに苛立って、僕は次のように返した。

 「しかし、もしもバッハに生まれるべき魂がドイツではなくマダガスカルに生まれ落ちていたとしたら、彼はあの形式で『マタイ受難曲』を作曲することが出来たでしょうか?」

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 さて、先日、僕のプロフィール写真を撮ってくださったカメラマンであり、最近は彼女の主宰する「サロン・ド・ギフテッド」でもしばしばお世話になっている立花奈央子さんから、Twitter(当時)でこのようなネタを振られた。

 いろいろな角度でいろいろなことが言えるには違いないが、何を言うにしても前提としなければならないのは、歴史を歴史と認識するのは現在の我々に他ならないという視点であって、「なぜ現代に大作曲家が輩出されないのか」という問いの発想じたい、順序が逆なのである。つまり、ある時代のある作曲家を標とすることで我々はそのある時代の特徴を認識するのであって、その逆ではないということ。我々は単にその標を「天才」と呼び「大作曲家」と呼んでいるにすぎないこと。たとえバッハに生まれるべき魂が本当にマダガスカルに生れ落ちてしまったとしても、我々は別の「音楽の父」を戴いていたに違いないこと。…バッハのない音楽史を想像するのは、今日の我々にとってあまりに難しく、またさみしいが、もしかしたらそれに匹敵する以上の大損失を被っている世界線に生きている可能性は誰も否定できないこと。

 作曲家たちはそれぞれにしか書けない音楽を書いている。にも関わらず、我々はそれらを古典派・ロマン派と十把一絡げに認識している。そこに共通する特徴があるからだが、特徴を誰かに代表させるとは、それらが十分に相対化されていなければできない作業である。相対化のためのもっとも簡易な方法は、時間の経過だ。モーツァルトとシューベルトを並べても、誰も違和感を抱かない。同じく41歳差である美空ひばりと浜崎あゆみが同じ舞台に立っているようには見えていない。むかしのことはざっくりと扱えるのだ。これは後世に生きる人間の利点である。その利点によって、我々は過去を歴史にできる。メンデルスゾーンによる『マタイ受難曲』再演など、後世の人間が意識的に標を定めた例である。

 さて、1960年代以降という時代は、2020年代に生きる我々にとって十分に時間が経っているものと言えるのだろうか。僕にはわからない。存命の当事者も多くいる。が、時代を動かしたミュージシャンなら現にいる。大戦後の社会や人権の問題と真剣に対峙し戦ってきたのは大衆音楽であって、その摩擦の壮絶さゆえにメインストリームの地位を勝ち得た今日なのだから、この時代を代表する「大作曲家」が必ずしも芸術音楽の人間でなくてはならない理由などない。

 まだ正しく評価されていない作曲家もいるかもしれない。僕が学生時代を過ごした90年代後半など、一部のマニアくらいしかコルンゴルドを知らなかった。クラシックの演奏家はほとんどピアソラを弾かなかった。今では多くの愛好家が、好きな作曲家としてその名を口にする。そのようなことはこれからも当然起こる。この25年ほどでジャズがその評価を一転させ、「難しい」「高尚」なものと一般に形容されるようになったりもした。このようなことも当然起こる。当のロシアでは飲んだくれだの白痴だのとさんざん蔑まれたムソルグスキーがサン=サーンスに発見され、ラヴェルにオーケストレーションされ、新たなる影響を及ぼしはじめるようなことは、これからも起きる。

 第二次大戦以降、様々なジャンルでありとあらゆる音楽が書かれた。それらに共通する特徴はいずれ理論化・明文化されるだろう。そのプロセスを経て、後世の人々は彼らにとってたいせつな音楽を彼らの基準で選び、標を定めるはずである。これらは「歴史の審判を仰ぐ」「歴史家の判断を待つ」といったこととは違う。音楽はつねに新しく必要とされ、つねに新しく創造されている。新作だけでなく過去の楽曲も同様である。後世は後世の価値観で、その都度あらたに楽曲を必要とする。どんな記録媒体も音楽の当体にはなりえず、聴く人の五感のなかで瞬間的にしか実体化できない性質による。ルネサンスやバロックといった分類用語は美術の流用かもしれないが、実体がなく視認できない音楽分野において、標を定めることは、ひとつの創造性をもつ作業として起こる。

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 今日の大衆音楽の形式を端的に言うなら、それは「歌」が「踊り」に完全に取り込まれたものだ。拍は固定され、和声、構造は単純化される。どこの誰でも踊れなければならないから。音楽をつくるツールの環境変化によってその傾向はますます強固となっている。ただし、今日の大衆音楽を理解するのは案外簡単ではない。つまり、誰が何を歌っているのかを理解できるその内側にいなければならないから。今日のエンターテインメントは実在する個人をメディアに埋め込みアイコンとして機能させている。アイコンの歌う「歌」によって音楽を共有し、自らの「踊り」によってそのアイコンと一体化する。それは社会のなかで匿名の存在になる快楽ではないかと思う。今なお「踊り」は呪術的に機能している。が、いずれにせよ、アイコンの意味合いが理解できなければ楽曲の奥には入っていけないし、鑑賞よりも一歩踏み込んだ能動的作業を必要とする。

 一方、今日の「クラシック」をバッハ以降ウェーベルンくらいまでの芸術音楽と捉えるなら、これらの「踊り」は概念化されたものだ。アルマンド、クーラントはたまたワルツやマズルカといったタイトルが付けられていても、踊るために書かれたバレエ音楽にしても、拍は常に固定を逃れている。誰もが踊れるものではない。「歌」も同様、「クラシック」のルーツが歌にあり、その理論は声楽によって磨かれてきたに違いないが、オペラの発祥、劇場の拡大、器楽の発展とその音量の増大につれ変化した発声法を前提としている歌は容易に歌えるものではない。音楽が「歌」や「踊り」から分離独立しているのである。

 歌えないし踊れもしない。踏んだり蹴ったりだが、「歌」や「踊り」を犠牲にして音楽が手に入れたものは何かといえば、融通無碍に伸縮する時間だ。自在に拡大し、自在に縮小する。そうして音楽の場面ごとに解像度を切り替える。神の子が息絶え天幕の破ける瞬間や、ジプシー女の腹にナイフが刺さる瞬間、そうした瞬間を拡大して人に見せる技術…演劇性だ。そして、オペラによって磨かれたフレキシブルな時間操作に、作曲家たちは建材としての実用性を見出す。彼らはこぞって仮想的な空間のなかに交響曲という名の空想上の伽藍を建てた。

 「クラシック」は、十分に概念化がなされた「歌」や「踊り」を素材としている。咀嚼され消化された「歌」と「踊り」だ。聴衆にそれらの所作を求めない。ゆえに開かれている。何語で書かれていようと広く一般に開かれている。芸術は万人に開かれているというのが大前提だ。理解の内側にいることを前提とはしない。例えば由緒ある教会を訪れ、その建築、調度、装飾を眺めるとき、それらの美しさを味わうために必要な前提は、その場に赴くこと以外ない。咀嚼も消化も済んでいるからそこに実体化している。縁起を知ればなるほどと感心したりもするが、それはまた建築そのものとは別の喜びだ。ましてや、設計した人間が人生で何人と結婚し、何回性病にかかり、何回破産したかなどを知れば建築物への理解が深まるというようなことは一切ない。

 唯一、わからないことをわからないままサスペンドできる最低限の知性のみが求められているのだが、作曲家や演奏家をアイコン化し、彼ら彼女らの人生の悲喜こもごもにかこつけて作品を理解しようとする日本の「クラシック」鑑賞は、大衆音楽の影響なのかわからないが、少なくともそのあり方は共通しており、拙速に「大作曲家」を求める姿勢はこうした部分に端を発している。いつぞやのゴーストライター騒動は、その拙速さ、こらえ性のなさの露呈だった。

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 「歌」の記録から始まった音楽の歴史(歴史を歴史と認識できるようになったその歴史)は、「歌」と「踊り」との間をゆらぎながら、音楽を享受する層や人口の増減、生活環境の変化やツールの進化といった社会的環境の影響を形式に宿しつつ進む。冒頭の譬えはそういう意味だ。マダガスカルに生まれたバッハも作曲したろうが(きっと素敵な音楽を書くだろうが)「マタイ受難曲」にはならない。これから生まれる音楽も当然社会からの影響を受けるが、歴史に置かれる標もまた社会からの影響を受け続ける。時にはメンデルスゾーンの例のように、意識的に、新たに標が置かれることもある。今日の古楽がその例だ。

 どうも音楽の人は「ジャンル」という言葉を嫌う傾向があるように思うが、形式やスタイルが増えるということは、それだけ人間のできることが増えたという証だ。我々が我々の時代を謳歌している証でもある。音楽の楽しみが性別や人種の垣根を打ち払い、書き、弾き、聴くという営みが80億人の乗算で行われている現代、バッハの時代の10倍以上の人間が暮らす現代において、ジャンルが細分化していくのは自然なことである。江戸期の三味線音楽に起きたことと同じだ。世界人口が減少に転じてからの未来を生きる後世の人々は我々の時代を羨むだろう。我々の時代は多くのリソースを音楽に割いても社会が成り立つ環境にあって、ありとあらゆる趣味が許されている。この贅沢が許されているうちに、ありとあらゆる楽しみを試み尽くすことこそ、後世への遺産になると思う。

 ともに歌い踊ることではじめて共有しあえる音楽がある。ひとり黙って空間と対峙してはじめて味わえる音楽がある。それぞれにできること、それぞれにしかできないことがある。僕は、そのあまたある、ありとあらゆる音楽のうちのひとつ、伸び縮みする時間を楽しみ、抽象的なことを抽象的なまま楽しむ「クラシック」を、書いたり弾いたりすることで楽しんでいる。