もう僕の記憶も薄れつつありますし、今からまとめの文章を書くのも難儀なので、代わりにこれを転載しておこうと思います。バックナンバーもあるところにはあるみたいですけど、そろそろ手に入りにくい頃でしょうから(もともと手に入れやすい雑誌ではないですけど)。
署名活動自体はサイト立ち上げから丸1年経ったところで打ち切りましたが、2万筆を預かる責任の重さが身に堪えたのはもちろんのこと、400字詰め原稿用紙にして約550枚分にもなる2,000件のコメント欄には胸を打たれました。新垣さん個人に、というよりも、音楽への愛に満ちた文章や、社会に鋭い目線を向ける文章の数々。どれも熱く、真摯なもので、保管しておくだけでなく社会共有の財産としてどうにかならないものか、と思いますが、どうにかならないものでしょうか。
時間は取られるし仕事もしなきゃいけないしで、特に「白紙撤回」報道直後に頂いた数多くのメールには返信もままならず、失礼を致しましたので、改めて、サイト管理人として、協力してくださった皆様にお礼を申し上げたいと思います。今やすっかり僕の想像のナナメ上を行く活躍をしておられる新垣さんですが、「笑ってはいけない24時」で鼻にクワガタ乗せていたのには嫉妬すらしましたが、皆様のおかげでひとりの音楽家の社会的名誉が守られたことに、心から感謝します。
現物は手に入りにくい、とは言っても、電子書籍版はまだ買えるようです。
署名サイトについて深く取材してくれたのは、フランスの放送局やらアメリカの新聞社やら、海外ばかり。日本の某放送局の取材は、正直に言ってあまり心地良いものではなく(しかも流れたし)、このような記事が書けたのは芸術現代社だけでした。ここで宣伝しても僕には一銭にもならないんですけど、僕がこの文章を書いた意図(さらには、僕に書かせた編集部の意図)が特集全体を見渡せばもっと明瞭になるとも思うので、もし良ければ、お買い求めください。ついでに、この号の真ん中らへんにある僕の連載「昭和音楽横丁」もご笑覧頂ければ、幸いであります。
* * *
◆自称「共犯者」の問いかけたもの~新垣隆氏・署名サイトの内側から
西澤健一(作曲家)
実際は非常に単純なことだ。
だが、その単純な話が間もなく複雑に考えられ、論じられ、こじれていく。この問題の根深い本質が、そこにあると言える。
「私は、佐村河内さんの共犯者です」
彼を知る者たちが一様に戦慄した木曜。18年も世間を欺き続けた悪人としてテレビではバッシングの嵐が吹き荒れ、桐朋学園から「厳正に対処」の発表も重なる。皆と相談するなかで浮上した案を拾い、彼らの言葉をひとつの文章にまとめ、オンライン署名収集ウェブサイト「Change.org」上に「新垣先生に寛大な対処をお願いします」というキャンペーンを立ち上げたのが金曜。24時間も経たないうちに約5千人の署名を集め、8千人を超すところで退職の白紙撤回が報道された火曜。時間と勝負した今年2月の初旬だった。
その間、私はブログでも論を綴り、国内外メディアの取材も受けた。
――手帳取得の02年1月21日より前に着手している。01年のエピソードが「文春」記事中にあった。それが「全聾の天才作曲家が書いた大交響曲」として大々的にメディアで取り上げられることになるだろうなどと、どうして予想できよう。抜粋版の初演が08年9月、テレビ番組の特集が13年3月。のったり10年も寝かせる悪事なんぞあるものか――
それでも「共犯者」という強い言葉を選んで自らを断じた新垣氏には、よほどの覚悟があるに違いない。私には、その覚悟のほうが大事だった。
◇
氏は結局講師の委嘱を辞退したものの、署名サイトはいまだ賛同者の絶える気配がない。6月25日現在で19,385名の善意を頂き、コメント欄の書き込みも2千件を超えている。
もちろん、彼個人の知り合いだけでこの数になるはずもない。
当初は桐朋学園の学生、OB・OG、彼を個人的に知る者たちによって展開された運動だったが、次第に「音楽とは関係ない者ですが」と但し書きされた一般の方々も目立つようになった。ほとんどがテレビでたまたま耳にした佐村河内氏名義の作品に興味を持った方で、時節柄、フィギュア・高橋大輔選手を通して『ソナチネ』を知った方が多かった。中には「日本人作曲家の曲だと今回の騒動で初めて知りました」という極端な例もあって驚く。
一方、ドキュメンタリー番組を視ていた方となると、「自伝も読みましたが、それは素人目にも、正直、胡散臭く」「会見でようやく腑に落ちました」など、ブーム当初から懐疑的な目で眺めていた記述が目につく。「佐村河内氏名義の作品は全く好きになれないし、YouTubeにアップされている本人名義の作品はよくわかりません」という正直な告白もあった。
それでもこの方が署名された点を、私は注視する。
「そもそも何が共犯なのですか」「名前で売るようなビジネスとしての音楽にはとっくに失望しています」「許してやれよ、何も実害ないだろ」
端から仕舞までマスメディアに左右されていない冷静な大衆というものの姿が、そこには浮き彫りにされていた。
ならば、いったい誰が「佐村河内守」の名前に冷静さを失っていたのだろうか。
「名誉毀損で訴えます」の会見から数日。
面倒なことになりつつあった状況を憂慮し、「文春」編集部に連絡を取り、新垣氏と面会した。彼は渦中の人物とは思えないほど息を切らせ走ってきて、変わっておらず、ほっとした。署名サイトの管理人として今後の対策を練るつもりで来たのに、話がすべて音楽の方向に流れてしまい、意味があったのか無かったのか、未だによく分からないままだ。
「あの曲でね、クラシックで遊んでくれる人が増えたらと思って」
ただ、さりげなく彼はこう言った。
私は佐村河内氏がゲーム音楽の作家として名を成したことを思った。管弦楽に編曲されたゲーム音楽の演奏会を今日よく見かける。それがどれだけ日本の子供たちに生の楽器の素晴らしさを伝えてきたか分からぬ。ゲーム音楽作家が画面を抜けだし交響曲を作ったのなら――それが本当だったら――素晴らしいことだったろう。30年になろうゲーム音楽の蓄積が交響曲を生み出したなら、本当は我々こそが、それを賞賛すべきだっただろう。
しかし実際には初演まで5年も掛かっている。この5年を私は考える。
資料として、氏からは『ピアノのためのレクイエム』およびその指示書と『ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ』の楽譜を預かった。
「指示書どおりに書けてるかどうか、西澤さんに分析してもらいましょう」
◇
(1)前提として、氏はもともと引用・借用を不可としていない。無伴奏チェロのための「見えないパッサカリア」でも、バッハ無伴奏の断片やシューベルト「未完成」の序奏がそれとわかる形で引用される。ベリオ「シンフォニア」におけるマーラー2番の引用はもちろん、引用された側のマーラー5番にもベートーヴェン5番の聴覚的な借用・暗喩が随所に見られる。もちろん故意だろう。そのベートーヴェンにしても、6番のアイデアとユスティン・ハインリヒ・クネヒトの類似性が指摘される。これらが不問に付されるなら、佐村河内氏名義の作品でも不問とされなければならない。作家はときに過去の作家に胸を借り、戯れながら、技術を磨くのだ。
(2)氏自ら「文春」で語ったことだが、マーラー3番の類似が指摘されている『HIROSHIMA』の箇所は、私の耳にも「宇宙戦艦ヤマト」に聴こえる。これは、その場を特徴付ける素材のどちらを把握するかという聴覚の問題であって、私の場合、金管などで吹奏されている和音のほうに耳が向いたという話である。ブラームスの技術を援用した部分が聴衆にはドビュッシーの流用と受け止められるようなことは、私自身よく体験することだ。
(3)サブカルチャー的事象が落とし込まれる基材となるのはドイツ古典ロマン派ではなくフランス・ベルギーロマン派から近・現代に至る技術で、指示書に「古典的序奏」「バロック主題」が指示されている『レクイエム』は、プーランクが古典の顔をするときの書き方に近い近代風の事象に、フランクのオルガン曲の書き方に近い事象が組み合わされている。これは私の見る限りもっともサブカルチャーの文脈が利用されていない曲で、ほんのり倍音で匂わす程度の「佐村河内風」となっている。作曲の技術が向上したので感謝していると手記にあるのは、きっとこのような意味だろう。それを思えば『HIROSHIMA』の頃はまだまだ依頼主の機嫌を伺っている箇所が多かったが、しかしリゲティの楽器法からの影響も認められる。
(4)氏は自身の作品についてパラフレーズ、パッチワークということを良く言う。「様々な音楽の事象の並列」との説明である。本人名義の作品では素材感の差異が明確となるよう組み立てられるが、佐村河内名義作品では素材を限定し、非常に滑らかに繋がれるので、気づきにくい。『ソナチネ』でも調的に安定したサブカルチャー的事象と、不安定に転調を重ねる事象(as mollのI度1転からFes dur同主短調V9を異名同音で読み替えa mollのI度2転に転調するなど、なかなかマニアックである)が並列する。本人に自覚があるかどうか私にはわからないが、手法を同じくした彼一連の作品群であると言える。
◇
以上が、楽譜と音源とを冷静に分析した結果である。
「あの交響曲を聴いたときには胃の腑が騒ぐような感動を覚え、それは今でも変わりません。しかし、現代音楽で使われている語彙と日常の私たちの語彙が何ら変わらないことを、本人名義の作品を通して知ることができました」
私のもとに届いたメールの一通だが、このような文章を書く聴衆は、まこと非凡であると言わねばならない。
食事と同じく、音楽も、耳に入った時点ですでに理解が始まっている。
胃に多くのものが入れば消化に時間が掛かる。音楽も同様である。マスメディアに乗ったために佐村河内氏名義作品は多くの人の耳に触れることになったが、「現代のベートーヴェン」という修飾語のために、その分、消化不良となった。佐村河内氏の人となりに興味を持たなかった人だけが、自分にとっての好き嫌いだけの、即座の判断を下せているのである。
本家のベートーヴェンはどうだろう。いつまでも彼は耳の聞こえない、苦悩から歓喜に至る、そういう歴史上の伝説的な偉人としてヘレン・ケラーの伝記と並べられ続けている。彼の大事な側面に違いないが側面に過ぎない。時折り調機能を無視しながら3度音程の核を高速で回し莫大なエネルギーを生み出していく超絶な技術者としての面を、他ならぬ音楽家たちが、強調していない。それどころか音大の4年間で一通り書けるようになるものだとすら軽んじられている。
◇
音楽家たちの言説があふれ、それらは芸術論争へと発展し、主役そっちのけで芸術音楽と大衆音楽とが戦うことになった。
私にはポピュラー音楽や劇伴と誠実に向き合い真面目な仕事をしている大事な友が多くいる。心が痛かった。どんな芸術作品も、大衆文化も、「創る」ことを煎じ詰めれば行き着くところは同じだということを、私は彼らから学んできた。
人の価値観とは多様であるから、同じ酒を飲んでも甘いという人もいれば苦いという人もいる。素晴らしい酒だと勧められても、飲めない人は飲めない。飲むなと言われても飲む人は飲む。当たり前と言えば当たり前の話だが、そんな当たり前のことを我々はともすると忘れがちになる。美学や精神の名のもとにおいて。
演奏家は出来上がった楽譜から音楽を探訪し、作曲家は白紙の状態から音楽を把握する。正反対から眺める世界は、最後ひとりひとりの聴衆のなかで結ばれる。時間の経過のなかの音程の変化に遊ぶ。時間の設計に遊ぶ。そのようにして現在という時間を人々が共有していく。
音楽とは、それだけで充分面白いもののはずではなかっただろうか。
最後に、『HIROSHIMA』は本来あるべきサイズまで縮小した上で、当初の目的に沿うよう『青少年のための交響曲入門』と改題することを、私は新垣氏にお勧めしたい。