2026年2月1日日曜日

「モンゴル・日本友好の架け橋オーケストラコンサート」プログラムノートとスピーチ


 2026年1月31日(土)に開催された「モンゴル・日本友好の架け橋オーケストラコンサート」にて掲載されたプログラムノート、および当日のスピーチを記載します。なお、この執筆時点では知りませんでしたが、当日馬頭琴を演奏した、国際馬頭琴協会会長でもあるジグジットドルジ・ナンザドルジ氏によると、モンゴル人以外で馬頭琴のための協奏作品を作曲したのは、私が初めての例のようです。

 ◇楽曲解説

 ◆馬頭琴、ピアノと管弦楽のためのオード op.125

 本年10月に委嘱を受け、11月に作曲。本公演のための書き下ろし。

 企画書には「委嘱新作」とだけ書かれていたので、この公演の性質上、きっとモンゴルの作曲家が書かれるのだろうと思っていたら、私がその大役を仰せつかることになった。

 私がこの作品で試みたのは次の点である。すなわち、モンゴル音楽の特徴を援用しリスペクトを示すこと、日本の伝統的な音程を差し込み友情を示すこと、それを西洋音楽のフォーマットに落とし込むこと。私はあえて、日本でもモンゴルでもなく、この音楽をコラールで始めてみることにした。文語訳詩編にもとづく未発表の合唱曲のセルフ・クォーテーションである。ちなみに、それは次のような歌詞だった。「我たへしのびて主を俟望みたり/主、我にむかひてわが號呼をききたまへり/また我をほろびの阱より泥のなかよりとりいだし/わが足を磐のうへにおきわが歩をかたくしたまへり/主はあたらしき歌をわが口にいれたまへり/此はわれらの神にささぐる讃美なり(40:1-3)」独奏楽器はこれに唱和したのち、それぞれの道を開いていく。モンゴルの喉歌(ホーミー)や日本の能管・竜笛の暗示として、オーケストラのバス・クラリネットとピッコロにも特別な役割が与えられている。

 タイトルを「協奏曲」ではなく「オード(頌歌・頌詩)」としたのは、冒頭のコラール原曲の歌詞に「讃美」という言葉がでてくるからでもあるが、モンゴルの音楽をインプットしているとき「マグタール(讃歌)」と名の付くタイトルの曲をいくつも聴いたので、そこからも影響を受けているかもしれない。

 ◆2台ピアノのための協奏曲 op.119

 2021年の12月、日本ウクライナ芸術協会を主宰する澤田智恵氏より、日本とウクライナの国交樹立30周年を記念するコンサートのための新曲を委嘱された。当初は2022年10月に現地で初演されるはずだったが、誰もが知っている通りの理由で不可能になり、私は戦災支援のチャリティコンサートのために、戦禍から逃れてきた音楽家の伴奏をし、ウクライナの民話にもとづく朗読のための伴奏音楽を書くことになった。

 現地で演奏できない代わりに東京でそのコンサートを開こうと思い立ち、委嘱者にも協力を仰ぎながら企画を立て、これら伴奏音楽を再構築し、現実世界のウクライナに寄り添う鎮魂歌として「2つのヴァイオリンのための協奏曲」を、侵略のない世界線で演奏されただろう祝祭的な喜遊曲として「2台ピアノのための協奏曲」を書き、同年7月初旬に完成させた。予期せぬ忙しさが祟ってか、完成後間もなく、私は網膜剝離を患ってしまった。

 堂々として華やかな第1楽章、スケルツォ風の第2楽章、リリカルな歌が熱を帯びゆるゆると崩壊していく第3楽章、第4楽章は冒頭の畳句が異なる調へと飛び移りながら15回繰り返される。民話のなかの小動物たちと愚者が優しくたわむれ、40樽の葡萄酒をたった一口で飲み干してしまう男が高らかに歌う。私が子どもの頃、ソ連崩壊の折にテレビで聞いた「武力の脅威、不信、心理的・イデオロギー的な闘争は、もはや過去のものになった」というミハイル・ゴルバチョフの言葉が、ふたたびこの世界で輝かしく宣言される日が来ることを祈り、この引用にメッセージとして託した。

 花房姉妹のピアノと私自身の指揮により初演。私は本番一週間前に最後の9度目の手術を受けたばかりで、左目がまったく見えなかった。終演後、舞台裏で「楽しかった!」と叫ぶ姉妹の姿を右目で記憶している。

 ◇スピーチ

 作曲家の西澤健一です。

 ただいまお聴きくださいました作品、そして、次に演奏される作品の作曲家であります。舞台転換の時間を少々拝借いたしまして、作曲者として、一言ご挨拶を申し上げます。

 私はクラシック音楽の作曲家を自認するものでありますが、クラシックと一口に申しましても、宗教にはじまり、王侯貴族の楽しみとなり、革命の時代を経て、国民国家建設のため民衆の愛国心を鼓舞するものになっていった、そのような歴史がございます。では20世紀以降、なかんずく戦後の音楽は何だったのかというに、これは新しい時代、新しい秩序に共鳴する理想主義的な進歩史観というものに焦点があたっていたのだろうと考えます。

 我が国はどうだったか。「日本の伝統楽器をいかにも自然にブレンドするようなことが、作曲家のメチエであってはならない」とは、我が国を代表する作曲家、武満徹がその代表作「ノヴェンバー・ステップス」について語った言葉ですが、この日本に生まれた自分とは一体なんなのだという、敗戦で打ち砕かれたアイデンティティを再び打ち立てることが、我が国60年代の作曲家たちにとって切実な課題であったのだろうと、思いを致します。

 さて、この「いかにも自然なブレンド」を避けるという音楽的な教訓は、私もまた、それに学ぶところです。「いかにも自然」にしようとするとき、異なるものを足して2で割るかのごとく、同質化させようという作為が働きます。それは「不自然」なことです。異なるものが、異なるままにある。針葉樹、広葉樹、コケ、シダ、菌類、それらが好き勝手に生えてはじめて自然である。私たちの時代は、これを「多様性」と呼んでいます。この作品においては、モンゴル、日本、そして世界言語が同時にある、多様なものが同じ世界に同時に存在する、ゆえに調和するのだ、対立せず対置もされないのだという作品を目指しました。

 次に演奏される作品「2台ピアノのための協奏曲」は、プログラムノートにも記しましたとおり、戦争がきっかけで書かれた作品であると言えます。何しろ当事国との関係があってから作曲されたもので、私はどうしても、現実の悲劇に寄り添った作品を書かずにいられなかった。それはそれで別の作品になりました。けれども、それだけで終わるのであれば、この世はあまりに辛く、生きるに値するとは思えない。争いのない世界線で響くはずだった祝典曲もまた、どうしても書かなくてはならなかった。

 ある意味、私は夢物語を書いたと言えます。今日の社会において、こうした夢は非現実的な「きれいごと」として軽んじられる風潮もある。しかし、今は亡き私の両親は、歳をとってからの子どもでしたから、父母ともに戦争時代の記憶がございました。目の不自由だった母が防空壕で空襲を耐え、米粒の泳ぐお粥を啜って腹をなだめたという話を、私は聞いて育ちました。その記憶を受け継ぐ芸術の人間は、いま一度「夢」や「希望」、「平和」というものを、大真面目に謳い上げなければならないのではないかという、その思いを、私は日に日に強く致しております。

 そしてその平和は、いまちょうど私がしたように、異なる背景を持つもの同士が存在を認め合い、たとえ理解が至らなくとも、肩を寄せ抱き合うことによってしか生まれ得ないのではないか。世界は一色ではない。なればこそ美しい。世界が不穏な動きを見せる今日だからこそ、「多様性」と「平和」、この二つこそが21世紀の道標であると、皆様と共に、改めて確かめたいと思います。

 準備も済んだようですが、最後に一つだけ。このモンゴル、日本という記念すべき席において、私の拙い作品ではありますが、演奏されるということを、私の誇りとして、今後ますます精進して参りたいと思います。ご来場の皆さま、そして関係者の皆さまに厚く御礼申し上げます。どうぞ引き続きお楽しみください。ご清聴ありがとうございました。