2026年2月1日日曜日

「モンゴル・日本友好の架け橋オーケストラコンサート」プログラムノートとスピーチ


 2026年1月31日(土)に開催された「モンゴル・日本友好の架け橋オーケストラコンサート」にて掲載されたプログラムノート、および当日のスピーチを記載します。なお、この執筆時点では知りませんでしたが、当日馬頭琴を演奏した、国際馬頭琴協会会長でもあるジグジットドルジ・ナンザドルジ氏によると、モンゴル人以外で馬頭琴のための協奏作品を作曲したのは、私が初めての例のようです。

 ◇楽曲解説

 ◆馬頭琴、ピアノと管弦楽のためのオード op.125

 本年10月に委嘱を受け、11月に作曲。本公演のための書き下ろし。

 企画書には「委嘱新作」とだけ書かれていたので、この公演の性質上、きっとモンゴルの作曲家が書かれるのだろうと思っていたら、私がその大役を仰せつかることになった。

 私がこの作品で試みたのは次の点である。すなわち、モンゴル音楽の特徴を援用しリスペクトを示すこと、日本の伝統的な音程を差し込み友情を示すこと、それを西洋音楽のフォーマットに落とし込むこと。私はあえて、日本でもモンゴルでもなく、この音楽をコラールで始めてみることにした。文語訳詩編にもとづく未発表の合唱曲のセルフ・クォーテーションである。ちなみに、それは次のような歌詞だった。「我たへしのびて主を俟望みたり/主、我にむかひてわが號呼をききたまへり/また我をほろびの阱より泥のなかよりとりいだし/わが足を磐のうへにおきわが歩をかたくしたまへり/主はあたらしき歌をわが口にいれたまへり/此はわれらの神にささぐる讃美なり(40:1-3)」独奏楽器はこれに唱和したのち、それぞれの道を開いていく。モンゴルの喉歌(ホーミー)や日本の能管・竜笛の暗示として、オーケストラのバス・クラリネットとピッコロにも特別な役割が与えられている。

 タイトルを「協奏曲」ではなく「オード(頌歌・頌詩)」としたのは、冒頭のコラール原曲の歌詞に「讃美」という言葉がでてくるからでもあるが、モンゴルの音楽をインプットしているとき「マグタール(讃歌)」と名の付くタイトルの曲をいくつも聴いたので、そこからも影響を受けているかもしれない。

 ◆2台ピアノのための協奏曲 op.119

 2021年の12月、日本ウクライナ芸術協会を主宰する澤田智恵氏より、日本とウクライナの国交樹立30周年を記念するコンサートのための新曲を委嘱された。当初は2022年10月に現地で初演されるはずだったが、誰もが知っている通りの理由で不可能になり、私は戦災支援のチャリティコンサートのために、戦禍から逃れてきた音楽家の伴奏をし、ウクライナの民話にもとづく朗読のための伴奏音楽を書くことになった。

 現地で演奏できない代わりに東京でそのコンサートを開こうと思い立ち、委嘱者にも協力を仰ぎながら企画を立て、これら伴奏音楽を再構築し、現実世界のウクライナに寄り添う鎮魂歌として「2つのヴァイオリンのための協奏曲」を、侵略のない世界線で演奏されただろう祝祭的な喜遊曲として「2台ピアノのための協奏曲」を書き、同年7月初旬に完成させた。予期せぬ忙しさが祟ってか、完成後間もなく、私は網膜剝離を患ってしまった。

 堂々として華やかな第1楽章、スケルツォ風の第2楽章、リリカルな歌が熱を帯びゆるゆると崩壊していく第3楽章、第4楽章は冒頭の畳句が異なる調へと飛び移りながら15回繰り返される。民話のなかの小動物たちと愚者が優しくたわむれ、40樽の葡萄酒をたった一口で飲み干してしまう男が高らかに歌う。私が子どもの頃、ソ連崩壊の折にテレビで聞いた「武力の脅威、不信、心理的・イデオロギー的な闘争は、もはや過去のものになった」というミハイル・ゴルバチョフの言葉が、ふたたびこの世界で輝かしく宣言される日が来ることを祈り、この引用にメッセージとして託した。

 花房姉妹のピアノと私自身の指揮により初演。私は本番一週間前に最後の9度目の手術を受けたばかりで、左目がまったく見えなかった。終演後、舞台裏で「楽しかった!」と叫ぶ姉妹の姿を右目で記憶している。

 ◇スピーチ

 作曲家の西澤健一です。

 ただいまお聴きくださいました作品、そして、次に演奏される作品の作曲家であります。舞台転換の時間を少々拝借いたしまして、作曲者として、一言ご挨拶を申し上げます。

 私はクラシック音楽の作曲家を自認するものでありますが、クラシックと一口に申しましても、宗教にはじまり、王侯貴族の楽しみとなり、革命の時代を経て、国民国家建設のため民衆の愛国心を鼓舞するものになっていった、そのような歴史がございます。では20世紀以降、なかんずく戦後の音楽は何だったのかというに、これは新しい時代、新しい秩序に共鳴する理想主義的な進歩史観というものに焦点があたっていたのだろうと考えます。

 我が国はどうだったか。「日本の伝統楽器をいかにも自然にブレンドするようなことが、作曲家のメチエであってはならない」とは、我が国を代表する作曲家、武満徹がその代表作「ノヴェンバー・ステップス」について語った言葉ですが、この日本に生まれた自分とは一体なんなのだという、敗戦で打ち砕かれたアイデンティティを再び打ち立てることが、我が国60年代の作曲家たちにとって切実な課題であったのだろうと、思いを致します。

 さて、この「いかにも自然なブレンド」を避けるという音楽的な教訓は、私もまた、それに学ぶところです。「いかにも自然」にしようとするとき、異なるものを足して2で割るかのごとく、同質化させようという作為が働きます。それは「不自然」なことです。異なるものが、異なるままにある。針葉樹、広葉樹、コケ、シダ、菌類、それらが好き勝手に生えてはじめて自然である。私たちの時代は、これを「多様性」と呼んでいます。この作品においては、モンゴル、日本、そして世界言語が同時にある、多様なものが同じ世界に同時に存在する、ゆえに調和するのだ、対立せず対置もされないのだという作品を目指しました。

 次に演奏される作品「2台ピアノのための協奏曲」は、プログラムノートにも記しましたとおり、戦争がきっかけで書かれた作品であると言えます。何しろ当事国との関係があってから作曲されたもので、私はどうしても、現実の悲劇に寄り添った作品を書かずにいられなかった。それはそれで別の作品になりました。けれども、それだけで終わるのであれば、この世はあまりに辛く、生きるに値するとは思えない。争いのない世界線で響くはずだった祝典曲もまた、どうしても書かなくてはならなかった。

 ある意味、私は夢物語を書いたと言えます。今日の社会において、こうした夢は非現実的な「きれいごと」として軽んじられる風潮もある。しかし、今は亡き私の両親は、歳をとってからの子どもでしたから、父母ともに戦争時代の記憶がございました。目の不自由だった母が防空壕で空襲を耐え、米粒の泳ぐお粥を啜って腹をなだめたという話を、私は聞いて育ちました。その記憶を受け継ぐ芸術の人間は、いま一度「夢」や「希望」、「平和」というものを、大真面目に謳い上げなければならないのではないかという、その思いを、私は日に日に強く致しております。

 そしてその平和は、いまちょうど私がしたように、異なる背景を持つもの同士が存在を認め合い、たとえ理解が至らなくとも、肩を寄せ抱き合うことによってしか生まれ得ないのではないか。世界は一色ではない。なればこそ美しい。世界が不穏な動きを見せる今日だからこそ、「多様性」と「平和」、この二つこそが21世紀の道標であると、皆様と共に、改めて確かめたいと思います。

 準備も済んだようですが、最後に一つだけ。このモンゴル、日本という記念すべき席において、私の拙い作品ではありますが、演奏されるということを、私の誇りとして、今後ますます精進して参りたいと思います。ご来場の皆さま、そして関係者の皆さまに厚く御礼申し上げます。どうぞ引き続きお楽しみください。ご清聴ありがとうございました。

2025年9月5日金曜日

「短い」「易しい」「親しみやすい」クラシック音楽があったとして

 新日本フィルハーモニー採用情報について一言。

 自分の住まう業界を「衰退産業」だの「斜陽産業」だのと形容することについて、僕は何とも思いません。それはそれでひとつの正しい現状認識です。僕は「イノベーションを起こすには正しい現状認識が必要だ」といった文脈で言ってもいません。我々が夕張最後の炭鉱夫で一体何が悪いんでしょうか。むしろ誇っても良いじゃないですか。
 仮にクラシック音楽が終わっても、人類数千年の歴史のなかのたった250年程度の流行が終わるに過ぎず、人間が生きていく以上は、どんな形式になるにせよ、音楽もまた必ず続いていきます。何を悲しむ必要がありましょうか。だいたい、クラシック音楽だけでなく、どうせ46億年後には太陽に飲み込まれて地球も消えて無くなりますから、心配いりません。

 しかし、僕が申し上げたいのは、2日経過した時点で43万ビューがあった件のポストに、いったいいくつのクラシック音楽家/愛好者以外のリプライがあるのか、という点です。9月5日20時現在、リポスト428、いいね394。これはフィルターバブルの外側に影響を及ぼせていると言える数字でしょうか。「自由な発想で何でもできる」貴重な人材を、クラシック音楽の枠を超越したところからリクルートできる数字でしょうか。
 結局のところ、クラシック音楽の外側の人間に届いている気配がない。バズを狙ったのにコケている、おもろない、炎上にも至っていない、ということが何より恥ずかしく、運営にもっとも猛省を促したいところです。多くの人の反発も、衰退うんぬんよりむしろ「安易にバズを狙いに行った」「ネット文化におもねりに行った」点に集約されると思います。昔の人の格言「半年ROMれ」を謹んで思い出しましょう。

 内容についてもう一つ申し上げるならば、「長い」「難しい」「堅苦しい」を「三重苦」と表現されている点について。運営の意図する「自由な発想」とは、結局のところ、これらの反対の意味の言葉を挙げてみれば、透かし見ることができます。すなわち、「短い」「易しい」「親しみやすい」といった言葉です。
 さて、「短い」「易しい」「親しみやすい」クラシック音楽があったとして、それが広く初心者層にも受け入れられるものとして、なぜ今、その音楽は広く聴かれていないのか。そんなウケる曲があったとして、オケの客席は埋まっていないのか。ここを考えれば、おのずと答えが出るはずです。だいたいクラシック音楽の枠内の人間が考える「易しい」「親しみやすい」そのものが、世間から乖離している認識を持った方が良い。

 クラシック音楽の内側の人間が定義する「親しみやすさ」なんて、外の人間にはちっとも親しみやすくありません。でも、「こいつらには易しい曲でも聞かせておけ」という上から目線だけは、どんなにクラシックを知らない聴衆にも必ず伝わります。すなわち、この発想こそ正真正銘の衰退への道に他ならず、ならば我々は、「ブルックナーを80分浴びると7つのチャクラが浄化される」などという如何わしい商売をしたほうが、よほどカネになるというものです。

 いいや、それでもやっぱり親しみやすい曲は必要だ。お客さんを呼ぶためにゲーム音楽をやろう。ドラクエ、FF、クロノクロス。それらを演奏して、ゲームのファンを呼ぶ。たしかに一時の糊口は凌げるかもしれない。けれど、その人たちがクラシック音楽のファンになることはありません。のだめは我々をのだめファンにはできたけど、我々はのだめファンをクラシック音楽ファンにはできなかった。
 僕が11年前の2014年に何を書いたか、思い出せる人は思い出して頂きたいんですが、だからこそ僕は、今でも、「ゲーム音楽作家」という格で「交響曲」という名の商品を「売った」あの人のことを評価しています。「越境」ということです。この20年、そうとう下品な飛び道具を使わなければ越境できないという実例を示した点においても、僕はあの人のことを評価しています。僕は怒ってないですよ、ゴーチさん。

 先の20年間よりいっそう強固なフィルターバブルがある現在の社会で、どのように「越境」していくか。それこそ我々の業界の先達には、その例を残した人がいるんじゃないですか。自分たちが関わっている音楽の歴史を謙虚に学ぶしかないんじゃないですか。少なくとも言えるのは、一時一瞬の「バズ」といったものでは不可能なんです。それは必ず収束しますから。収束しない影響力を保つためには、どんなに小さく地味に見えても、自分の足で拡げていくしかない。そのためには、「ネットでウケるコンテンツ」「消費されるコンテンツ」への誘惑を、きっぱりと断つところから始めなければなりません。

 追伸。バズを狙いたかったなら、せめてこうした下品なフォントで書いて欲しかった。


(9/7追記)
じゃあどんな言葉なら良かったのか。って考えているんですけど、もうストレートに「助けてください!!」って書いたほうがずっと良かったし、もっと伝わるんじゃないですかね。上目遣いに「クラシックって世間にはこう思われてますよね?ですよね?」ってお伺いを立てているのが見えちゃってる、ってのが一番悪いので、自分たちの正直なところを正直に表現するのがいちばん良いです。

だいたいクラシックの枠内の人間なので、自分たちはクラシック音楽を「長い」「難しい」「堅苦しい」などとは考えてない(はず。)つまり自分に嘘をついている。そここそが批判の元凶。

何より正直さが大事です。例えばこんな感じはどうですか。

「助けてください!!僕たちは最高に面白いプログラムだと思って企画してるんです!!でもお客さん頭打ちなんです!!クラオタじゃない人たちにも来てほしいんです!!陽キャのデートにも使って欲しいんです!!もっと多くのみんなにたくさん聴いて欲しいんです!!でもアイデアないんです!!助けてください!!」

2025年8月10日日曜日

文学や芸術は何のためにあるのか~総理あいさつから

 「太き骨は先生ならむ そのそばに 小さきあたまの骨あつまれり」

 8月6日、ラジオ状態で広島市原爆死没者慰霊式の総理あいさつを聞いていた僕は、すぐには短歌だと気付きませんでした。歌をここで引用してくる人間なんてすでに絶滅していたものと思い込んでいましたから。しかし、総理が繰り返し「太き骨は」と読まれたところでようやく正田篠枝の歌だと理解して、言葉の意味が、背景が、情景が、無数の「小さきあたま」の苦しみが一気に体感されて、涙が出ました。20年前は過激な発言をするタカ派で心底軽蔑していた政治家に泣かされる日が来るとは思わなかった。日本語の世界に生きる者として当たり前の教養をきちんと身につけている総理でこの日を迎えて本当に良かったと思います。ソナタ形式のテーマに繰り返しがある意味もついでに頓悟しました。

 8月9日の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典の総理あいさつには、浦上天主堂の「二口揃ったアンジェラスの鐘」についての言及がありました。これは、今年5月にアメリカのカトリック団体から復元された小鐘が寄贈されたことを指しています。ベルプロジェクトを立ち上げた、マンハッタン計画に関わった祖父を持つ社会学者ノーラン教授の言に「連帯と愛の行為であり、和解と赦しを願う気持ち、そして長崎の人々が受けた苦難に対する私たちの悲しみを表すものです」と。民間発の平和・文化交流です。

 「ねがわくば、この浦上をして世界最後の原子野たらしめたまえ」

 そこから永井隆博士の『長崎の鐘』を引用する流れは、さすがわかってらっしゃると唸らされました。「市太郎さんが岩永君ら本尾の青年を指図して煉瓦の底から掘り出した鐘は、五十メートルの鐘塔から落ちたのにもかかわらず、ちっとも割れていなかった。」これは大鐘のほうで、去年までの79年間、この大鐘一口のみが鳴っていたわけですね。

 もうひとつ、「天を指す右手が原爆を示し、水平に伸ばした左手で平和を祈り、静かに閉じた瞼に犠牲者への追悼の想いが込められた、この平和祈念像」のくだり。像の裏に刻まれている北村西望の言葉をそのまま採ったわけですが、政府に芸術の解釈などされてはたまったもんじゃないので、これで良いです。が、大事なのは、否定的な意見も多かった一つの芸術作品を、政府が平和の象徴として認識し、共通理解として示したこと。共通理解の上でこそ、はじめて批判もできるようになるでしょう。この像について触れた総理あいさつは、僕は記憶にありません。

 行政としてすることは、広島と長崎とで大きな差があるわけではないので、行政としてのメッセージが似たり寄ったりになるのも仕方ない部分はあるんですが、だからといってコピペで済ませるこの10年の歴代総理の手抜きっぷりはいかがなものかと思っていました。今年は文化・芸術のコンテクストを取り入れ、広島と長崎が見事に色分けされました。こうしてはじめて、遠い昔の出来事としてお団子になった「ヒロシマ・ナガサキ」ではなく、人類初の「ヒロシマ」と、人類最後にしなければならない「ナガサキ」の2つがあるのだということが認識できるようになります。

 数値や指標だけでは2つの街の差異を人間は認識できない。そこに生きる人間の丸のままの表現の表出が必要なのです。文学や芸術はどうしてなければいけないのか、それはどのように人間の生活の役に立つのか、という問いに対する、ひとつの答えがここにあります。

 わが国の極右は80年談話の有無について上を下への大騒ぎになっていますが、石破総理は、すでにたいへんな仕事をされたのではないかしら。これから総理になる人は大変ですよ。あいさつの一つの基準ができてしまいましたから、一通りの文学作品に目を通し、芸術に触れ、詩歌の作法について心得ていなければならない。軽佻浮薄な潮流に対する保守政治家の復讐ですらあるかもしれないと思うのは、考えすぎですかね。

* * *

 補遺。この戦後80年の8月を、反戦の誓いと追悼の一月とするために、以前書いた原民喜による歌曲集「心願の国」を改めてシェアさせてください。「滅んだふるさとの街の花祭が僕の眼に見えてくる」…僕は音楽の都合上「眼に浮かぶ」と改変しましたが、きっと許してくださるでしょう。英語字幕と、なぜかスウェーデン語字幕もあります。



2025年2月8日土曜日

堀江裕介君を悼む

 僕は追悼記事を書かない。

 どんなに思い入れが深い方が亡くなっても、あまり書かない。人の死につけこんで書くことは自己顕示欲以外の何物でもないというか、なにかいやらしいことのように思えるから、普段は書かない。それでも宗旨替えして今からそれを書こうとするのは、同年代だからというのが一番大きな理由だ。それ以外の理由を、以下に書く。

 サクソフォニストの堀江裕介君が亡くなったという話だ。

 あまりの急な出来事に僕は我が目を疑って、堀江裕介という名のサクソフォニストが他にいないか、移動時間の1時間ほどをスマートフォンで検索して過ごした。どうやら僕の知っている堀江君らしいことが確定的になって、反射的に、何かをどこかに書こうとしたが、その強い欲求と裏腹に、まったく言葉が出てこなかった。言葉と言う言葉が封じられるにつれ、僕はじわじわと、またじわじわと打ちひしがれていった。

 僕よりもっと彼に近しい人はもちろんおられるわけで、ご家族や、学友や、同僚、あるいは生徒さんたちからしか見えない彼の顔が当然ある。住んでいる場所も遠いから、酒を酌み交わしたことも2回しかない。だから、僕は執筆者にふさわしくない自覚がある。また、これから書くことも、自分で書くようなことではない。何をうぬぼれているのだ、という内容になる。でも、きっと僕にしか書けないことでもある。恥を忍んで書いておきたい。

* * *


 この曲は、大学院の修士演奏の選曲に頭を悩ませている時に、師匠の雲井雅人先生にご紹介いただいたのが出会いだった。西澤さん本人に楽譜を送っていただき、とりあえずまったく音源も聴かずに、サックスのパート譜だけをただなんとなくなぞって吹いてみると、そこに現れた不思議な世界観に動揺した。単純な単旋律に、これだけ心動かされたのは初めてだったかもしれない。

 僕のサクソフォン・ソナタを取り上げた2010年10月のリサイタルのプログラムと、その録音のCDRを送ってきてくれたのは2011年だった。僕はちょうど引っ越ししようという頃で、荷造りをして、荷を積んで、荷をほどいて、ダンボールの山を捨てて、一息ついたところに東日本大震災があって、そんなタイミングが重なり、どこかに紛れ込んでしまった彼からの封筒は、未開封のまま半年ほど放りっぱなしになっていた。

 1楽章冒頭にピアノで奏されるモチーフが3楽章冒頭ではサックスで再現され、それはまるでギリシャ神話でナルキッソスが泉水に映った自分の顔に陶酔していくかのようで、曲全体をある種のナルシシズムが包んでいるようにも感じる。(『Elegy 堀江裕介サクソフォンリサイタル』プログラムノート/2010.10.30)

 大掃除をしている最中にそれを見つけ、すぐさま平身低頭して感謝と謝罪のメールを送り、封筒をあけてプログラムを読んだ。そういえば、リサイタルの前にも律儀な連絡があった。プログラムノートの執筆を頼まれたが、「もう10年前の作品だから自由に書いてくれて良い」と返事したのを覚えている。が、ナルキッソスまで登場するとは思っておらず、なんだか気恥しくなって、ふと目を上に逸らした。と、そこには「そういえば先月で31歳になったんだった」という一文があった。僕はその頃33歳で、つまり、そんなに歳は違わなかった。彼の見た目が若々しいのもあるが、僕は勝手に、もっと年下かと勘違いをしていた。

 時が巡り、知己の紹介で、名古屋で演奏する機会を得た。すぐさま思い出したのが彼の存在だ。録音も聴いているから、安心して任せられることを知っている。自分の過去の不義理を恥じながら恐る恐る共演を打診してみると、半年も返事をしない僕と違って、彼の返信は30分とかからなかった。明和高校の校舎でリハーサルしたときも彼は律儀だった。僕のほうが頼んだ仕事なのに、リハーサルのその場所だって彼が手配してくれたのに、むしろ彼のほうが始終恐縮していて、パート譜だけでなく、丹念に読み込まれた痕跡のあるスコアを手に、僕の持つ折り畳み傘の色あいを褒めたりなどした。

教師となってからもたくさんの生徒に西澤作品に触れてもらい、そのたびに例外なく大きな音色の変化が見られた。この音楽に相応しい音色というのは、そうゾーンが広くはない。みんな試行錯誤しているうちに驚くべき成長を見せる。西澤氏はリサイタルの録音を覚えていてくださり、それがきっかけで7年前に一度件のソナタ共演が実現した。作曲者本人のピアノにより、何を語らなくても僕自身の音も変わっていくように感じられた。(『Reborn 堀江裕介サクソフォンリサイタル』プログラムノート/2024.3.26)

 リハーサルは各楽章を軽く2回通して終わって、僕は「もう大丈夫でしょう」くらいのことしか言わなかった。彼は「作曲者本人のピアノだと見えるものが違ってきますね」と言ってはにかんだだけだった。お互い何も言わなかったのである。

 僕と彼とのコミュニケーションには薄い障子紙のようなものが一枚挟まっていて、結局、終生変わることが無かった。それは彼の尊敬の念から発せられるものであることに僕は気付いていた。正しく理解してもらいたいため言葉を続けるが、彼の発する尊敬は生身の人間に対するものではない。「歴史上の作曲家本人」という格に対するものである。それは彼の音楽に対する態度そのものだったのである。生身の僕はもどかしく感じつつも、どうしてもソナタを書いた歴史上の本人には違いないから、彼と僕との間に挟まる障子を、僕のほうから破ることはできなかった。

 ただ、一度だけ、彼の側から障子に小さな穴を開けてきたことがあった。第二パルティータの編曲を依頼してきたときだ。彼はまず、ソナタ以外のサクソフォン作品の楽譜をすべて購入したいと申し出てから、この話を始めた。西澤さんは忙しいだろうから申し訳ない。残りの4曲はソロで演奏しても構わないから、せめてシャコンヌだけでも協奏曲版として編曲してくれないだろうか。そんな中途半端なことをするなら全部協奏曲にしたらどうだろうかと提案すると、「実は、西澤さんが引き受けてくださった場合のために」と、編曲料を提示してきた。それは、僕の基準では、シャコンヌ1曲のためだけには多すぎる額で、つまり彼は最初から全曲を想定していたのである。僕は上手く誘導されたわけだ。このときの、恐る恐る障子に穴を開けてくる様子は、僕にはとても可笑しかった。そして、その小さな穴から、彼という人間を僕の側からも少し理解することができたのだった。

 たとえ今回のようなことが無くても、彼の第二パルティータは、僕にとって人生最高の音楽体験のひとつだったと言いたい。すでに完全無欠の形で仕上がっている原曲に僕が付け足した蛇足を、彼は必要不可欠のものと咀嚼し仕上げた。僕は彼とともにこの仕事をできたことをたいへん誇りに思っている。当の本人にも、打ち上げの席で、それに近い表現で僕の気持ちを伝えたのだが、するりとかわされてしまって、あとはどうでも良い話しかしなかったような気がする。謙虚さと含羞、それが彼の性質だった。

 名古屋公演の終演後に、堀江先生のもとで僕のソナタを勉強しましたというサクソフォニストの卵たちにどれほど囲まれたことか。どれだけ僕のソナタを必要としてくれていたかが手に取るように分かった。もちろん僕だって彼に感謝の意を伝えてきたつもりでいるが、迂遠な表現でなく、もったいぶらずに、もっと直裁な表現で示すべきではなかったのか。そうだ、確かに僕は彼の分析どおり、たちの悪いナルシストなのである。彼もなかなかのかっこつけだったが、僕もそうだ。前後不覚に泥酔している友人たちとのエピソードを読んで、僕は嫉妬している。僕の前には、ぽつっと穴の空いた障子紙があるだけだ。この紙は僕から破いても良かったのではないか。後悔がつのる。


 彼が音を出した僕の作品はもう一つある。2004年、畏友K先生のために個人的に書いた『サクソフォンのための14の練習曲とパッサカリア』は、長らくそのままになっていた。第二パルティータの前に譲った楽譜のなかの一曲であるこの作品を、彼は、第二パルティータ初演の直前に演奏会に載せていた。抜粋とはいえ、公開された公演の場で演奏されたのはこれが初めてである。長野県飯田市でのこの動画は僕しか見られない状態だった。「サクソフォンのための無伴奏のレパートリーは貴重なので、もっと上手く演奏できるようになったら改めて撮ります」と言っていたけれども、もうそれは叶わない。彼は彼で恥ずかしがるかもしれないが、彼が生きていた記録は、ひとつでも多く共有しなければならない。僕は僕で、自らの若書きの曲を公表するにはためらいもあるのだが、彼がこんなふうに演奏してくれるなら、きっとそれなりにうまく書けているのだろうと思うことにしよう。この動画を公開することが、この記事を書いたもうひとつの理由である。

 僕はきっと、お別れの会には伺えない。そもそも、まだ僕はどこか信じきれていない部分があって、これを公開した途端に「西澤さん、冗談きついです笑」と返信が来るような心持がしている。そうあってくれることを切に望んでいるのだが。とは言え、僕だって人生の半分が過ぎていることは間違いない。いずれそのうち会えるだろう。そのときは、同等の格として、ひたすらワインを一緒に飲んだくれたりしたいものだ。

 堀江君。その前に、できるだけ多くのお土産を用意するから、少し待っていてください。

2024年6月7日金曜日

偶然の積み重ね~管楽器作品個展について

 僕の音楽経歴は例外的である自覚がある。15歳で初めてピアノを習い、17歳で和声を勉強し始めて、それで音楽大学に行こうなどと普通は考えないものらしい。19歳でお勉強に飽き大学を辞め、20歳で作曲の賞を頂き、21歳には自分に飽きて作風を転向した。この頃の自分の行動には少々恨み言もあるが、なんでもすぐに飛びついてすぐに飽きてしまう自分の生来の性格から考えて、知人宅のピアノにしがみついて梃子でも動かなかった幼い僕に音楽を習わせようと考えもしなかった両親には、ある意味で感謝している。出会いの時期・周期が合わなければ、それで生きていくなどという蛮勇を僕は抱かなかったはずだ。

 埼玉某市の中学校に入学したとき、その学校では生徒全員必ず部活動に所属しなければならなかった。経験は無くとも音楽はすでに好きだった僕には、吹奏楽部だけが選択肢だ。生の楽器に触れられる初めての機会である。…いや、リコーダーがあった。クラスの友人と市のコンクールにも出た。10歳の僕が初めて経験した「舞台」だった。そのとき演奏した『スウェーデン・マーチ』の旋律を、30年後に、当のスウェーデンの地で誕生日の歌として聴くことになるのだから、人生は分からない。とにかく、教育用のプラスチックではない、金属、木材といった材質で出来ている楽器に触れられる初めての機会を得られるのだから魅力的だ。部には女子しかいないことだけが悩みだった。勇気を振り絞るために、音楽室に向かう廊下で小一時間ほど行きつ戻りつ僕の足は円を描いていた。

 オーボエを吹いてみたかった。N響アワーで視る「オーボエおばさん(故・小島葉子氏)」に憧れていたから。でも私立強豪校ではない公立の中学にオーボエはない。不本意ながら別の楽器をいじり、勧められたのがサクソフォンだったから、これを選んだ。以来、サクソフォンとは何かと縁がある。初めての渡仏の際にお世話になったのがたまたまサクソフォニストの清水容子氏だったのも、僕が初めて書いた管楽器のソナタが彼女の依頼によるアルト・サクソフォンのためのものだったのも、この曲が広く奏者に取り上げられ、さまざまな新しい出会いをもたらせてくれたのも、小さな偶然の積み重ねだ。

 ともあれ、僕の最初期の音楽経験は管楽器とともにあった。ブルグミュラーやツェルニーを弾く前にアルフレッド・リードやスウェアリンジェンを吹いて育った。と同時に、聴き手としてはストラヴィンスキーやアイヴズに始まりブーレーズやシュトックハウゼンといった課程を高校入学前に履修するので、僕は自分の来し方を説明するのに今でも難儀する。アマチュア向けの吹奏楽曲と現代音楽は、どうしても当時のアイドル文化には馴染めなかった僕に(今も馴染めていない)音楽を与えてくれたものとして等しく大切で、懐かしく感じるものだ。一方、ベートーヴェンの時代やリストの時代の面白さには大学を中退してようやく、大人になって気付いたのだから、ピアノを弾く同僚たちから見れば変則的な育ち方であって、例外的な経歴になるのも致し方ないことかもしれない。

* * *

 さて、今回の管楽器のための連作ソナタは、2001年の『アルトサクソフォン・ソナタ』から12年後の2013年、音大時代の同級生、木原亜土氏のために『クラリネット・ソナタ』を書いたところからスタートした。続いて2014年、『交響曲第1番』初演の際に知り合った斑目加奈氏のために『トランペット・ソナタ』を書き、2015年、ベルリン・フィルのクリストフ・ハルトマン氏来日に合わせて日本ダブルリード株式会社から委嘱を受け、『オーボエ・ソナタ』を書いた。その際には「ぜひサン=サーンスと同じくらい演奏される曲を書いてください」という、なんとも恐ろしい注文がついたのをよく覚えている。

 それが可能かどうかはともかく、クラリネット・ソナタに着手する前にはサン=サーンスの『クラリネット・ソナタop.167』を分析した。管楽器のための音楽を考える上で必ず振り返られなければならない作曲家なので当然のことだ。が、偶然にも、トランペット・ソナタを書く直前に仕事先でトランペットを含む奇妙な室内楽曲『七重奏曲op.65』を聴き、オーボエ・ソナタを書く頃は別件で『オーボエ・ソナタop.166』の譜読みをしていた。2016年には『ピアノ協奏曲第2番op.22』を室内編成に書き直す仕事もしたので、たまたま同時期的にサン=サーンスと多く触れ合っていたわけである。

 古典派の色香が残る1840年代から音楽活動を始め、ドビュッシーの死後も仕事をしていた彼の作品には、統一性という観点で考えればいろいろと不可解な部分がある。小節線を1本跨ぐと書法のスタイルが半世紀経ったり遡ったりするのだ。それがまるで不自然に聴こえないのがまた不思議で、どこまでも滑らかに、気付かれないように繋がれる。晩年になればなるほど、小節単位でなく1音単位に切り詰められ、彼のいったい何が上手いのかがいっそう分かりにくくなる。レパートリーとして楽しんでほしいという人の良さと、分かる人さえ分かれば良いという突き放した性格の悪さが同居したようなその書き方に、僕は強いシンパシーを覚え、志すべきはこういうことかもしれないと考えるようになった。

 もっとも僕の場合は今のところサン=サーンスほどの長命を得ていない。僕が使えるのは時代とエスニシティの違いだ。その実験として西洋的な形式に非西洋的な音程を、『クラリネット・ソナタ』ではアラブ歌謡の音程を、『トランペット・ソナタ』ではラテン音楽の音程を、オーボエ・ソナタでは南インド歌謡の音程を、トーンハレ響のマティアス・ラッツ氏のために2018年に書いた『ファゴット・ソナタ』では、浪曲からアイデアを得たオペラ『卍』を書き上げた直後だったこともあり、日本の伝統的な音程を流し込み、それらをできるだけ滑らかに繋げることを企図した。いずれもクラシック以外で僕が愛する音楽だ。

 サンフランシスコ響のキャロリン・ホーヴ氏のため2021年に書いた『イングリッシュホルン・ソナタ』と、今回初演となる『フルート・ソナタ』は、エスニシティよりいっそう時代にフォーカスし、19世紀的な形式に20世紀的な音程を、それと気づかれないように用いることを試みた。どのようにして用い得るのかについては、クラリネット・ソナタと同時期に書いた『交響曲第1番』で試みている。これは19世紀というよりむしろ18世紀の形式で書いたものだが、わずかに殻を残して中身をすべて入れ替えても、人の耳は形式・様式に沿って音楽を認識するという教訓を得た。この件についてはまたいずれ触れるかもしれない。

* * *

 作風を転向して以降、僕は自分が何を書きたいかよりも、今の自分は何をすべきか、何ができるのかを考え、作品を作ってきた。いろいろと手を尽くし上手く仕上がるほどに、滑らかで、意図の気付かれにくいものになっていく。すると、自分のしていることはひょっとして車輪の再発明ではないかと疑心暗鬼にもなる。が、転写逆転写にも偶発的なエラーがあって、変位し、枝分かれ、元の姿には戻らないのである。それを僕は「新しさ」と定義し、その繰り返しのなかに「今日の音楽」があると思っている。

 吹奏楽と現代音楽の遺伝子から生まれた変異株の僕は、10年かけて、新しい「レパートリー」を作った。ぜひご一緒に楽しんでいただければ幸いである。



西澤健一 管楽器のための6つのソナタ

2024年6月28日(金)19:00開演(18:30開場)
会場:中目黒GTプラザホール(目黒区上目黒2-1-3)
全席自由【一般前売】3,500円【当日】4,000円【学生】2,500円

【プログラム Program】
オーボエ・ソナタ (2015)
クラリネット・ソナタ (2013)
ファゴット・ソナタ (2018)
トランペット・ソナタ(2014)
イングリッシュホルン・ソナタ(2021)
フルート・ソナタ (2023・初演)

西澤健一(作曲・ピアノ)
庄司さとし(オーボエ)
木原亜土(クラリネット)
高橋美聡(ファゴット)
班目加奈(トランペット)
浦丈彦(イングリッシュホルン)
鈴木真紀子(フルート)

【主催】スタジオ・フレッシェ【共催】卍プロジェクト
【後援】目黒区【協賛】日本ダブルリード株式会社

【チケットお取り扱い】
ZAIKO(電子チケット)https://manjiproject.zaiko.io/item/362859
卍プロジェクト・オンラインショップ https://shop.manjiproject.com/items/84639497

2023年12月30日土曜日

「和声警察」の研究

 着物で街ゆく若い人を呼び止め、帯の位置やら色の合わせ方やらを説教し、または勝手に直したりする人を、俗に「着物警察」と呼び、たびたびSNSで話題になる。他人のパーソナルスペースに立ち入る不遜さ、若い人が若い人の感性で自由にファッションを楽しむことの否定は、洋装に押される中で高級路線を採り、教室を展開することで着付けをメソッド化した業界の努力が裏目に出たのだろうという指摘を読んだ。戦後新たに作られた「伝統」で自縄自縛に陥り、自分たちの民族衣装を捨てていく結果になるのは滑稽だ。若者が奇抜な恰好を楽しむ例は江戸にもあって、髷を本多に結い、眉を細く抜き、白粉を塗って紅を差し、長すぎる羽織でルーズにまとめ、蛇やムカデといったグロテスクな文様のキセルを吸う化政の頃の若者像は、平成の頃のギャル・ギャル男像と通底するものがあって、私などはむしろ、その連続性に、よほど東京という街の、都市文化としての「伝統」を感じる。

 我らが界隈にも、俗に「和声警察」と呼ばれる人々がいる。SNSに挙げられた諸作の禁則を指摘する一群で、しばしば炎上の騒ぎになる。観測した例を挙げれば、『和声 理論と実習(島岡譲執筆責任・音楽之友社)』II巻の近親転調では規定されていない増4度上・減5度下への転調の例、また、I巻で禁じられる連続または外声どうしの並達の例などだ。作家の自由の一言で終わるはずの話だが、どれだけ専門家が言を費やしても一向に聞き入れられず、エスカレートしたやり取りは人格攻撃に至る場合もある。(一言だけ付言するが、こうした人格攻撃こそ最も人の道に悖る行為であり、本稿に示す内容がこれ以上に大事であるなどあり得ない。考えられ得る限りの強い言葉で非難する。)こうした事象がなぜ起こり、なぜ繰り返されるのかを考察するのが、本稿の目的である。

・禁則を問う無意味さ

 さて、「和声警察」が対象とする作品には共通した特徴がある。すなわち演奏会用に整えられたポピュラー音楽、大衆音楽の文脈が取り入れられたセミ・クラシック音楽といった作品群だ。古典派・ロマン派の大家による類似した(彼らの基準によれば、理論的に逸脱していると非難するべきはずの)作例を専門家が示しても、それらは問題としない。あくまで、現代日本で作られる、比較的に若い作曲家の作品に限られる。

 我々が音大等で学ぶ和声は、ラモーの『和声論(自然の諸原理に還元された和声論、伊藤友計訳・音楽之友社)』に端を発する。ラモーの重要な主張は『和声論』の冒頭に早くも現れる「旋律は和声の一部」の一文にすべてが現れている。つまり、和音・和声こそが音楽構造の最重要決定因子であるという点だ。Harmony(調和)の語は、ジョゼッフォ・ツァルリーノ(ザルリーノ)『調和概論Le Istitutioni Harmoniche』の時代にあっては、単旋律に対しても用いられる概念であったことは、ラモー自身がその著書中で触れている(ゆえに、ツァルリーノのHarmonicheは「和声」の意味で訳されない)。

 同時的に響く縦の響きは常々に意識されながらも、それはあくまで、複数の旋律すなわち横の要素を組み合わせた結果だと捉えたツァルリーノに対し、「AならばB」的な命題として、縦からでも横を導き出せると証明して見せたのがラモーだった。ただ同時的な響きだけによる作曲法を主張したなら同時代の楽師には受け入れられなかったろうが、ラモーは縦を基準にしてもフーガが書けることを示した。このラモーの研究を土台に、フーゴー・リーマンによる機能理論(『Vereinfachte Harmonielehre』)を組み合わせた結果が、新たに作られた「伝統」たる今日の和声のメソッドである。そこに設定された様々な制約、種々の禁則の意味合いは、縦の要素からフーガを書くためのものであると要約できる。縦の究極は横の究極と等しくなければ、理論として成立しているとは言えない。

 こうして、線の集積から空間を作るバロック以前の対位法の書法から、空間から線を創り出す古典派以降の和声法の書法へと変化した。パラダイムシフトが起こり、空間の概念はロマン派の作曲家たちによってますます増強されていった。空間の移り変わりを示すために最も適した形式がソナタだったのであり、その途上でソナタは二部形式から三部形式へと変容した。トニック・ドミナントを基準とした空間設計を、島岡理論は「ゆれ」という言葉で表現する(『総合和声 実技・分析・原理』島岡譲執筆責任・音楽之友社)。

 空間そのものをデザインする音楽のあり方が優位に立つにつれ、対位法からの遊離が始まる。ピアノという楽器が成立し作曲家の楽器になったのも、その傾向に拍車をかけたかもしれない。徐々に「声部」の概念が音楽成立の必要条件から外れていき、高次倍音を豊富に含む自在な和音が可能になる。終戦後の音楽は(ポピュラー音楽はもちろんのこと)ジャンルを問わず、古典・ロマン派期を通して十分に増強された空間概念を土台に出発している。主従なく独立した横の動きを目的としない、つまりフーガ形式を最終的な目的としない楽曲において、和声のメソッドの諸規則に従わなければならない理論的整合性は無い。

 もちろん、ここに「必要条件から外れた」と記した通り、作家本人の目指す音楽の形態によっては、「声部」の概念はこれからも重要でありうる。が、それは別のトピックであり、終戦後以降の音楽のあり方を踏襲する作家の作品にあっては、理論的な逸脱は非難の理由としての妥当性を持ちうるとは言い難い。

・「和声警察」に共通する特徴

 ところで、「和声警察」諸氏の使う語彙にもまた共通した特徴が見出される。例えば「私には批判する権利がある」といった言葉だ。確かにあろう。が、一連の騒動は決まって「〇〇先生に公開で和声のダメ出しをされてます」といった、主語が「私」ではない文章で始まる。評価の自由を主張しながら、その最初の軸が一人称ではないのである。

 こうした光景を見るたびに、私は矢代秋雄の「ジョリヴェに対する偏見」を思い出す(『オルフェオの死』深夜叢書社)。「まず、私はこの人の顔が嫌いだ」に始まり、徹頭徹尾、創作の苦悩を前面に押し出すような安易さに対する生理的な嫌悪感のみを吐き出しており、ジョリヴェを斬って捨てた返す刀でベートーヴェンのことまで「ある意味に於て技巧の貧しい」「品のわるい」と言い切っている。これはこれで一つの価値観であって、一貫しており、矢代秋雄にとって芸術の美とは何かをかえって示す結果になっていて、ここまで振り切れば周りも得られるものがあろうに、と思う。

 が、「和声警察」諸氏は、決して過去の大家による理論的逸脱を批判しない。「全体を統一する理論」ではなく「個別の事例」を「各自の」「鑑識眼」で吟味するというが、そこで批判の根拠とするのが理論なのだ。理論からの逸脱を批判する一方で、理論からの逸脱を批判しないというのは、作品または作家によって線引きの位置を変えているわけであり、他者にはその基準が明確ではなく、論理的一貫性に欠ける。特定の目的をもった定義・座標たる理論が恣意的に運用されるとなれば、理論が理論であるその根拠を失ってしまう。ゆえに、専門家としても苦言を呈せざるを得なくなっていくのである。

 その実、「和声警察」は、作家の個人様式に対する生理的な嫌悪感を表明しているに過ぎないのだが、その表明が理論の正誤といった形式をまとうために、ややこしい事態となる。また、「着物警察」が人の手を突然掴むように、これらの問答が他人のスペースで行われるのも共通した特徴だ。「和声警察」が自分のスペースで自説を開陳するだけなら、たいした問題にはならないに違いない。が、好き嫌いの話をしているポスト主に対し、「こうした作品を好きだとプロが発言する社会的責任」「社会に出たらルールを守らなくて良いというのはおかしい」といった反応をする。これも共通している。ポスト主を擁護する専門家を決まって「堕落」という言葉で指弾することもまた、驚くほど共通している。

・通俗道徳的に理解される音楽

 禁則の指摘に留まらず、別々のはずの人間から共通する語彙・趣旨の発言が認められるとなれば、音楽ばかりでなく、社会学の領域からも考えられうる話ではないかと感じる。「和声警察」諸氏の「社会的責任」や「ルール」といった言葉は、それを考えるヒントを与えてくれる。つまり、彼らにとって音楽は倫理的・道徳的なものであり、音楽理論は一種の倫理的規範であると捉えている向きがあるということだ。なればこそ、現代の作家が禁則を犯していれば、破邪顕正の善行としてそれを指摘し、徳を積む。正しい人の正しい行いに反対する者は戒律を破る悪しき人であるから、私のような専門家は「堕落」していると指弾することもできよう。彼らの規範は古典派の作家を土台に打ち立てられたのだから、過去の大家の理論的逸脱はもちろん不問に付される。

 例を挙げる。何年前だったか、今年亡くなられた音楽学者の故・野口剛夫氏が『音楽現代』誌の連載で「R.シュトラウスは軽薄だとフルトヴェングラーは指摘した。ゆえに私も聴かない」という趣旨の文章を書いていた。彼がただの愛好家であればそういう楽しみ方もあるかもしれないが、現代の音楽学者という人が、過去の演者の価値観をそっくり借りて過去の作家を非難する様は滑稽だった。「ゆえに私も聴かない」がまとう道徳性だ。

 氏がもっとも社会に認知されたのは『「全聾の天才作曲家」佐村河内守は本物か(新潮45 eBooklet)』によってだったが、この文章も、「真実性に乏しい」「金のなせるわざ」と、道徳的な語彙で自分の印象を語るに終始していて、肝心の音楽に関しては(「交響曲とムード音楽の融合」の一語を除いて)あまり当たっているとは言えなかった。何より「私もこの作品を受け入れられなくはない。ただ、『交響曲』と呼ぶには抵抗がある」という言葉が彼のあり方を良く示している。「交響曲警察」だったわけである。

 騒動発覚後、氏はフルトヴェングラーの言葉を引いてゴーストライターだった新垣隆氏に自粛を迫る文章を書いた。高潔な音楽家の教えに従い改心なさいという態度は、もはや道徳を通り越して宗教じみていた。一方、現代音楽界では、芸術音楽の「高尚さ」と大衆音楽の「低俗さ」という文脈で新垣氏を擁護した者がいた。本当はこんなくだらない曲を書く人ではないということである。愛すべき同僚の今後の人生が掛かっているにも関わらず、劇伴作家たちの不興を買ってでも、音楽に対し道徳的態度を取るほうが大事なのであった。

・「娯楽」否定の行く末

 いくつかの未公開資料を手にしている私としては、もう少し詳細に触れられることもあるのだが、諸般の事情でここまでにする。ともあれ、ゲーム音楽作家の格では交響曲を発表できなかった佐村河内氏が、次なるプロモーションの手として打ったのが、ありとあらゆる不幸を詰め込んだ自伝本であって、それが見事に功を奏したがゆえに起きたのが、あの騒動である。結果的にではあるが、我が国のクラシック音楽がどれくらい通俗道徳的な文脈で受容されているのかを、彼ほど見事に暴いて見せた人物は、他にいない。

 そうして我らが界隈は、彼ひとりを詐欺師と断じて終わる。だが、そもそも音楽と道徳とを結びつけて考える社会でなければ、彼のプロモーションは効力を持たなかったはずである。さて、この社会において、音楽を道徳的なものとしてきたのは誰だろうか。誰が人々をそのように教育してきただろうか。真実性、高尚さ、そのような言葉で表現してきたのは誰だったろうか。彼は、単純に、我々の界隈の言語を模倣していたに過ぎない。

 つい先日も、SNSでは「娯楽」の一語が炎上していた。音楽が「生活のための労働や学業などの余暇に、気分転換をはかるため(新明解国語辞典第七版)」のもので何が悪いのかと思うが、もしかすると、社会に流通する「娯楽」の語意が変質してきたためなのかもしれない。つまり、ギャンブルやセックスといった欲望を表す語として。なれば、今日の社会の娯楽が単に貧困になっただけである。我々こそが娯楽の最たるものだと主張せずして、いったい何のために、我々は音楽を生きるのであろうか。

 さらに言えば、芸術は軽薄なものであってはならない、娯楽であってはならないという道徳的な捉え方は、実は道徳に淫する「娯楽」そのものである。自分以外の他者が快楽を得ることに対する嫌悪感の発露は、清く正しい自分のみが快楽を得られる資格があるという表明だ。よって、まったく同じ人物を罵倒するために用いた「権威の意味を考えない人たち」と「一見無害に見える権威主義者」という矛盾した物言いは、「和声警察」の中では矛盾しない。極東日本の21世紀に生きながら西洋の「上流階級の文化」の立場で語る矛盾も同じく、彼らの中では矛盾しない。乱暴に要約すれば「軽々しく音楽を楽しむな」である。音楽の前では正座して襟を正せと言いたいわけである。それほどまでに、自分の全人格が、音楽にさらわれた経験があってのことだろう。その点については共感する。「オタク」なのである。が、彼らが何かを成せることは決してないだろう。「オタク」であることを捨てねば、創作≒記録の立場には立てないからだ。

 ムソルグスキーは、特に『死の歌と踊り』で、社会の底辺に生きる人々の生活感情を芸術の文脈に招き入れた。我が国でも、柳宗悦が「民藝運動」で、社会の底辺に生きる人々と芸術の概念を直接的に結ぶ思考実験を成し得た。この意味から、私自身の好き嫌いは別にして、ポピュラー音楽の文脈の芸術音楽への再輸入は起きてしかるべきことと私は理解する。今にしかできないことは、今するしかない。それこそが「伝統」に通底するものの正体であって、今しか楽しめないことを今している作家のことを、私は私の美意識を超えて、俄然支持する立場である。そうでないものは、過去千年の作曲家たちがすでに実現してくれているか、あるいは未来千年の作曲家が成し遂げてくれるのだから。

2023年8月31日木曜日

歴史と標、歌と踊り

  「バッハやショパンのような天才はいったいどういう頭をしているんだろうと思いますね。あなたのように作曲家の前で言うことではないけれど、やはりああいう天才が出てこないと人を感動させるような音楽ってのは生まれないものなんでしょう。彼らがああいう音楽を作ってくれたから、僕たちはこうやって感動できるんで、あなたのような作曲家の前で言っちゃ失礼だけど、やはり昔の人は凄かったんだと思うんですよね。大変な苦労もあったんだろうけど、何よりも才能の違いがあるだろうし。現代の人間はダメですね。僕は戦争を経験して大変な時代に生まれたと思っていたけれど、でも良い時代に生まれたと最近ではつくづく思います。なにしろ最近の人間の音楽なんて聴いてもさっぱりで、あなたのように作曲している人に言うのは申し訳ないけれど、もう時代を動かしていくような大作曲家なんて残念ながら出ないんじゃないかと思いますよ。」

 十年ほど前、とある酒の席で、とある老人が、僕がクラシックの作曲家であると知るや演説を始めた。彼がバッハやショパンを愛するのは全く構わないし、むしろ素晴らしいことだけれども、「あなたのように作曲している人に言うのは申し訳ないが」と、作曲している人間の前で何度も何度も繰り返す無遠慮さにはさすがに苛立って、僕は次のように返した。

 「しかし、もしもバッハに生まれるべき魂がドイツではなくマダガスカルに生まれ落ちていたとしたら、彼はあの形式で『マタイ受難曲』を作曲することが出来たでしょうか?」

* * *

 さて、先日、僕のプロフィール写真を撮ってくださったカメラマンであり、最近は彼女の主宰する「サロン・ド・ギフテッド」でもしばしばお世話になっている立花奈央子さんから、Twitter(当時)でこのようなネタを振られた。

 いろいろな角度でいろいろなことが言えるには違いないが、何を言うにしても前提としなければならないのは、歴史を歴史と認識するのは現在の我々に他ならないという視点であって、「なぜ現代に大作曲家が輩出されないのか」という問いの発想じたい、順序が逆なのである。つまり、ある時代のある作曲家を標とすることで我々はそのある時代の特徴を認識するのであって、その逆ではないということ。我々は単にその標を「天才」と呼び「大作曲家」と呼んでいるにすぎないこと。たとえバッハに生まれるべき魂が本当にマダガスカルに生れ落ちてしまったとしても、我々は別の「音楽の父」を戴いていたに違いないこと。…バッハのない音楽史を想像するのは、今日の我々にとってあまりに難しく、またさみしいが、もしかしたらそれに匹敵する以上の大損失を被っている世界線に生きている可能性は誰も否定できないこと。

 作曲家たちはそれぞれにしか書けない音楽を書いている。にも関わらず、我々はそれらを古典派・ロマン派と十把一絡げに認識している。そこに共通する特徴があるからだが、特徴を誰かに代表させるとは、それらが十分に相対化されていなければできない作業である。相対化のためのもっとも簡易な方法は、時間の経過だ。モーツァルトとシューベルトを並べても、誰も違和感を抱かない。同じく41歳差である美空ひばりと浜崎あゆみが同じ舞台に立っているようには見えていない。むかしのことはざっくりと扱えるのだ。これは後世に生きる人間の利点である。その利点によって、我々は過去を歴史にできる。メンデルスゾーンによる『マタイ受難曲』再演など、後世の人間が意識的に標を定めた例である。

 さて、1960年代以降という時代は、2020年代に生きる我々にとって十分に時間が経っているものと言えるのだろうか。僕にはわからない。存命の当事者も多くいる。が、時代を動かしたミュージシャンなら現にいる。大戦後の社会や人権の問題と真剣に対峙し戦ってきたのは大衆音楽であって、その摩擦の壮絶さゆえにメインストリームの地位を勝ち得た今日なのだから、この時代を代表する「大作曲家」が必ずしも芸術音楽の人間でなくてはならない理由などない。

 まだ正しく評価されていない作曲家もいるかもしれない。僕が学生時代を過ごした90年代後半など、一部のマニアくらいしかコルンゴルドを知らなかった。クラシックの演奏家はほとんどピアソラを弾かなかった。今では多くの愛好家が、好きな作曲家としてその名を口にする。そのようなことはこれからも当然起こる。この25年ほどでジャズがその評価を一転させ、「難しい」「高尚」なものと一般に形容されるようになったりもした。このようなことも当然起こる。当のロシアでは飲んだくれだの白痴だのとさんざん蔑まれたムソルグスキーがサン=サーンスに発見され、ラヴェルにオーケストレーションされ、新たなる影響を及ぼしはじめるようなことは、これからも起きる。

 第二次大戦以降、様々なジャンルでありとあらゆる音楽が書かれた。それらに共通する特徴はいずれ理論化・明文化されるだろう。そのプロセスを経て、後世の人々は彼らにとってたいせつな音楽を彼らの基準で選び、標を定めるはずである。これらは「歴史の審判を仰ぐ」「歴史家の判断を待つ」といったこととは違う。音楽はつねに新しく必要とされ、つねに新しく創造されている。新作だけでなく過去の楽曲も同様である。後世は後世の価値観で、その都度あらたに楽曲を必要とする。どんな記録媒体も音楽の当体にはなりえず、聴く人の五感のなかで瞬間的にしか実体化できない性質による。ルネサンスやバロックといった分類用語は美術の流用かもしれないが、実体がなく視認できない音楽分野において、標を定めることは、ひとつの創造性をもつ作業として起こる。

* * *

 今日の大衆音楽の形式を端的に言うなら、それは「歌」が「踊り」に完全に取り込まれたものだ。拍は固定され、和声、構造は単純化される。どこの誰でも踊れなければならないから。音楽をつくるツールの環境変化によってその傾向はますます強固となっている。ただし、今日の大衆音楽を理解するのは案外簡単ではない。つまり、誰が何を歌っているのかを理解できるその内側にいなければならないから。今日のエンターテインメントは実在する個人をメディアに埋め込みアイコンとして機能させている。アイコンの歌う「歌」によって音楽を共有し、自らの「踊り」によってそのアイコンと一体化する。それは社会のなかで匿名の存在になる快楽ではないかと思う。今なお「踊り」は呪術的に機能している。が、いずれにせよ、アイコンの意味合いが理解できなければ楽曲の奥には入っていけないし、鑑賞よりも一歩踏み込んだ能動的作業を必要とする。

 一方、今日の「クラシック」をバッハ以降ウェーベルンくらいまでの芸術音楽と捉えるなら、これらの「踊り」は概念化されたものだ。アルマンド、クーラントはたまたワルツやマズルカといったタイトルが付けられていても、踊るために書かれたバレエ音楽にしても、拍は常に固定を逃れている。誰もが踊れるものではない。「歌」も同様、「クラシック」のルーツが歌にあり、その理論は声楽によって磨かれてきたに違いないが、オペラの発祥、劇場の拡大、器楽の発展とその音量の増大につれ変化した発声法を前提としている歌は容易に歌えるものではない。音楽が「歌」や「踊り」から分離独立しているのである。

 歌えないし踊れもしない。踏んだり蹴ったりだが、「歌」や「踊り」を犠牲にして音楽が手に入れたものは何かといえば、融通無碍に伸縮する時間だ。自在に拡大し、自在に縮小する。そうして音楽の場面ごとに解像度を切り替える。神の子が息絶え天幕の破ける瞬間や、ジプシー女の腹にナイフが刺さる瞬間、そうした瞬間を拡大して人に見せる技術…演劇性だ。そして、オペラによって磨かれたフレキシブルな時間操作に、作曲家たちは建材としての実用性を見出す。彼らはこぞって仮想的な空間のなかに交響曲という名の空想上の伽藍を建てた。

 「クラシック」は、十分に概念化がなされた「歌」や「踊り」を素材としている。咀嚼され消化された「歌」と「踊り」だ。聴衆にそれらの所作を求めない。ゆえに開かれている。何語で書かれていようと広く一般に開かれている。芸術は万人に開かれているというのが大前提だ。理解の内側にいることを前提とはしない。例えば由緒ある教会を訪れ、その建築、調度、装飾を眺めるとき、それらの美しさを味わうために必要な前提は、その場に赴くこと以外ない。咀嚼も消化も済んでいるからそこに実体化している。縁起を知ればなるほどと感心したりもするが、それはまた建築そのものとは別の喜びだ。ましてや、設計した人間が人生で何人と結婚し、何回性病にかかり、何回破産したかなどを知れば建築物への理解が深まるというようなことは一切ない。

 唯一、わからないことをわからないままサスペンドできる最低限の知性のみが求められているのだが、作曲家や演奏家をアイコン化し、彼ら彼女らの人生の悲喜こもごもにかこつけて作品を理解しようとする日本の「クラシック」鑑賞は、大衆音楽の影響なのかわからないが、少なくともそのあり方は共通しており、拙速に「大作曲家」を求める姿勢はこうした部分に端を発している。いつぞやのゴーストライター騒動は、その拙速さ、こらえ性のなさの露呈だった。

* * *

 「歌」の記録から始まった音楽の歴史(歴史を歴史と認識できるようになったその歴史)は、「歌」と「踊り」との間をゆらぎながら、音楽を享受する層や人口の増減、生活環境の変化やツールの進化といった社会的環境の影響を形式に宿しつつ進む。冒頭の譬えはそういう意味だ。マダガスカルに生まれたバッハも作曲したろうが(きっと素敵な音楽を書くだろうが)「マタイ受難曲」にはならない。これから生まれる音楽も当然社会からの影響を受けるが、歴史に置かれる標もまた社会からの影響を受け続ける。時にはメンデルスゾーンの例のように、意識的に、新たに標が置かれることもある。今日の古楽がその例だ。

 どうも音楽の人は「ジャンル」という言葉を嫌う傾向があるように思うが、形式やスタイルが増えるということは、それだけ人間のできることが増えたという証だ。我々が我々の時代を謳歌している証でもある。音楽の楽しみが性別や人種の垣根を打ち払い、書き、弾き、聴くという営みが80億人の乗算で行われている現代、バッハの時代の10倍以上の人間が暮らす現代において、ジャンルが細分化していくのは自然なことである。江戸期の三味線音楽に起きたことと同じだ。世界人口が減少に転じてからの未来を生きる後世の人々は我々の時代を羨むだろう。我々の時代は多くのリソースを音楽に割いても社会が成り立つ環境にあって、ありとあらゆる趣味が許されている。この贅沢が許されているうちに、ありとあらゆる楽しみを試み尽くすことこそ、後世への遺産になると思う。

 ともに歌い踊ることではじめて共有しあえる音楽がある。ひとり黙って空間と対峙してはじめて味わえる音楽がある。それぞれにできること、それぞれにしかできないことがある。僕は、そのあまたある、ありとあらゆる音楽のうちのひとつ、伸び縮みする時間を楽しみ、抽象的なことを抽象的なまま楽しむ「クラシック」を、書いたり弾いたりすることで楽しんでいる。

2022年11月1日火曜日

変節なき変節、逸脱からの逸脱

 いやしくも今の時代で目立とうと思ったら、いやただ今の人の気に入るものを書こうと思っただけでも、ただまともというだけでは、けっして十分ではない。それなら、ベートーヴェンの生きていたことがまるでむだになってしまうではないか。 (中略)要するに、1790年のソナタ様式は、1840年のそれではない。形式と内容に対する要求はあらゆる点からみて高くなっているのである。(ロベルト・シューマン)

 「1840年のそれ」とはショパンの第2ソナタを指している。1790年は若かりし頃のベートーヴェンが第1ソナタに着手する前、モーツァルトとハイドンが晩年を過ごしている頃だが、単純に50年前のスタイルという意味だろう。今から50年前、1972年と言えば、札幌五輪、沖縄返還、あさま山荘、日中国交正常化、田中角栄内閣発足。初老と言われる年に差し掛かった僕にも記憶のない出来事ばかりだ。1ドルは301円だったらしい。

 この年に発表された歌謡曲なら僕にもわかる。小柳ルミ子『瀬戸の花嫁』、天地真理『ひとりじゃないの』、吉田拓郎『結婚しようよ』。いずれの歌も親しみやすくて良いメロディだが、YOASOBIの今日に書かれるかといえば、書かれない。50年前と今とでは時代が違う。服が違う、髪型が違う、食べ物が違う、物価が違う、金利が違う、紙幣のデザインが違う。人々の価値観が変化して、世に流通する言葉も変わる。この東京で、どこかの島に嫁ぐ想像は難しいけれど、渋谷の街であくびが出るのは良くわかる。

 1970年代の少年少女が抱いていたような花々しい想像上の21世紀は、疫病と戦争によって打ち砕かれた。末法の世である。これから先を想像するにも、あまり明るい材料がない。新しい時代がそれほど魅力的でもなくなってしまった。それでも否応なく時代はアップデートされる。どこかで折り合いをつけなければならない。

 われわれの時代は、ほとんど耐えがたいほど、仮借ない探究を永続してきている時代である。探究の異常な亢進のなかでは、一切の後退性が切り捨てられ、すべての聖域が禁じられる、こうした探究の情熱は伝染し、未知な事象に関する猛烈な関心によって、われわれは未来へと激しい力で投入される…巧緻な計略で、われわれは過去の世界を現在が要求するものに役立てようと必死の努力をはらい陶冶してきたが、もはや目下の絶対的部分になるものを求め、先例のない知覚を鍛えるために記憶のすべてを捨て、想像も及ばぬ領土を発見するために、過去の遺産を放棄するという本質的な試練を避けることはできない。(ピエール・ブーレーズ)

 IRCAM発足時の言を読むに、こんなにも素朴に未来を信じられるとはなんと素晴らしいことだろうと羨望の念を禁じ得ない。こうした未来観は古臭くて理想主義に過ぎると、当の未来に生きる僕たちは言わねばならない。が、抗いがたい甘美な響きがある。手塚治虫の描いた近未来の世界に入り込めるかのような、そんな甘美さだ。

 ところで、戦後前衛音楽の目指した理念とは結局何だったのだろうか。上に引用した文を読めば察せられ、それは初期ブーレーズがアルバン・ベルクを徹底的に非難した理由とも重なる。つまり、音楽からあらゆる前提を捨て去るということ。バッハのコラール『われ満ち足れり』を知らなければ『ヴァイオリン協奏曲』を吟味できないという、前提あるシチュエーションの排除。調性も一個の前提だから(しかも習得にはだいぶ骨の折れる前提だ)当然排除される。個々人の経験の違いによって音楽体験が変わることの否定。何の予備知識もなく理解される音楽。それは書き手の側にも適用される。基本的な楽譜の読み書きができ、パラメータさえ用意できれば、トータル・セリエリズムの音楽は誰にも書き得るし、究極的には誰が書いても同じ結果になる。新しい作曲技法で新規参入を促す。規制緩和である。

 ロマン派の崩壊は調性理論の崩壊などではなく、前提となるイディオムが増殖しすぎたことによる自重の崩壊だ。本当はウェーベルンもその前提のなかにいる。が、彼は、それらのイディオムを、ほとんど文脈が見えなくなるほどに切り詰めたから、後人に道を開き得た。複雑すぎる前提を一から覚えなくても良いのだから朗報だ。いっそのこと、フルクサスのスタイルのような言葉によるインストラクション形式の作品ならば、より簡単に作曲家の新規参入を促せる。楽譜の読み書きすら前提にされないという意味で規制緩和が徹底される。

 戦後前衛音楽の語をこれらだけに代表させるのは雑に過ぎるが、その理念が成就した極点として例に挙げた。例えば、赤瀬川原平の『反芸術アンパン』だったか、彼の作曲した『梱包』がカーネギーホールで演奏される一幕の記述があったと思う。この作品は舞台上で楽器が梱包される様子を鑑賞すれば良く、それ以上の解釈は要らない。書き手だけでなく、演奏者にも聴衆にも、あらゆる前提が必要とされない。誰が書き、誰が演奏し、誰が聴いても、同じ結果になるはずだ。素晴らしきかな戦後民主主義。音楽体験は貴賤高下の出自を問わず、能力の如何を問わず、平等に楽しめるものになったのである。

 が、GoogleやTwitterの今日のように、実際の運営というものは理念だけではどうにもならない場合がある。結局は政府の助けが必要であったり、時には大阪の文楽のように、権力相手に不要な戦いをしなければならなかったりする。いっそう根本的な変化は、時間の経過だ。「過去の遺産を放棄するという本質的な試練」そのものが「過去の遺産」となり、「先例のない知覚」として顕現された音響が「先例」として機能することである。

 大久保賢は『黄昏の調べ 現代音楽の行方(春秋社)』で、現代音楽は一種の古典芸能であると指摘したが、事実として、戦後前衛はすでに「過去の遺産」であり「先例」である。ひとつの前提である。愛好する新しい世代も現れる。演奏不可能な譜面を演奏してしまう者も現れる。その世代の再生産によって、仕方のないこととしてポップ化・エンタメ化は起きる。でなければ「新しい複雑性」の諸作などあり得ない。必ずしも真に先鋭的なものでなくとも「先鋭的らしく聴こえるもの」で条件を満たすようになり、「未聴感らしく聴こえるもの」という概念に対するおおよそのコンセンサスによって評価される。今日、現代音楽の作家たるには、結局のところ本人の才能・能力とイディオムの習得が必要であり、その「形式と内容に対する要求はあらゆる点からみて高くなっているのである。」

 とは言え、これは特に非難することでもない。愛好されるべき音楽のジャンルが増えるのは喜ばしいことだ。好きな音楽をやればよい。が、今日多種多様に分岐された種々の前衛技法は、大なり小なり、そのはじまりの遺伝子を継ぐ。つまり、誰にも平等に同等の音楽体験を与えるのが命題であったということ。その始まりにおいては誰もが理想主義に燃えていたから、音楽はわけのわからないエネルギーに満ちていて、それが何と言っても魅力だ。しかし究極のところでは、書き手と聴き手の人間としての均質さが暗に求められているとも言える点に、時代的・思想的な制約・限界を感じる。多様性の今日、作家の独自性・独創性を担保するには、理念・理想から適度な距離を取り、前提となるイディオムを増殖させ続けなくてはならない。無論それは一つの道だ。それならそうと、結局は伝統主義的な仕草が避けられない事実を受け止め、前提を捨てるという前提を捨て去り、新しさに淫せず、上質な現在を築くべく腹を括ったほうが潔い。戦後前衛のもっとも肝心なところ…人々や未来を素朴に信じる甘美な理想主義そのものを受け継ぎたいなら、やはり「過去の遺産を放棄するという本質的な試練」もまた、新たに起こらねばならないだろう。

 現代音楽が藝術であり、藝術でありうることを誰も知らないということがよくある。現代音楽は苛立たしいと思っているのだ。それはつまり固定化を免れているということだ。こうした観点では何でもありになってしまうという反論がある。実のところ何でもありなのだ。無を規範とした場合に限っては。(ジョン・ケージ)

 自分の話をしよう。幼少期の音楽教育をまったく受けたことがないという意味で、僕は前提のない子だった。夏の夜にはムカデが迷い込む家賃5,000円の貧乏長屋に住んでいたから、中学で吹奏楽部に入るまで生の楽器を見たことがなかった。そんな環境で、どういうわけかアイヴズの第4交響曲を聴き、愚かにも作曲家に憧れ、何を血迷ったか音大に進路を定めた。15歳だった。急いで駆け込んだ近所のピアノ教師にはまともに相手にされなかったけれども、高校の2年間で芸大和声3巻本をこなし、作曲科に行った。前時代であれば入口にすら立てなかった環境の子であるから、戦後民主主義には感謝している。が、当時はそれをありがたくも思わず、ほとんどの時間を食堂で過ごし、山のように与えられる和声課題は先生の好きそうな噂話をしてごまかし、同級生の下宿先では真夜中までフリー・インプロヴィゼーションに興じ、玄関を蹴られ、図書館ではグリゼーのヴィオラ独奏曲『プロローグ』やラッヘンマンのクラリネット協奏曲『アッカント』の楽譜などを借りて読んだ。ショパンやリストしか弾かないピアノ科の学生たちなど心底見下していた。逸脱した学生生活である。

 そんなある日、とあるチェリストの演奏会へ譜めくりのバイトに行った。ベートーヴェンのチェロ・ソナタだった。第4ソナタの最後、快活なハ長調の途中で奇妙な空虚5度が差し込まれる。これに僕は頭を抱えてしまった。ベートーヴェンなんて「過去の遺産」だと思っていたから、それまでせいぜい交響曲くらいしか聴かず、それを大して面白いとも思わず、楽譜といえば受験曲に選んだテンペスト・ソナタくらいしか読んだことが無かった。まったく前提のない若造だったから、第4チェロ・ソナタの空虚5度が、語の全き意味での「未聴感」として機能してしまった。マウスピースを外したクラリネットのブレス・ノイズよりも斬新に響いてしまった。我が人生と定めたはずの現代音楽からも逸脱しようとしていた。

 とは言え、すぐさま作風を変えたわけではない。そんな勇気はとても無かった。が、例えば特殊奏法にしても、音は鳴っても楽器が鳴らず、ミキサーを通した録音では効果的でもホールでは同様の効果が必ずしも得られるとは限らないことを学び、次第に避けるようになった。演奏者の勝手にされるのが結局は気に食わず不確定要素を嫌うようになった。部分的な効果音にしかならない要素を無駄に感じるようになり、聴かせたい部分を聴かせるためにシンプルな素材を選ぶようになった。「過去の遺産を放棄する」という「過去の遺産」を「放棄」し、件の空虚5度で得た「未聴感」の神秘を古典の手法中に探し、そうして逸脱に逸脱を重ねた結果、今や僕は、「この作曲家はミヨーすら勉強していないように見受けられる」と悪態をつかれるほどの、立派な懐古主義者と変節したわけである。

 最近の東京の街角では、少々レトロな色合いの赤い唇をした若い女の子とすれ違う。僕のような世代にとっては少々古臭いようにも感じるのだが、彼女たちにとっては新鮮だ。しかし彼女たちのメイクやファッションが往時とまったく同じかと言えば、もちろん違う。10年代の残り香もあり、まったく新しい工夫もある。時計は巻き戻らないし、覆水は盆に返らない。18・19世紀はすでに遠く、王侯貴族はいないし、阿片は吸わないし、ウィッグはかぶらない。たとえハイドンやモーツァルトを参照するとしても、その聴取体験が19世紀末・20世紀初頭の解釈か、それとも古楽の解釈かによって事情が変わる。後ろ向きの古典主義者として断言するが、そもそも伝統回帰など不可能だ。帰る場所などないのである。

 自作のリハーサルの際、必ずと言って良いほど「本当に合っている音なのかどうかが分からない」と演奏家から尋ねられる。古典派・ロマン派の名曲という名曲をそれこそ何千何万と演奏してきた皆さんだから、身に覚えのない箇所、見慣れない箇所があるのである。そういう箇所こそ、僕が何かしらかの現代音楽作品から得た教訓を無意識のうちに(ときに意識的に)落とし込んでいる部分、調性音楽としては逸脱している部分なのだが、本番を迎える頃にはすっかり磨かれてしまって、本当に誰も気づかない。「譜読みが大変なのに練習するほど普通に聴こえるからコスパが悪い」と、時に愚痴られることもあるけれど、それはご容赦願いたい。少なくとも、僕は自分の経験から、遺伝子は伝えるだけでなく組み替えることも出来るのだと言うことができる。これも一つの道だが唯一の道ではない。実にたくさんの進むべき道がある。でも、人生は短い。進まねばならない道は一つしか選べない。

 このように、僕は逸脱に逸脱を重ねてきたし、ここに記したようなことからもすでに逸脱している気がする。蓋棺事定というが、死後の評価を期待するのでなく、この先どうなるか自分でもよく分からないのだ。突然踵を返すかもしれない。戦後前衛に「伝統回帰」するかもしれない。あまのじゃくということもあるけれど、何より固定化を嫌うのが実験主義者の性根というものだから。そうして今後も逸脱を重ねてしまうだろうにしても、人の道からは逸脱することのないよう心したい。

2022年10月13日木曜日

プログラムノート/西澤健一 協奏曲作品の夕べ

※配信でご覧の皆様のために、プログラムノートを公開いたします。


◎西澤健一 協奏曲作品の夕べ

2022年10月13日(木)19:00開演(18:00開場)

めぐろパーシモンホール 大ホール

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◆プログラムノート - 西澤健一

・ヴァイオリンと管弦楽のための幻想曲

 2013年、『交響曲第一番』を発表した直後に着手。演奏される予定があったからこそ書き始めたものの、残念ながら、書いている最中にその話がなくなった。完成した作品は、2022年6月、澤田智恵氏のヴァイオリンと私自身のピアノで、リダクション譜による初演を行うまで、ハードドライブのなかに眠ったままだった。

 その初演を終えて、とあるご婦人から頂いた感想を私はとても気に入っている。曰く、「ある孤独な若者が薄暗い森を歩き、山を登り、その先で哲人に出会い、静かな満足を得て山を下っていく。そんな情景のようだ」…哲人の存在を想像してはいなかったが、元々の“演奏される予定”で設定されていたテーマは「自然」であり、「山」だった(のを、ご婦人のお話でようやく自分でも思い出した。)伝えるべきことを伝えられたことに私は静かな満足を得ている。最高の共演者を得て、今公演が原作の初演となる。

・オーボエと弦楽合奏のための協奏曲

 クリストフ・ハルトマン氏とは2015年作曲の『オーボエ・ソナタ』以来の付き合いであるが、2018年2月、日本ダブルリード株式会社創立50周年記念コンサートの席で再会した氏から、協奏曲を書く気はないかと尋ねられた。彼によれば、それは弦楽合奏で、かつ、そのままの楽譜で弦楽四重奏でも演奏できるように書かれたものが望ましいとのことだった。私好みで演奏家らしいプラクティカルなアイデアである。いずれ必ず、と約束した。

 オペラの仕事を終え、ようやく作曲に着手しようとした矢先の2020年2月、父が倒れ、コロナ禍がやってきた。緊急事態宣言が発出された同年4月、がら空きの電車に乗って、面会できない父に入れ歯の洗浄剤などを届け、社会的にも個人的にも先行きのわからない状況にうろたえる母を電話口でなだめながら、楽譜を埋めた。

 全体的におだやかな楽想が支配的な作品となった。モデラートの第一楽章、アンダンテの第二楽章、快活なアレグロの第三楽章も最後は速度を落とし、長調に転じた第一楽章の素材を回想してしずかに締めくくられる。ちなみに(これは少々出来過ぎた話のように私自身も感じるので書くのをためらうが)父が死んだのは、この作品の最後の音を書き終えたその日、5月16日のことだった。

 2020年中の初演を試みたが、厳しい入国制限が布かれていた当時は、国を跨いでの公演が難しかった。ようやく初演できることが、素直に嬉しい。

・2つのヴァイオリンのための協奏曲

 昨年末から年始にかけて、日本ウクライナ芸術協会を主宰する澤田智恵氏から作曲の相談を受けた。曰く、日本とウクライナの国交樹立30周年を記念する同協会主催コンサートのために、2つのヴァイオリンのための協奏曲を書いてくれないか。もし可能なら、10月頃を予定しているウクライナ初演で指揮も振ってくれると嬉しい、とのこと。彼女とともにソリストを務めるオレグ・クリサ氏が私の作品(本日一曲目に演奏する『幻想曲』である)を高く評価してくれているとの話も伝わってきた。

 光栄なことであるし、行くとなれば初めての東欧である。どこを観光しようかしら、ごはんは美味しいかしら、お酒はたくさん飲めるのかしら。祝祭的な音楽を耳のなかで聴きながら、そんなことを暢気に考えていた。「武力の脅威、不信、心理的・イデオロギー的な闘争は、もはや過去のものになった(ミハイル・ゴルバチョフ)」という前世紀末の輝かしい宣言が脆くも崩れたのは、それから間もなくのことだった。

 ブチャをはじめとする各地の悲惨さを伝える報道を目にしたあとでは、どんな楽想にも説得力を感じることができず、しばらく筆が進まなかった。が、ウクライナ出身の友人が東京のライブイベントで演じたパフォーマンスが私にインスピレーションを与えてくれた。彼女は大音量の『Bind, Torture, Kill』(=拘束・拷問・殺害。ベルギーのインダストリアルバンドSuicide Commandoの作品)をBGMに一個の死体を演じたが、それを観ながら、私の耳にはまったく違う種類の音楽が鳴りはじめたのだった。拘束され、拷問され、殺害された人々に対して、私は結局なにもできない。せめて彼らと同じ側に立ち、彼らを弔い、彼らを忘れないと誓うしかない。第一楽章で、私は私にできることをした。

 第二楽章は、今年4月に作曲した『ウクライナ民話「空とぶ船とゆかいななかま」朗読のための音楽』からの引用で、撒くとたちまち霜が降りる藁束を扱う男のメロディである。物語ではひとりの奇人として描かれる彼を、私は、冬をつかさどる精霊と捉えた。中間部には『空とぶ船』と同時に作曲した『ウクライナ民話「てぶくろ」朗読のための音楽』の主要主題を配し、冬将軍に守られる者たちを二つの民話を繋いで描いた。

 第三楽章はパッサカリアの序奏とアレグロの主部からなる。パッサカリアは、とあるウクライナのポップソングから採取した低音を用いている。(まったく違う展開を与えたので、もちろん表面上は原型を留めていない。)主部はクリミアタタールの民族音楽から受けた印象を、日本の響きを交えつつ展開させた。

・2台ピアノのための協奏曲

 この作品は、『2つのヴァイオリンのための協奏曲』と双子の関係にある。2つの同楽器のための協奏曲というフォルムの意味でもそうであるし、ほぼ同時に着手したという意味でもそうである。素材の意味でも双子と言える。第2楽章と第4楽章には先述の『てぶくろ』『空とぶ船』からの引用がある。これら朗読のための音楽は、そもそもウクライナ支援のチャリティ公演のために書いたもので、今年4月28日に武松洋子氏の朗読、澤田智恵氏のヴァイオリンと私自身のピアノで披露した。ただただ森の動物たちが集まるような、平和で平穏な世界観から受け取ったものが両作品の根にあるのは間違いない。

 唯一の違いは性格の違いだ。『2つのヴァイオリンのための協奏曲』が、侵攻に苦しむ現実世界のウクライナに寄り添う作品であるのに対し、『2台ピアノのための協奏曲』は、もし侵略がなかったらどんな祝典曲を書いてお祝いしていたかを書いたものだ。今年の年始に、食事や酒を妄想しながら耳の内に聴いていた祝祭的な嬉遊曲である。そうした種類の幸せは、自由で民主的な未来が確保されたうえで、ふたたび味わわれなければならない。

 堂々として華やかなソナタ形式の第一楽章。第二楽章はスケルツォ風の三部形式。情熱的な主部と、『てぶくろ』の小動物たちと『空とぶ船』の間抜けが優しくたわむれる中間部。第三楽章はゆるやかな二部形式の緩徐楽章。リリカルに歌われる第一部と、主題が熱を帯びながらゆるゆると崩壊していく第二部。 

 第四楽章はロンドソナタ風だが、15回繰り返される(ときにフーガにもなる)冒頭の畳句、2回ずつ現れる嬉遊句と『空とぶ船』のメロディは、現れるたびに12の異なる調へと移される。ちなみに、最後には高らかに歌われる民話のメロディは、40樽の葡萄酒をたった一口で飲み干してしまう男を表現したものだ。

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◆プロフィール

西澤健一

国立音楽大学を一年半で中退し、以後独学で研鑽を積む。室内楽から交響曲、自身の台本によるオペラに至るまで幅広いジャンルで100曲以上の作品を発表。2001年にブリュッセルで開催された個展以降、楽壇からは超然としながらも、国内外の著名な演奏家たちが惜しみなく称賛する気鋭。「瞑想の形式のなかで文学を演じている」(ダス・オルケスター誌)「簡素な透明性に満ち、エネルギッシュで崇高な内容を持つ西澤の音楽は、まず第一に人間であることに感動する側に立って語り掛ける音楽を味わうという喜びを、われわれに取り戻してくれる」(メキシコ・シナロワ紙)繊細な音色が持ち味のピアニストとしても活動するほか、舞台・映像作品に揮毫を寄せたり、文筆でも賞歴を得るなど、多様な才能を誇る。

オレグ・クリサ

ダヴィド・オイストラフの高弟にして、ウクライナが誇るヴァイオリン界の重鎮。パガニーニ国際コンクール優勝、上位入賞多数。著名な指揮者らと世界各都市主要オーケストラと共演。2019年第3回クリサ国際コンクール開催。「Musician of the First Rank」(N.Y.タイムズ紙)

クリストフ・ハルトマン

1992年よりベルリン・フィルハーモニー管弦楽団オーボエ奏者として活動する傍ら、同楽団アカデミーをはじめ世界各地で後進指導にあたるオーボエの伝道師。ソロ、室内楽の分野でも積極的に活動。アンサンブル・ベルリン創設メンバー。

澤田智恵

ロシア国立グネーシン音楽院学士修士、パリエコールノルマル卒。オレグ・クリサと各国で、ウクライナ国立管弦楽団、室内楽団と共演、録音。「多彩な美しい音色と情熱の個性」(O.クリサ)。2018年日本ウクライナ芸術協会設立、代表就任。芸術国際交流公演、チャリティ公演等主催。

花房晴美

「巨匠ピアニスト名鑑のHの項に、クララ・ハスキル、ウラディーミル・ホロヴィッツに並んで、いずれ花房晴美の名が刻まれるであろう」( ハイファイステレオ誌)華麗な演奏が魅力の、日本を代表するピアニストの一人。国内はもとより、海外のオーケストラとの共演を重ねるなど、国際的にも高く評価されている。

花房真美

国立音楽大学付属高校、国立音楽大学を経て、同大学大学院修士課程修了。1982年草月ホールのリサイタルを皮切りに数多くの演奏会に出演。1992年から実姉花房晴美と「花房シスターズ・ピアノデュオ」の本格的な活動をスタートさせ、各地でリサイタルを行い絶賛を博す。

Program Introduction/Kenichi Nishizawa Concerti Concert

Kenichi nishizawa Concerti Concert 

Oct. 13 2022 (Thu.)  Start 18:30 JST (10:00 UTC)

Meguro Persimmon Hall - Main Hall

"Concerto for Oboe and Strings" was composed in May 2020, however its premiere was canceled due to the covid-19. "Concerto for Two Violins" was supposed to be premiered in Kyiv in autumn of this year to celebrate the 30th anniversary of the establishment of diplomatic relations between Japan and Ukraine. Together with these 2 compositions the aspiring Kenichi Nishizawa wrote "Concerto for Two Pianos" for this specific concert. The program was influenced by these chaotic times and will be conducted by the composer himself, and the solo parts will be performed by world-renowned maestros. 


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Program Introduction - Kenichi Nishizawa

Fantasy for Violin and Orchestra op.84 (2013)

I started working on this piece in 2013, right after the release of my "Symphony No. 1". I started writing it because it was scheduled to be performed that year, but unfortunately  while I was writing it, the project was canceled. The completed work remained on hold on one of my hard disk drives until June 2022, when I premiered it as a piano-reduction version with Chie Sawada on violin and myself on piano.

After that first performance, a lady gave me a very appreciated comment. She said she got the following impression while listening, "A lonely young man walks through a dimly lit forest, climbs a mountain, meets a philosopher, and descends the mountain quietly satisfied”. I had not imagined “the philosopher” myself, but after what she said, I remembered that the theme was originally planned to be "nature" and "mountains". I am quietly satisfied that I was able to convey that with this piece. Now, with the best co-stars I could ever dream of, for the first time it will be performed in its original state.


Concerto for Oboe and String orchestra op.110 (2020)

I have known Christoph Hartmann since my "Oboe Sonata" composed in 2015. We met  again in February 2018 at the 50th anniversary concert of Japan Double-Reed Inc., where he asked me if I was interested in writing a concerto. He told me it should be for a string ensemble and written in such a way that it could be played by a string quartet too using the same score. This very practical idea, given by him from a performer's point of view, was to my liking. I promised him that I would eventually do it.

In February 2020, just as I was about to finish my opera work and finally begin composing music again, my father collapsed and the world was struck with Covid-19. In April of the same year, when the state of emergency was declared, I rode an empty train to deliver  supplies to my father, but I was unable to visit him. I progressively wrote the scores while soothing my mother over the phone, who was distraught over the uncertain social and personal conditions.

Overall, the work is dominated by gentle musicality. The moderato first movement, the andante second movement. Continuing with the lively allegro third movement which slows down at the end. Followed by recalling the material of the first movement, now portrayed in a major key which all comes to a peaceful end. I hesitated to write this since it is a bit too overwhelming. Because, on a sad note, my father died on May 16th and that was the same day I finished the last note of this piece. 

We attempted to stage a performance in 2020, but it was difficult to perform overseas at the time because of the strict immigration restrictions. I am honestly happy that we are finally able to perform it for the first time.


Concerto for 2 Violins and Orchestra op.120 (2022)

Toward the end of last year into the beginning of this year, I was asked by Chie Sawada, who presides over the Japan-Ukraine Art Association, to compose a piece for her. She asked me to write a concerto for two violins for a concert organized by the association to commemorate the 30th anniversary of the establishment of diplomatic relations between Japan and Ukraine. She also asked if I could conduct the premiere in Ukraine in person, which was scheduled for October this year. I was also informed that Oleh Krysa, who will be the soloist with her, spoke highly of my work "Fantasy", (which is the first piece to be performed today).

It would have been an honor to go and it would be my first time in Eastern Europe. I wondered where to go sightseeing, if the food would be good, and if I could drink a lot of alcohol. I was thinking carefreely about all these things while listening to festive music in my ears. Just before it all came crashing down, last century’s declaration of Mikhail Gorbachev came to mind "The threat of force, mistrust, psychological and ideological struggle should all be things of the past.” 

After seeing news reports of the misery in Bucha and other parts of the world, I could not find any convincing musical ideas and for a while I could not write anything. However, I was reinspired by a performance by a friend of mine from Ukraine at a live event in Tokyo. She acted as a corpse while loud music shouted, "Bind, Torture, Kill" (by the Belgian industrial band Suicide Commando), and as I watched, a completely different genre of music started playing in my ears. In the end, I can not do anything for the people who are being bound, tortured, and killed. I can only stand with them, mourn them, and vow to never forget them. In the first movement of the song I do just that. 

The theme of the second movement is taken from "Music for Reading Performance of the Ukrainian Folktale - The Fool of the World and the Flying Ship'' composed in April of this year, and is a melody about a man who handles a bundle of straw that immediately turns frosty when it scatters. In the story, he is portrayed as an eccentric man, but I see him as a winter spirit. For the middle part, I use the main theme from "Music for Reading Performance of the Ukrainian Folktale - The Mitten" which I composed at the same time as "The Flying Ship", and I am connecting the two folk tales by depicting those who are protected by the General Frost character (winter spirit).

The third movement consists of a passacaglia introduction and an allegro main part. The passacaglia is a bass note taken from a certain Ukrainian popular song. But it does not retain its original form since I gave it a completely different development progression. The main part is developed by the impression I received from Crimean Tatars’ folk music, which I mixed with typical Japanese sounds. 


Concerto for 2 Pianos and Orchestra op.119 (2022)

This work is a twin piece to "Concerto for Two Violins," both in the sense of form as a concerto for two identical instruments and in the sense that they were being written almost simultaneously. They are also twins in the sense of resources. The second and fourth movements contain quotations from "The Mitten" and "The Flying Ship" mentioned above. The music for these readings was originally written for a charity performance in support of Ukraine, and was performed on April 28 this year with readings by Yoko Takematsu, Chie Sawada on violin, and myself on piano. There is no doubt that both these concertos were rooted in what I received from the peaceful and serene worldview of animals gathering and warming up in a winter forest from the folktales.

The only difference between these two pieces is their personalities. Whereas "Concerto for Two Violins" is a work that accompanies Ukraine in the real world suffering from the invasion, "Concerto for Two Pianos" is a piece about what kind of festive music I would have written to celebrate if there had been no invasion. It is the kind of festive divertimento that I listened to at the beginning of this year while fantasizing about Ukrainian food and drinks. I would like that kind of happiness to be experienced again after a free and democratic future is secured.

The first movement is a grand imposing sonata form. The second movement is a scherzo-like ternary form, with passionate main parts and a middle part in which the small animals from "The Mitten" and the fool from “The Flying Ship" gently frolic. The third movement is a slow movement in a gentle binary form, where the first part has a lyrically sung theme, which slowly disintegrates as it heats up in the second part.

The fourth movement is in the style of a rondo sonata. The opening phrase is repeated 15 times throughout the piece (sometimes as a fugue). The piece also uses episodes and the melody from “The Flying Ship” twice. Each time either of these parts or the opening phrase recurs, the key is shifted, to a total of 12 times. Incidentally, the folk tale melody sung in high spirits at the end represents a man who drinks up 40 barrels of wine in a single gulp.


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Kenichi Nishizawa (Comp & Cond.) 

After a year and a half he dropped out of Kunitachi College of Music. Ever since, he has been self-taught and has produced more than 100 works in a wide range of genres, from chamber music to symphonic works and operas using his own scripts. Since his solo exhibition in Brussels in 2001, he has been a figure in the world of music, but has been praised by many renowned performers both in Japan and abroad. "He performs literature in a meditative form" (Das Orkestar).  "Nishizawa's music, with its simple clarity, energetic and sublime content, brings us back to the joy of savoring music that speaks to us from the moving side of being human first and foremost" (Mexican newspaper). In addition to being a pianist with a delicate sound, Nishizawa's diverse talents include calligraphy for stage and film productions and receiving awards for one of his essays.

Oleh Krysa (Vln.)

A leading disciple of David Oistrakh, he is the pride of Ukraine and a leading figure in the world of violin. Winner of the Paganini International Competition and many other top prizes. He has performed with renowned conductors and major orchestras in various cities around the world, and held the 3rd Krysa International Competition in 2019. "Musician of the First Rank" (N.Y. Times).

Christoph Hartmann (Ob.)

Since 1992, he has been active as an oboe player with the Berlin Philharmonic Orchestra and he teaches at the Karajan Academy and other venues around the world. He is also active as a soloist and chamber musician. He is a founding member of Ensemble Berlin.

Chie Sawada (Vln.)

She holds a Bachelor's and Master's degree from the Gnessin State Musical College in Russia, and a graduate of the École Normale de Musique de Paris. Performed and recorded in various countries with Oleh Krysa and with the Ukrainian National Orchestra and Chamber Orchestra. In 2018, she founded the Japan-Ukraine Art Association and became its representative. She is the organizer of international artistic exchange performances, charity performances, etc.

Harumi Hanafusa (Pno.)

"Harumi Hanafusa's name would be inscribed in the "H" section of the "Master Pianist Directory" along with Clara Haskil and Vladimir Horowitz" (Hi-Fi Stereo Magazine). She is one of Japan's leading pianists, Hanafusa is known for her brilliant playing. She is highly acclaimed both domestically and internationally, performing with orchestras in many countries.

Mami Hanafusa (Pno.)

She completed her master's degree at Kunitachi College of Music, and performed in many concerts, starting with a recital at Sogetsu Hall in 1982. In 1992, she started the "Hanafusa Sisters Piano Duo" with her own sister Harumi Hanafusa, and they have given recitals in various places to great acclaim.

2022年8月7日日曜日

根エも葉アもない幻-オペラ「卍」に書いたこと

 オペラ『卍』について、台本を書く際、僕は作中で実際に行われている会話のみを用いて組み立てることを基本的なコンセプトとした。これを、心理戦に欠くと不服に思われた向きがあったようだ。たしかに、僕の台本では「わたしこないだから大変失礼してました」のような他愛もない挨拶が表に立っており、綿貫に至っては「僕は綿貫いうもんです」「綿貫いう男は僕です」と自己紹介ばかりしている。作中の会話が使えない部分、すなわち物語を補足した部分であっても、「阪神電車で梅田まで」であるとか、「観音さん描いてるのんやけど」といった、作中で実際に起きている事象の提示に徹した。唯一、園子が声には出していない声を歌う場面が第二幕にあるが、それも、「どこまで厚かましいねん」以降、園子から見える光子と綿貫の状況を説明しているだけである。

 つまり、僕は登場人物に自分の心情をほとんど歌わせなかったわけであるから、心理戦を省いたと思われるのももっともなこととは言える。

 原作には、あくまで園子が「先生」に語っている物語であるという前提がある。秘密の守られた2人きりというプライベートな空間が前提としてあるから、園子が自分自身の心に触れても問題ない。が、舞台化において、その設定をすべての場面に用いることはできない。しかも園子以外の三人の心理は結局園子の想像でしかないというのも、また、本作の大前提である。原作に忠実であろうとすればするほど、園子の妄想する光子や孝太郎の心理を、本人の口を動かして語らせるわけにはいかない。であるから、新聞記事を書くような真面目さで、作中で確実に起きている事件、確実に人物が発した言葉を検証し、ひとつひとつ積み重ねていくことを基本的なコンセプトとしたのである。

 それでも十分だと僕が確信するのは、誰が誰に向かって、どういうシチュエーションで、どういうイントネーションで発せられる言葉なのかが音程化できれば、恋をしているのか、尊敬しているのか、それとも怪しんでいるのか、あるいは憎んでいるのかは自ずと伝わるものだというオペラ作家の先達ヤナーチェクの教訓を深く信頼するからで、だからこそ、翻訳なしでも外国語のオペラアリアに涙するようなことは起こり得るのだ。作曲家がオペラにおいてなすべきたったひとつの仕事は、登場人物の関係性を示す音程の組織化である。

 そして、大阪ことばのアクセントやイントネーションを音程化するのに日本的な音程が実に便利な道具であればこそ(部分的ではなく)全編にわたって歌い手にそれを宛がったのである。念のため申し上げれば、僕は「日本伝統音階」なるものはそもそも存在しないと考える立場であって、解説では小泉文夫と柴田南雄という名を挙げ「日本的な音程」という言葉で書き示した。音程を取り出して下から順に並べてペンタトニックだとは考え方の順序が違う、というような記述が、柴田の著書『音楽の骸骨のはなし』にもあったはずだ。

* * *

 さて、作中の例を挙げる。第二幕、光子が妊娠しているとは初耳だと園子が言う。それに対し、綿貫は「初耳」と驚く。彼は無論驚いてなどいない。園子の返答は彼にとって織り込み済みで、わざとらしく驚いて見せ、周囲にも(先日の演出の場合なら「梅にも」)聞こえるように園子の言葉を繰り返しているのである。狙ったとおりの返答を導き出せた邪悪な悦びだ。そして畳みかけるわけである。「なんで隠すんでしょう、ああ、お姉さんに嫌われる思て嘘を吐いてるのんと違いますか?」…この「ああ、」など、どこまでもわざとらしく演技掛かっていなければ、隠し通せない悦びがなければ、二人の関係は明確にならない。

 僕はこれをおめでたいお正月のような音程で書いたわけだが、内容と音階(僕は音程と言う)の不一致と見た評者は、きっと上質な生活を送ってこられ、おそらくゆすりやたかりの類に遭遇したことが無いのであろう。羨ましい限りである。

 綿貫は(原作に忠実になれば自然とそうなるのだが)他人の心に土足で踏み込む作中唯一の人物であって、ただ綿貫のみが、園子や光子の心理を勝手に覗き込み、勝手に分析し、他人のプライバシーというものの領域を勝手に破る。その結果としての新聞騒ぎだ。性欲の話を心の問題で上書きして、根も葉もない幻を現実と信じ込ませ、ゆすり、たかる。ある意味ではもっとも良く相手のことを考えている人であり、相手に合わせて生きている人である。確立された自己が無い劣等感の跳ね返りで、自分は特別な存在だと思い込んでいる平凡な人特有の暴力性は、現実と空想とがない交ぜになった妄言で表現される。

 柿内夫妻(評者の「垣内」は誤植)は本来、良くも悪くも自分は自分と考える人たちで、世界標準の、近代的に教育され自立した自由主義的個人である。ゆえに(変な言い方だが)第一幕は平凡な三角関係で済んでいる。つまり、平凡な性欲と、平凡な嫉妬だ。園子と孝太郎は第一幕の終わりのように平凡な喧嘩をして、平凡な離婚をすれば良かった。その三人が心の問題に汚染されるとどうなるかが第三幕であって、園子のような浮世離れした人など、特に、綿貫的な妄言に対する免疫がない。三人は三人で仲良くするという薄気味の悪い大義を掲げるようになり、その実、常に相手の心理を邪推し合う関係に陥る。「綿貫に似てきた」のである。原作を構成する要素は様々あるが、僕は何よりも、ここを重視した。「まったく今日の話として通ずる主題と信じる」と書いたのは、この意味だ。

 原作で「心」ないしは「心理」という単語が、どのタイミングから、どのような用法で使われ始めるのかを探してみると納得していただけるだろう。性欲のように具体的な感情でなく、妄想上の相手の心理のような、不確かなものを行動の軸とすることで、人物の行動にどのような変容が生じたのかが見える。そして、そんな不確かなものを無条件に良いものと捉え、道徳として従うよう同調圧力のかかるのが今日の社会であって、軍事の話を心の問題に上書きした大日本帝国のように、それは必滅の道なのである。

 ゆえに、僕が書いたのは「日本」ではない。古き良きイノセントな「日本」ではない。そんなものを懐かしむ仕草など原作のどこにも書かれていない。最後の観音経以外、書かれていないものは足していない。原作に描かれているのは今日の社会である。生きる勇気だの嫌われる勇気だの人を操る最強の心理術だのという本ばかりが刷られ売られていく今日の社会、妖怪だのパワースポット廻りだのスピリチュアルなもので行政が商売を始める今日の社会、「西澤健一は恐ろしく〈正直〉なのだろう」などという僕の内面を勝手に想像して恥じない評を書く今日の社会、男子に劣情を催させる不道徳な髪型とポニーテールを断じる今日の社会、凶悪犯罪を加害者個人の心の問題で片づけてきた今日の社会、教育を受けた個人がオカルトに染まりカルト化していく今日の社会、愛国心を煽る今日の社会、昨日から続く今日の社会である。同性愛をもって変態性欲だのとは今日日(日本のような遅れた国を除いて)主題にならないし、愛欲は人間を形作る要素の一つに過ぎないが、心の問題を公の場で沙汰する気持ち悪さは、今日の劇場で今日の聴衆と分かち合うべき主題となり得る。

 オペラは初めてだという友人から、しみじみと「綿貫がマジで気持ち悪かった」という感想をもらった。最高の誉め言葉で嬉しかった。気持ち悪く見えるはずなのである。

* * *

 感想のなかには「悪人の光子が最後は仏になるのは納得できない」といった意見もあった。「善人なおもて往生を遂ぐ、況んや悪人をや」であるとか「わが機の信不信、浄不浄、有罪無罪を論ぜず」といった750年前から850年前の智慧を繰り返せば、人間の仏性はその人の行いの善悪とは無関係だから光子は成仏するのだ。思うに、善い行いを積み重ねても良い人でしかないし、悪い行いを積み重ねても、結局悪い人でしかない。良い人も悪い人も、言うなれば平凡な凡夫であって、凡夫に仏性は無い。

 光子が成仏するのは、彼女が美しいからでもない。彼女は美しかったおかげで美しい仏になったが、彼女もやはり、人よりかは美しい平凡な人でしかない。彼女は今際の際でまったくこの世を忘れ去ったから仏になった。彼女一人だけが、脇仏になるだの、焼きもち焼かずに三人仲良くなりたいだのと祈っていないのだ。とても地獄は一定すみかぞかしと打っ棄って、もはや園子や孝太郎のことさえ、ある意味どうでも良くなった。手段こそ最悪であるが、ともあれ、心の問題から自由になった。生来・本有の彼女に戻ったとも言える。

 僕たち音楽家の場合、ここはフォルテ、ここはクレッシェンド、ここからリタルダンドをかけて、ここでテンポに戻るなどと、聴衆の前でそれらを積み重ねて突き抜けた演奏になるかといえば、ならない。そういったものをすべて忘れ去ったとき、舞台の上でひとつの空白となったとき、実力の有無、名声の有無を問わず、神々しい演奏になる。聴衆の集中力を一身に浴びる。幸せな音楽家なら一度は味わう忘れがたい経験だ。それならばと、邪念を捨てよう捨てようと思って捨てられるものかと言えば、うまくは捨てられないものだ。成仏や往生を、僕はそれと似たようなものと思っている。

 もっとも、正しい行いと正しい信仰で天国に行けると信じて身を律するのも悪いこととは言えないかもしれない。僕たち音楽家も、練習の段階ではフォルテだのクレッシェンドだのをひとつひとつ積み重ねる以外にない。が、自己啓発本の教え通りに「ついてる」と一日1,000回唱えるといったような、強迫的な射幸心に誰もが汚染されている今日の社会では、なかなか納得されづらい表現だったのかもしれない。

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 光子だけが燦然とした仏身になり、脇仏になれず無様に行き倒れている孝太郎の画を稽古ではじめて見たとき、どうして僕は何の説明もしなかったのに、しかも僕には想像できない形でこれを実現してくれたものかと、三浦安浩氏の演出にしたたか感動した。そして本番で、演者が、オーケストラのひとりひとりが、どういう集中力を僕に向けてくれたのかを僕は全身に浴びている。こんな野暮な解説をせずとも、僕の意図を僕よりも深いところで、音によって汲み取ってくれた皆様には感謝の言葉も見つけられない。

 一方で、僕がワーグナーを心底嫌っているように(僕の場合、おそらく同族嫌悪だ)残念ながら僕の音楽とは肌の合わない方がおられることも僕は良く知っている。仕方のないことではないか。であるなら、自分の心を欺くことなく、何の遠慮もなく、矢代秋雄のジョリヴェ評のように「まず私は西澤の顔が嫌いだ」と、言うてくれてもええんやで。

2022年3月6日日曜日

修羅の妄執-ウクライナ侵攻

 一気に全人類を救済しようと努めてはいけない。まず、せめて一人の人間でも救うように試みなさい。これははるかに困難なことだ。ほかの人を傷つけないようにして一人の人間を助けるというのは、たいへんむずかしいことである。信じられないほどむずかしい。それだからこそ、全人類を同時に救済したいという誘惑が出現するのである。だが、それにもかかわらず、その誘惑に乗ると、必然的に、人類の幸福のためには、少なくとも数億の人間を抹殺しなければならなくなる。もちろん、ばかばかしいことである。(『ショスタコーヴィチの証言』ソロモン・ヴォルコフ編/水野忠夫訳 1986・中公文庫)

 もはや「偽書」として、読む人も少なくなったかもしれない。ショスタコーヴィチその人を研究するには役に立たないものになったかもしれない。が、それでも、若い時分に読んだこの本には、僕にとって大切な言葉が沢山あった。例えば「作曲家たるもの、せめて楽器のひとつは完璧に弾きこなせなければならない。ピアノでも、ヴァイオリンでも、(略)なんでもよい。それこそトライアングルだってかまわない」などは、あたかも自分で考えたことのように生徒に伝えたりもする。上に引いたような一文は僕の行動の規範にもなっている。実際、一人の人間を助けるというのは信じられないほど難しいことだ。この言葉をなぞって口にする資格が、僕にはいくらかあるのではないかと思っている。

 本書には、スターリン時代におけるウクライナの吟遊詩人たちの処遇に関する記述もあった。街をうろうろ歩きながら、検閲の許可を受けていない歌を歌う盲人たち。盲目ゆえに書類を見せるわけにも、サインを求めるわけにもいかない。もっとも簡単で効率的な対処法として、何百という吟遊詩人たちが一か所に集められ、みな銃殺されたという。国家の「偉大な事業が進展中である」という理由で、ありとあらゆる繊細な音楽、詩、生きた歴史が、すべて無かったことにされた。ハルキフにはバンドゥーラ奏者の石碑が建っていると聞く。

 僕の母は弱視なので、尚のこと、このエピソードには胸を抉られるような思いがした。が、この凄愴な物語を、僕はやはり、二度と繰り返してはならない人類の愚行の「物語」として読んでいた。ベルリンの壁の崩壊をテレビで見た世代だ。1991年8月のクーデターが瞬く間に鎮圧され、バルト三国が独立し、ウクライナの国民投票を経てソ連も崩壊した。社会科の地図帳に「独立国家共同体」と赤字で書き込んだ世代だ。「武力の脅威、不信、心理的・イデオロギー的な闘争は、もはや過去のものになった」というミハイル・ゴルバチョフの言葉に輝かしい21世紀を信じた。もちろん戦争はあった。湾岸戦争があった。ユーゴスラビア紛争があった。が、1999年にも8月がやってきたことに残念がるようなほっとするような表情を浮かべていた人々が祝祭の雰囲気を楽しんでいたミレニアム・イヤーの頃に、ワールドトレードセンタービルの崩壊を想像するのは難しかった。

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 スウェーデンに滞在していた今年1月のはじめ、日本ウクライナ芸術協会を主宰する澤田智恵氏から作曲の相談を受けた。曰く、日本とウクライナの国交樹立30周年を記念するコンサートのために、2挺のヴァイオリンのための協奏曲を書いてくれないだろうか。もし可能ならウクライナ初演では指揮も振ってくれると嬉しい、とのこと。ソリストを務める予定のオレグ・クリサ氏が僕の作品を高く評価してくれているとの話も伝わってきた。

 光栄なことであるし、僕にとって初めての東欧である。夏の終わりくらいには書き終えられるかしら、あいさつ程度のロシア語でも許してくれるかしら、滞在中はどこを観光しようかしら、ごはんは美味しいかしら、お酒はやっぱり強いのかしら。そんなことを暢気に考えていた。そのとき耳に鳴り響いた嬉遊曲は、もう、今日の世界にふさわしくない。

 そういえば、奇遇にもスウェーデンではいろいろな人とロシアについての話をしたのだった。海に阻まれた我が国とは違い、北欧の人々にとってロシアは生々しく隣り合っている。真剣に警戒し、アラームは定期的にテストされ、「ryssarna kommer(ロシアが来た)」という表現が慣用句のようにもジョークのようにも使われる。ロシアは脅威であり、いつの日か、ここか、あるいはどこかで、何かがあってもおかしくないという価値観は、静かに、しかし広く、立場を超えて市井に共有されていた。もっとも、その「いつの日か」が正味一か月後に迫っていると想像するのは難しかったが。

 そのスウェーデンが国是を破りウクライナに武器供与をしたトピックについて、ゆえに、それほど僕は驚かなかった。このときの語らいがあったおかげかもしれない。

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 スターリンは狂人であった。結局、そのことはなんら驚くに値しない。気の狂った統治者はいくらでもいて、ロシアでもかなりの数にのぼり、イワン雷帝も、あるいはパーヴェル一世もそうであった。古代ローマのネロ皇帝もおそらく狂人であったろうし、イギリスでは、ジョージ何世かが、やはり気がふれていたと言われている。それだから、この事実そのものは驚くに値しない。(『ショスタコーヴィチの証言』)

 わざわざ僕が書くまでもないことだが、国連常任理事国でありながら安保理協議が行われている最中に宣戦布告した時点で、これは世界秩序に対する重大な挑戦であり、ウクライナ東部に住むロシア系住民の保護を名目としておきながら正規軍を用いて全面軍事作戦を決行した段階で侵略としか評価できない事象であって、ロシアを擁護できる要素など何一つとしてない。真珠湾の奇襲なく東京に焼夷弾を落とすようなものだ。2月24日以前のアメリカ、NATO、ウクライナの動きに、たとえ褒められたものではない例があるにしても、それらの対抗措置としてロシアの行動はまったく釣り合っていない。2月24日以降、お互いがどのようなプロパガンダ戦を繰り広げようとも、それらを考慮する必要など一切ない。

 ましてや、核のボタンを片手に世界を威嚇し、ジュネーブ条約に背いて原発を攻撃し、ショスタコーヴィチが交響曲にも描いたバビ・ヤールにあるホロコースト記念館を「ウクライナの非ナチ化」と言ったその口で爆撃している。開戦から一週間経った今日、戦況と同等あるいはそれ以上に、次から次へと開戦の名目もめまぐるしく変化している。支離滅裂である。プーチンの精神状態への懸念という報道もあった。もしくは「計算高く演出された狂気」ではないかと論ずる人もいた。しかし、本物の狂気と演出された狂気とに何の差があるだろうか。僕は兼好法師『徒然草』第八十五段の金言を思い出す。

 狂人の真似とて大路を走らば即ち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば悪人なり。驥を学ぶは驥の類、舜を学ぶは舜の徒なり。偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。(狂人を真似て大通りを走ったならば、それはもう狂人である。悪人を真似て人を殺したならば、それは悪人である。良い馬は名馬を真似て駿馬になり、聖人を真似る者は聖人に等しい。嘘でも賢人の道を真似るなら、もはや賢人と言って構わない。

 冷戦は間違いなく1989年12月に終わっていた。エリツィン時代には資本主義経済へと転換したのだからイデオロギーで争う理由もなくなっていた。冷戦の記憶がない世代にとって米ソの競争など過去の「物語」でしかなかった。が、ある種の人々は、冷戦という名の廃墟のなかに今なお生きていて、自らの宿怨を、新しい世代にとってはまったく新しい修羅の妄執を、死霊のように世界に残していく。未来人類のためにそれを断ち切ると決意した父母世代の知性と勇気を実弾でぶち抜いていく。なんという痛嘆すべき世界。だが、世界秩序の現状変更という誘惑は、ロシアのみならず、他ならぬ我が国の足元にも強く流れている。

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 2003年のイラク戦争が勃発した頃、反戦の意思をブログに書いた際、「音楽家は政治的な発言をするべきではないと思う」とメールをくれた先輩があった。その理屈なら、目の前で人が殺されていても黙って見ているのが音楽家としてもっとも中立だということになる。僕は腹が立ち、それきり疎遠になってしまったが、今ならどう反論するだろうか。

 どう反論するもなにも、貴重な歴史と文化を伝える数百という吟遊詩人が銃殺され、ホロドモールで数百万人が飢え死に、侵攻してきたナチスにはユダヤ人が虐殺されたその血の上で、ようやく自分たちの主権を手に入れたウクライナの人々が、いま、再びロシアによって殺されている。何を言えば良いのか。殺すな、しか言えないではないか。

 反戦を口にすれば子供でも老婆でも連行される専制主義国家と違って、我が国は自由である。自由なはずである。冷笑的に「日本で反戦と言っても意味がない」「ただの遊び」などと言い、賢しらに「どちらにも正義はある」などと言い、冗談でもスターリン時代のソ連の人々と同じく黙ってやり過ごすならば、我が国はそれとまったく等しくなる。プーチンの戦争を許すだけでなく、積極的に加担すらしている。ウクライナでの侵攻を許すならば、我々が同じことをされても文句は言えまい。いま自分が生きている場所で、たとえ嘘でも、「傷ついた人々のそばに立つ」と口にする意義は、有り余るほどあるのは自明である。

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 どのような形で可能なのか、いつになれば可能なのか、今はさっぱりわからないが、乗り掛かった舟である。相談された1月の頃とはまったく違う意図をもって、僕は必ずやウクライナに音楽を届けに行きたい。僕は僕に可能な形で連帯の意思を示したいと思う。航空代金であるとか、滞在費であるとか、作曲料であるとか、予定されていた収入はおそらくない。それでもやらなければならないと思っている。これをご覧の皆様で、もしこの趣旨に賛同してくれる方があれば、何かしらの形でお力を頂ければ幸いである。

2021年8月13日金曜日

新作紹介 24の前奏曲

夏休みの自由研究に、ピアノのための24の前奏曲を書きました。

課題としましては、(1)もちろん24調すべて使うこと。24調を廻る手段は半音でも5度でもなく、3度です。そのアイデア自体はリスト『超絶技巧練習曲』と似ていますけど、配置は異なります。内表紙にはコンセプトを説明するトンネッツ図を付しておきました。(2)全曲見開きに収めること。要するに2ページ以上の曲は書かないこと。(3)音域を限定すること。早い話、ヘ音記号を使わないこと。以上3点です。

10年ほどピアノのソロ作品からは遠ざかっていたのですが、某氏から「西澤さんにとって調性とは何かということを書いてほしい」というご意見があって、なるほどその手があったかと思い、アイデアが降りてきました。本当は「24の前奏曲とフーガ」を所望されたんですけど、フーガまで含めるとオペラどころじゃなくなっちゃうから、前奏曲だけでごめんね。

以下のサイトに公開しておりますので、よろしくお願いします。

Piascore https://store.piascore.com/scores/112148

Score Exchange https://www.scoreexchange.com/scores/557583.html

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僕がなるほどと思った「その手」について、少々補足を。

「調性とは何か」という問いは受け取りようによっては少々意味が限定されてしまうので、「どのように中心音を説明するか」という問いと言い換えましょう。音楽の歴史においては、様々な音程が「中心音を説明」するための道具として検討されてきました。声楽が中心の中世の頃は上下2度で説明していたものが、器楽が発達したルネサンスの頃からは上下5度になっていきます。下の5度=サブドミナントが「一種の発想の飛躍」であったとは、以前書いた通りです。これがいわゆる機能和声となって古典・ロマン派の基をつくり、今度は上下3度の扱いが検討されていきます

その古典・ロマン派において、「一種の発想の飛躍」の役割を果たした音程は、増5度。つまり増三和音でしょう。その扱いはモーツァルトからウェーベルンに至るまで共通した特徴が見出されます。が、終戦を境に状況が変わる。ポスト・ウェーベルン世代となると、とたんに3度の影響が薄くなっていく。代わりに扱われ始めたのは7度、そして増4度です(…となると、3度ではなく5度を扱ってそこに至ったバルトークの特殊性を思うのですが。)

ルネサンスからバロックが第3倍音に習熟する過程とすれば、バロックから古典・ロマン派は第5倍音に習熟する過程と言える。その次の世代として、第7倍音や第11倍音…つまり、7度や増4度が検討の対象になっていくのは自然な流れでしょうし、その文脈でスペクトル楽派のような試みも当然のことと理解できます。もっとも、古典・ロマン派の3度のように、7度もまた長短問わず検討されるべきでしょう。現代音楽はもちろんのこと、ポピュラー音楽の世界でも、いわゆるメジャーセブンスのコードのような形で生のままの7度が扱われ始めるのは同時代的な出来事と思います。

僕は野良の作曲家なので、どなたか、こういう論文を僕の代わりに書いてください。

以上、バッハが2度間隔の配置で5度を表現し、ショパンが5度間隔の配置で3度を表現したのなら、3度間隔の配置で7度を表現する曲集があっても良いじゃないか、というのが、僕の思った「その手」であります。

古き良き時代やら、19世紀的なものへの憧憬やら、僕は縁のない者であり。しかし同時に、戦後のあらゆる前衛技法も(若い頃は夢中になって聴きましたけど、しかしながら)僕にとっては19世紀以前の音楽と等しく過去の出来事で。付け加えれば、符丁化された「感動」など眼中にあるわけなく。ただ単に、素材を把握しやすい形にするという一点の目的のために、僕は作曲家としていわゆる「調性音楽」を扱うようになったのですが、今回の曲集は、そうした僕の立場をもっとも良く表したものになったかもしれない、と思っております。

全曲弾くと35分くらいです。ピアノ弾きの皆さんの挑戦をお待ちしております。

2021年8月9日月曜日

符丁となったスポーツ~東京五輪

 男子マラソンの表彰台に立つ金メダリスト、エリウド・キプチョゲの瞳をテレビの画面に見たとき、はじめて僕の仕事の手が止まった。僕はスポーツに興味がないから、彼の今までを知らない。どんな成績を残してきた人かも知らない。もちろん(この記事を書こうと思うまで)名前も知らなかった。が、これは深い思索を重ねてきた人の目だ、と直感的に思った。なにか宗教的な威厳をたたえた瞳のように感じ、そして静かに胸を打たれた。

 彼の眼は、東京オリンピック大会の開閉会式を通して唯一、僕が心動かされたものだった。そして以下の記事を読むに、僕の直感は間違っていなかったようである。

 キプチョゲは、たとえば「生きていくうえで、己に打ち勝てる者だけが自由になれる。もし自己抑制ができないなら、気分や情熱の奴隷になってしまう」とか「木を植えるのに最適な時は25年前だった。2番目に最適な時は今日だ」といったことを話すタイプだ。(Scott Cacciola)©2018 The New York Times/朝日新聞GLOBE+ 2018年11月5日付

 コロナ禍における大会の是非、膨大に膨れ上がった予算、開閉会式にまつわる組織委員会の様々な不祥事、それらのことはすでに多くの論が割かれている。今さら繰り返す気にもなれない。我が国がクリエイターの創作物に敬意を払わない国であることは、「文春砲」に教えられるまでもなく、生身で経験している。今さら驚きもしない。

 ともかく、ひとつの収穫が終わった。スポーツ界にとって「木を植えるのに最適」な「25年前」が始まるが、基礎研究にもカネを出し惜しみする我が国で、自国開催の五輪に向けて取り繕われてきた各種スポーツ競技への支援は、このまま継続しゆくものだろうか。相対的に下がるのが自然ではないかと思う。「感動をありがとう」と言ったその口で、今後は選手育成の予算に触れるわけだが、この昨今である。先行きは厳しいものとなるだろう。

 我が国において、スポーツは感動を意味する「符丁」となっている。そしてスポーツ選手には、他国選手を叩きのめして我が国の栄光を示し観客を感動させるという「符丁」としての振る舞いを社会に要求される。いや、直接の要求はないかもしれない。が、忖度しなければならないものとして、それはある。選手たちは「感動を与えたい」という言葉で「符丁」になることへの宣誓をする。自国開催なら猶更のことだ。ゆえに、少しでも「符丁」としての役割を外れるような行動をしようものなら…なでしこジャパンの片膝つき、大坂なおみのBLMへの支持、女性である場合は特に…容赦なくバッシングの対象にもなる。

 自分が好きだから、とか、ほしいから、とかいうのではなく、世間体と見栄だけで環境をつくる。生活自体が、おのれ自身の生きた現実を土台にしていないのです。この惰性的な、実質を抜いた約束ごと、符丁だけで安心している雰囲気は封建日本の絶望的な形式主義です。(『今日の芸術』岡本太郎・1954年/1999年 光文社文庫)

 イマジン、ボレロ、上を向いて歩こう、月の光。思うに、開閉会式の演出も、何から何まで「符丁」のつなぎ合わせである。岐阜のホテルの一室で海老蔵の『暫』を見たが、僕は「日本を代表する演劇」の「いちばんポピュラーな演目」を「日本を代表するジャズピアニスト」と「異種コラボ」する以上の意味をそこに見いだせなかった。成田屋の睨みには無病息災のご利益が、という人もいたが、それが目的ならば、式の終わり間際で、上原ひろみと併せるという演出にはなるまい。

 国歌を歌うMisiaも「多様性」の「符丁」、最終ランナーの大坂なおみも、糸井重里の言う通り「いろんな国の要素が混じってる」ことの「符丁」、そもそもこの大会が、「復興五輪」だの「コロナに打ち勝った証」だのと名目は変わったものの、つまり石原慎太郎の言っていたように、国威発揚の「符丁」そのものではなかったか。

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 体を動かすこと自体が好きではなかった僕も、人に勧められたこともあり、健康のためにピラティスをはじめた。おとなしそうな運動に見えて、およそ運動らしいことをしてこなかった僕にはなかなかハードである。が、呼吸に集中して体を観察しながら動かしていくとき、なんとなくではあるが、自分のなかに何かしらの空白が生まれるのを確かめることがある。それは、僕が作曲に集中しているとき、あれをしようこれをしようという意図をふっと離れて音符を埋めている時間と少し似ていて、楽しい。いかに今まで、忍耐や根性や優劣の競争といった学校教育の「体育」に毒されていたのかを発見する機会にもなっている。

 もちろん僕のささやかな運動と比べようというのではないが、己の身体そのものに向き合い続けて4年間を過ごす選手たちの想像はできる。その営みは、およそ芸術と同じく、行きつくところは無目的に違いない。下方限定進行音を保留させ装飾を施しつつ下に下げる、という作曲家の営みと、競技選手たちの腿の筋肉の上げ下ろしは、その無目的性において、それほど変わらないはずだ。

 なにか心に邪なものがあるとき、得てして、舞台の上では失敗するのを我々音楽家も経験として知っている。良い演奏をしたときは、30分を5分ぐらいに感じたりするものだ。自分がひとつの無となって音楽がひたすら通り過ぎていく。あれをしようこれをしようという意図がどこかにふっと消えるとき、音楽はもっとも抽象的になり、聴衆は逆に具体的なメッセージを汲み取る。それが音楽の感動というものだが、スポーツもまた、文化の名に値するものならば、そういう瞬間を味わうもののはずだ。ただ走りたい、ただ跳びたいという混じりけのない欲求がなければ、自分を高めていくことなどできまい。

 そうした純粋な欲求をそのままの形では理解できない人々が、苦労話の再現ドラマを添えて「感動」する。そうした「符丁」としての役割を、嬉々としてか渋々とかは人それぞれだと思うが、演じなければならないことの不幸を思う。が、そこで起きていることそのものはとても他人事とは思えない。我々音楽の世界だって、長らく、苦悩から歓喜に至るなどというデコレーションを施された「感動」によって消費され続けているのだから。

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 キプチョゲの瞳からしばらく目が離せなかったのは、何の「符丁」でもない人間を久しぶりに見たような気がしたからかもしれない。ただただ静かに思索を重ねる人の眼に、「気分や情熱の奴隷」となった我が国の狂騒は、果たしてどう映ったのだろうか。

2021年8月4日水曜日

【告知】オペラ『卍』管弦楽版初演 12月8日めぐろパーシモンホール



人を愛することの尊さと愚かしさ、

忠実であり続けることの厳しさと美しさ…

日本発・美しき 谷崎オペラ

2017年に初演され好評を博した室内オペラ「卍」がフル・オーケストラ版になって、2021年12月8日、帰ってきます。人と人との距離が社会的にも肉体的にも離されていくコロナ禍の時代にお届けする、「密」な人間の物語。三浦安浩による新演出です。このオペラの船出を見届けてくださった皆様も、今回が初めてという皆様も、装い新たに生まれ変わった「卍」の世界を、ぜひご覧ください。

チケットの販売は9月1日を予定しています。

「卍プロジェクト」ホームページ内に当公演の特設ページがあります。最新情報および作曲家の新垣隆氏から推薦文をいただきましたので、併せてお読みくだされば幸いです。

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西澤健一:オペラ「卍」 管弦楽版初演

2021年12月8日(水)18:30開演(17:30ロビー開場)

めぐろパーシモンホール 大ホール


指揮:西澤健一 

演出:三浦安浩


光子:新宮由理

園子:津山恵

孝太郎:横山慎吾

綿貫:岡元敦司


原作:谷崎潤一郎『卍(まんじ)』


助演:飯塚奈緒

美術:松生紘子

照明:矢口雅敏

衣裳コーディネート・ヘアメイク:濱野由美子

舞台監督:近藤元

演出助手:根岸幸


文化庁「ARTS for the future!」補助対象事業

主催:卍プロジェクト

後援:目黒区、芦屋市谷崎潤一郎記念館、一般社団法人北海道二期会、国立音楽大学東京同調会

2021年7月11日日曜日

新作紹介 ヴァイオリンとヴィオラの二重奏曲/蔦の門

二重奏にも様々な形態がありますが、管弦と鍵盤、高音と低音といった対比の利く編成と違って、ヴァイオリンとヴィオラの二重奏はどこか文楽人形の扱いを思わせます。ひとりが右腕を動かし、ひとりが左手を動かして、はじめてひとつのキャラクターが成立するような。旋律と伴奏といった単純な形式には依らず、ときには聴き手に胴体や足…架空の低音を想像させるということ。ある種の不自由さに縛られ、演奏者ももちろん大変でしょうが、作曲家にとっても難儀な編成です。そんなヴァイオリンとヴィオラの二本のみという渋いリサイタルシリーズを毎年企画している荒井章乃さんと三浦克之さんのために新作を書きました。


2021年7月15日(木)19:00開演(18:30開場)
横浜市鶴見区民文化センター サルビアホール
一般¥3,000 学生¥2,000 全席自由

ブルーニ/6つの協奏的二重奏曲第4巻より第3番
西澤健一/ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲(初演)
ヴィラ=ロボス/ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲
モーツァルト/ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲変ロ長調 Kv.424



 先日リハーサルにお邪魔しました。宣伝させられています。

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「おんな酒場放浪記」でもお馴染み、ハーモニカの寺澤ひろみさんがYouTubeで僕の作品『蔦の門』の演奏を公開しています。以下、寺澤さんのコメントから引用。

複音は特に、その不自由さ故に作曲家泣かせの楽器ではありますが、今回のこの作品は、西澤さんの素晴らしい感性で、複音の機能性に即した、且つ音楽性・物語性の高い、機能美とも言うべき楽曲になっています。

5年や10年も前に委嘱されていたら泣いたでしょうね。ですが、楽器や編成の「不自由さ」は作曲家にアイデアを授ける大切な友であると今の僕は心得ています。この作品は、重ねたハーモニカの面を、縦、横、ナナメに楽想が這っていくというイメージから『蔦の門』と名付けました。岡本かの子の小説から勝手に借用したタイトルで、それ以上の意識を(正直に言えば)持っていなかったものの、境界剪画の杵淵三朗さんによる舞台装飾の助けもあって、この作品はたしかに植物的な色合いを持っているのだと知りました。

ある意味、共通したテーマを持つ2つの作品。どちらもお楽しみいただければ幸いです。

2021年3月3日水曜日

寺澤ひろみ「アニヴェルゼル」、柴田高明マンドリンリサイタル ほか

 今後のいくつかの予定をご紹介します。

 3月20日「アニヴェルゼル~ハーモニカ・コンサート~」では、「おんな酒場放浪記」でもお馴染みのハーモニカ奏者、寺澤ひろみさんと共演します。この公演には『蔦の門 ハーモニカのための』『クロマチック・ハーモニカとピアノのための小ソナタ』という2つの新作を用意しました。とりわけ『蔦の門』…これは複音ハーモニカ独奏のための作品ですが…は、ちょっぴり誇張が許されるなら、複音ハーモニカという分野のために重要なレパートリーを提供できたと思います。先日、はじめてのリハーサルで、寺澤さんが熱を込めてこの作品を語ってくれたことで、僕も自信が持てました。近くて遠い楽器、ハーモニカの印象が刷新されると思います。

 4月17日「柴田高明マンドリン・リサイタル」には『4つの前奏曲』という新作を提供しました。これは、向こう3年間で計6人の作曲家に委嘱し、毎回古典とともにソロ作品のみでプログラミングするという、たいへん頭の下がる思いのする企画の一環。今回がその第一回目で、僕は露払い役を仰せつかりました。今回は田口和行氏による新作も発表されます。柴田さんとは2012年に『マンドリンと弦楽三重奏のためのコンチェルティーノ』を書いて以来、これが2作品目。僕の楽器の理解度も9年前よりいくらか上がったと思いますが、マンドリンの地位向上に挺身する柴田さんの熱意に応えるべく、頑張りました。

 4月30日「米津真浩・安嶋健太郎ピアノデュオ・リサイタル」では、2018年、仙台ピアノデュオの会のために書き下ろした『祝典ソナタ』が取り上げられます。まだまだ曲に恵まれていない2台ピアノという分野のレパートリーとなるよう願って書いた作品なので、早くも再演されることが素直に嬉しいです。アクの強い(と形容してすまぬ)実力者2人によってこの作品がどのように違う表情を見せるのか、僕も楽しみにしています。

 それから、3月8日「鈴木一成バスーン・リサイタル」…ここでこの演奏会に触れる理由は、まだちょっと大っぴらにはできませんが、ご来場くだされば、きっと分かります。

 それぞれの演奏会の詳細については、下記をご覧ください。

 このつらい現世を少しばかり忘れさせてくれる力が音楽には確かにあります。が、それには作家が現実の世界を呼吸していなければならない。どうして慰めの言葉を知らずして人を慰められましょうか。このような困難な時代においてもなお新作を書けること、旧作が再演されること。それはたいへん恵まれたことに違いありません。その幸福を、僕は僕なりの方法で社会に還元すべく、今後も精進していきたいと思います。

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アニヴェルセル~ハーモニカコンサート
  • 西澤健一/蔦の門 ハーモニカのための(初演)
  • 西澤健一/ハーモニカとピアノのための小ソナタ(初演)ほか
出演:寺澤ひろみ(ハーモニカ)西澤健一(ピアノ)
日時:2021年3月20日(土)15:00開演(14:30開場)
会場:タワーホール船堀 5階大ホール
料金:3,800円 要予約
お問い合わせ:タワーホール船堀 03-5676-2211


柴田高明マンドリンリサイタル〜無伴奏マンドリンの世界vol.1
(公財)青山音楽財団助成公演
《会場入場チケット》一般3000円 学生1500円(共に当日500円増)
4月17日(土)17:00開演 京都・バロックザールでの公演にご入場いただけます。
《動画視聴チケット》1500円

プログラム 
  •  西澤健一(1978-)  4つの前奏曲(新作初演)
  • ・田口和行(1982-) 蒼穹(新作初演)ほか
日時:2021年4月17日(土)17時開演
会場:青山音楽記念館(バロックザール)075-393-0011


米津真浩・安嶋健太郎ピアノデュオ・リサイタル
  • 西澤健一/祝典ソナタ ほか
出演:米津真浩、安嶋健太郎(ピアノ)
日時:2021年4月30日(金)19時開演
会場:ヤマハ銀座コンサートサロン
料金:一般4,000円 会員3,500円 学生3,000円 株式会社ヤマハミュージックリテイリング音楽教室在学生2,500円
お問い合わせ:ヤマハ銀座店 03-3572-3171(代表)


東京音楽コンクール入賞者リサイタル
Kazunari Suzuki Bassoon Recital
出演:鈴木一成(ファゴット)松山玲奈(ピアノ)
日時:2021年3月8日(月)19時開演
会場:東京文化会館小ホール
料金:一般3,500円 学生1,500円 東京文化会館友の会会員3,000円
チケットお申込み:東京文化会館チケットサービス03-5685-0650

2021年2月7日日曜日

『オーバード』の評 Das Orchesterに掲載

 ホフマイスター社から出版されたオーボエ・ダモーレ/ファゴット/イングリッシュ・ホルンのための『オーバード』の評が、ドイツの音楽誌『Das Orchester』に掲載されました。楽譜はオーボエ・ダモーレ版ファゴット版イングリッシュ・ホルン版それぞれ、日本ダブルリード株式会社のオンラインショップでお求めになれます。

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 恋人たちの夜明けの別れ、トルバドゥールの歌。演奏家としてここに留まりたい。流れるようなカンティレーネで、何度も繰り返され、常に軽やかに変化し、美しい響きに包まれ、暖かさと優雅さに満ちている。

 作曲家の西澤健一は1978年東京に生まれる。15歳でピアノを始め、同時に独学で作曲を始める。音楽大学には1年しか在学していない。2013年に初演された交響曲と2017年に初演されたオペラのほかに、主に室内楽、独奏曲、ピアノ伴奏の器楽曲が100曲以上あり、多くの作品で日本の作曲賞を受賞している。

 この『オーバード』はホフマイスター社から出版された。サン=サーンスのオーボエ・ソナタにインスピレーションを得て、最初はオーボエ・ダモーレとピアノのために作られた。更にファゴット、イングリッシュ・ホルンのために編曲され、それぞれ楽器に合わせて嬰ヘ長調、ヘ長調、ニ長調となっている。

 オーバード…朝のセレナーデ…は、作曲者が書いているように、初日の出の燃えるような赤と紫色の空を映している。西澤はこの曲を2018年のニューイヤー・コンサートのために作曲し、自らピアノパートを務めた。

 管のパートは心地よい中間音域を緩やかに漂い、大きなスラーのメロディが印象的なピアノの響きに見事に支えられ、驚くようなハーモニーのなかに注がれ、二つの楽器が互いに溶け合っていく。

 上質な紙を使用し、音符の表記は読みやすく、メロディパートが見開きに収まっているおかげで譜めくりが不要なため、演奏していると楽しさが増してくる。

 作曲者による序文で、彼自身のことをいろいろと知ることができることもありがたい。出版社のサイトではピアノスコアの1ページ目が見られる。

 難易度としては、出版社は中級/上級としているが、これは「ヴィルトゥオーゾではないが要求が多い」と書き換えることができるだろう。

 5分ぎりぎりの長さで、短い瞑想のような印象を与える。瞑想の形式の中で、この作品はダブルリード文学を演じている。コンサートのプログラムの中でメインに加える作品として、または静かなアンコール作品として、あるいは音楽以外の催しで演奏する作品としても大変適している。(評者=アネッタ・ヴィンカー)

2020年11月24日火曜日

大熊径ソプラノリサイタル/塗矢真弥ヴァイオリン・リサイタル/寺澤ひろみハーモニカコンサート/『ファゴット・ソナタ』出版

 今後の予定のいくつかをご案内します。

 「大熊径ソプラノリサイタル(12月1日)」では『自殺者たち(2014)』が演奏されます。芥川龍之介、太宰治、有島武郎、原民喜の遺書(本物)と、夏目漱石『こころ』より、先生がKの遺体を発見した場面からの抜粋をテキストとした全5曲の連作歌曲です。テーマがテーマだけにこんな曲を歌いたがる歌手もいないだろうと思っていましたが、いましたね、物好きが。今年はコロナ禍ということもありましたが、著名人の自殺報道に揺れた一年でもありました。いま一度「生きる」とはどういうことかを、この作品で考えたいと思います。

 「塗矢真弥ヴァイオリン・リサイタル(12月21日)」では『ヴァイオリンとギターのための演奏会用小ロンド(2010)』が演奏されます。委嘱者本人、初演者自身による同会場での10年ぶりの再演です。この10年間には本当にいろいろなことがありました。僕自身としても、社会としても。困難な時期にあってもなお音楽に携われる幸せを噛み締めながら、10年前の自分の音楽を聴いてみたいと思います。なお、この公演はプログラム・ノートも担当しております。こちらも合わせてお楽しみくだされば幸いです。

 「アニヴェルセル~ハーモニカコンサート(2021年3月20日)」では、「おんな酒場放浪記」でもおなじみの寺澤ひろみさんと共演します。この公演のために2曲の新作を用意しております。『蔦の門~ハーモニカのための』は複音ハーモニカ独奏、『ハーモニカとピアノのための小ソナタ』は、タイトル通り、クロマティック・ハーモニカとピアノのための作品です。他にもいろいろと楽しい曲を演奏する予定です。彼女と知り合い声をかけてもらうまでは考えもしなかった組み合わせ。どうなるのか、僕自身も楽しみです。

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大熊径ソプラノリサイタル ~命の輝きを歌う~
  • 中田喜直/”マチネ・ポエティク”による四つの歌曲
  • 西澤健一/自殺者たち ほか
出演:大熊径(ソプラノ)黒岩悠(ピアノ)西澤健一(解説)
日時:2020年12月1日(火)19:00開演(18:30開場)
会場:ヤマハ銀座コンサートサロン
料金:一般3,500円/会員3,000円/学生2,500円/株式会社ヤマハミュージックリテイリング音楽教室在籍生2,000円 定員47名 全席自由・要予約
お問い合わせ:ヤマハ銀座店 03-3572-3132

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塗矢真弥ヴァイオリン・リサイタル
  • 西澤健一/ヴァイオリンとギターのための演奏会用小ロンド
  • シューベルト(ディアベッリ編)/アルペジョーネ・ソナタ ほか
出演:塗矢真弥(ヴァイオリン)竹内永和(ギター)
日時:2020年12月21日(月)昼公演14:00開演(13:30開場)夜公演19:00開演(18:30開場)
会場:近江楽堂(東京オペラシティ3階)
料金:4,000円 昼夜各限定40席 全席自由 要予約
お問い合わせ:MN企画 048-278-2317

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アニヴェルセル~ハーモニカコンサート
  • 西澤健一/蔦の門 ハーモニカのための(初演)
  • 西澤健一/ハーモニカとピアノのための小ソナタ(初演)ほか
出演:寺澤ひろみ(ハーモニカ)西澤健一(ピアノ)
日時:2021年3月20日(土)15:00開演(14:30開場)
会場:タワーホール船堀 5階大ホール
料金:3,800円 要予約
お問い合わせ:タワーホール船堀 03-5676-2211

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 また、去年3月(日本では4月)、マティアス・ラッツ氏の初演でお披露目されたファゴット・ソナタがホフマイスター社より出版されました。家から出れない僕の代わりに空の旅を経てきた楽譜が余所行きの格好をして帰宅。羨ましい。というわけで、これをご覧のファゴット奏者の皆様、ファゴット奏者と共演する予定のピアニストの皆様、ファゴットとは縁がない皆様もこの際ついでに、どうぞお求めください。『オーボエ・ソナタ』『オーバード(オーボエ・ダモーレ版/イングリッシュ・ホルン版/ファゴット版)』も好評発売中です。