2025年8月10日日曜日

文学や芸術は何のためにあるのか~総理あいさつから

 「太き骨は先生ならむ そのそばに 小さきあたまの骨あつまれり」

 8月6日、ラジオ状態で広島市原爆死没者慰霊式の総理あいさつを聞いていた僕は、すぐには短歌だと気付きませんでした。歌をここで引用してくる人間なんてすでに絶滅していたものと思い込んでいましたから。しかし、総理が繰り返し「太き骨は」と読まれたところでようやく正田篠枝の歌だと理解して、言葉の意味が、背景が、情景が、無数の「小さきあたま」の苦しみが一気に体感されて、涙が出ました。20年前は過激な発言をするタカ派で心底軽蔑していた政治家に泣かされる日が来るとは思わなかった。日本語の世界に生きる者として当たり前の教養をきちんと身につけている総理でこの日を迎えて本当に良かったと思います。ソナタ形式のテーマに繰り返しがある意味もついでに頓悟しました。

 8月9日の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典の総理あいさつには、浦上天主堂の「二口揃ったアンジェラスの鐘」についての言及がありました。これは、今年5月にアメリカのカトリック団体から復元された小鐘が寄贈されたことを指しています。ベルプロジェクトを立ち上げた、マンハッタン計画に関わった祖父を持つ社会学者ノーラン教授の言に「連帯と愛の行為であり、和解と赦しを願う気持ち、そして長崎の人々が受けた苦難に対する私たちの悲しみを表すものです」と。民間発の平和・文化交流です。

 「ねがわくば、この浦上をして世界最後の原子野たらしめたまえ」

 そこから永井隆博士の『長崎の鐘』を引用する流れは、さすがわかってらっしゃると唸らされました。「市太郎さんが岩永君ら本尾の青年を指図して煉瓦の底から掘り出した鐘は、五十メートルの鐘塔から落ちたのにもかかわらず、ちっとも割れていなかった。」これは大鐘のほうで、去年までの79年間、この大鐘一口のみが鳴っていたわけですね。

 もうひとつ、「天を指す右手が原爆を示し、水平に伸ばした左手で平和を祈り、静かに閉じた瞼に犠牲者への追悼の想いが込められた、この平和祈念像」のくだり。像の裏に刻まれている北村西望の言葉をそのまま採ったわけですが、政府に芸術の解釈などされてはたまったもんじゃないので、これで良いです。が、大事なのは、否定的な意見も多かった一つの芸術作品を、政府が平和の象徴として認識し、共通理解として示したこと。共通理解の上でこそ、はじめて批判もできるようになるでしょう。この像について触れた総理あいさつは、僕は記憶にありません。

 行政としてすることは、広島と長崎とで大きな差があるわけではないので、行政としてのメッセージが似たり寄ったりになるのも仕方ない部分はあるんですが、だからといってコピペで済ませるこの10年の歴代総理の手抜きっぷりはいかがなものかと思っていました。今年は文化・芸術のコンテクストを取り入れ、広島と長崎が見事に色分けされました。こうしてはじめて、遠い昔の出来事としてお団子になった「ヒロシマ・ナガサキ」ではなく、人類初の「ヒロシマ」と、人類最後にしなければならない「ナガサキ」の2つがあるのだということが認識できるようになります。

 数値や指標だけでは2つの街の差異を人間は認識できない。そこに生きる人間の丸のままの表現の表出が必要なのです。文学や芸術はどうしてなければいけないのか、それはどのように人間の生活の役に立つのか、という問いに対する、ひとつの答えがここにあります。

 わが国の極右は80年談話の有無について上を下への大騒ぎになっていますが、石破総理は、すでにたいへんな仕事をされたのではないかしら。これから総理になる人は大変ですよ。あいさつの一つの基準ができてしまいましたから、一通りの文学作品に目を通し、芸術に触れ、詩歌の作法について心得ていなければならない。軽佻浮薄な潮流に対する保守政治家の復讐ですらあるかもしれないと思うのは、考えすぎですかね。

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 補遺。この戦後80年の8月を、反戦の誓いと追悼の一月とするために、以前書いた原民喜による歌曲集「心願の国」を改めてシェアさせてください。「滅んだふるさとの街の花祭が僕の眼に見えてくる」…僕は音楽の都合上「眼に浮かぶ」と改変しましたが、きっと許してくださるでしょう。英語字幕と、なぜかスウェーデン語字幕もあります。