新日本フィルハーモニー採用情報について一言。
自分の住まう業界を「衰退産業」だの「斜陽産業」だのと形容することについて、僕は何とも思いません。それはそれでひとつの正しい現状認識です。僕は「イノベーションを起こすには正しい現状認識が必要だ」といった文脈で言ってもいません。我々が夕張最後の炭鉱夫で一体何が悪いんでしょうか。むしろ誇っても良いじゃないですか。
仮にクラシック音楽が終わっても、人類数千年の歴史のなかのたった250年程度の流行が終わるに過ぎず、人間が生きていく以上は、どんな形式になるにせよ、音楽もまた必ず続いていきます。何を悲しむ必要がありましょうか。だいたい、クラシック音楽だけでなく、どうせ46億年後には太陽に飲み込まれて地球も消えて無くなりますから、心配いりません。
しかし、僕が申し上げたいのは、2日経過した時点で43万ビューがあった件のポストに、いったいいくつのクラシック音楽家/愛好者以外のリプライがあるのか、という点です。9月5日20時現在、リポスト428、いいね394。これはフィルターバブルの外側に影響を及ぼせていると言える数字でしょうか。「自由な発想で何でもできる」貴重な人材を、クラシック音楽の枠を超越したところからリクルートできる数字でしょうか。
結局のところ、クラシック音楽の外側の人間に届いている気配がない。バズを狙ったのにコケている、おもろない、炎上にも至っていない、ということが何より恥ずかしく、運営にもっとも猛省を促したいところです。多くの人の反発も、衰退うんぬんよりむしろ「安易にバズを狙いに行った」「ネット文化におもねりに行った」点に集約されると思います。昔の人の格言「半年ROMれ」を謹んで思い出しましょう。
内容についてもう一つ申し上げるならば、「長い」「難しい」「堅苦しい」を「三重苦」と表現されている点について。運営の意図する「自由な発想」とは、結局のところ、これらの反対の意味の言葉を挙げてみれば、透かし見ることができます。すなわち、「短い」「易しい」「親しみやすい」といった言葉です。
さて、「短い」「易しい」「親しみやすい」クラシック音楽があったとして、それが広く初心者層にも受け入れられるものとして、なぜ今、その音楽は広く聴かれていないのか。そんなウケる曲があったとして、オケの客席は埋まっていないのか。ここを考えれば、おのずと答えが出るはずです。だいたいクラシック音楽の枠内の人間が考える「易しい」「親しみやすい」そのものが、世間から乖離している認識を持った方が良い。
クラシック音楽の内側の人間が定義する「親しみやすさ」なんて、外の人間にはちっとも親しみやすくありません。でも、「こいつらには易しい曲でも聞かせておけ」という上から目線だけは、どんなにクラシックを知らない聴衆にも必ず伝わります。すなわち、この発想こそ正真正銘の衰退への道に他ならず、ならば我々は、「ブルックナーを80分浴びると7つのチャクラが浄化される」などという如何わしい商売をしたほうが、よほどカネになるというものです。
いいや、それでもやっぱり親しみやすい曲は必要だ。お客さんを呼ぶためにゲーム音楽をやろう。ドラクエ、FF、クロノクロス。それらを演奏して、ゲームのファンを呼ぶ。たしかに一時の糊口は凌げるかもしれない。けれど、その人たちがクラシック音楽のファンになることはありません。のだめは我々をのだめファンにはできたけど、我々はのだめファンをクラシック音楽ファンにはできなかった。
僕が11年前の2014年に何を書いたか、思い出せる人は思い出して頂きたいんですが、だからこそ僕は、今でも、「ゲーム音楽作家」という格で「交響曲」という名の商品を「売った」あの人のことを評価しています。「越境」ということです。この20年、そうとう下品な飛び道具を使わなければ越境できないという実例を示した点においても、僕はあの人のことを評価しています。僕は怒ってないですよ、ゴーチさん。
先の20年間よりいっそう強固なフィルターバブルがある現在の社会で、どのように「越境」していくか。それこそ我々の業界の先達には、その例を残した人がいるんじゃないですか。自分たちが関わっている音楽の歴史を謙虚に学ぶしかないんじゃないですか。少なくとも言えるのは、一時一瞬の「バズ」といったものでは不可能なんです。それは必ず収束しますから。収束しない影響力を保つためには、どんなに小さく地味に見えても、自分の足で拡げていくしかない。そのためには、「ネットでウケるコンテンツ」「消費されるコンテンツ」への誘惑を、きっぱりと断つところから始めなければなりません。
追伸。バズを狙いたかったなら、せめてこうした下品なフォントで書いて欲しかった。