大熊径ソプラノリサイタル ~命の輝きを歌う~
- 中田喜直/”マチネ・ポエティク”による四つの歌曲
- 西澤健一/自殺者たち ほか
- 西澤健一/ヴァイオリンとギターのための演奏会用小ロンド
- シューベルト(ディアベッリ編)/アルペジョーネ・ソナタ ほか
- 西澤健一/蔦の門 ハーモニカのための(初演)
- 西澤健一/ハーモニカとピアノのための小ソナタ(初演)ほか
◇2020年10月23日(金)
17時00分開場 17時30分開演
(※開演時間にご注意ください)
全席自由・入場無料(限定80席・完全予約制)
豊洲シビックセンターホール
(東京メトロ有楽町線豊洲駅下車7番出口徒歩1分)
◆出演
西澤健一(作曲・ピアノ)
新宮由理(メゾ・ソプラノ)
荒井章乃(ヴァイオリン)
◆プログラム・ノート(楽曲解説部分のみ有料¥500)
新型コロナウイルス感染症の拡大が懸念され、文化イベントの自粛要請が発出された二月末以降、私たちはまだ、自由に音楽を楽しめる環境にはありません。そもそも、決して油断ならない状況が続く現在において、演奏会を催すのは正しいことなのか、非常に迷いました。が、その渦中にあるからこそあえてやらねばならぬこと。それは、私たちの「ことば」を思い出すことではないか、と思いました。私たちは日々新しい語彙に翻弄され、脅かされています。ゆえに、いま一度、私たちが根底に持つ「ことば」を呼び起こすべきではないかと思いました。
今回は「日本語の季節」と題し、私たちが幼い頃に親しんだ童謡(『童謡物語「かくれんぼ」』)唱歌(『唱歌伴奏集』)の編曲集と、春夏秋冬が題材に選ばれた中原中也の詩を四編選び付曲した歌曲集(『中原中也の詩による4つの歌曲』)および、原民喜最後の小説を基にした歌曲集(『心願の国』)を、またその間奏曲として、ヴァイオリン作品二題(『4つの小さなメロディ』、『無伴奏ヴァイオリンのための小ソナタ』)をお届けします。
私にとっては「新しい生活様式」下での新しい試みです。不慣れな点も見受けられるかとは存じますが、なにとぞよろしくお付き合いくださいますよう、お願い申し上げます。
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◇チラシ裏面の誓約書を受付に必ずご提出ください。◇お客様どうしの会話はお控えください。入場時の手指消毒、ホール内でのマスク着用にご協力ください。◇終演後の出演者との面会はできません。プレゼント等も辞退申し上げます。◇当日の受付業務を簡略化しております関係でプログラム等は配布しておりません。◇動画配信用の撮影が入りますので予めご了承ください。◇ご協力いただけない場合には入場をお断りすることがあります。
◆プログラム
童謡物語「かくれんぼ」
・かくれんぼ ・あんたがたどこさ ・通りゃんせ
・ずいずいずっころばし ・ないしょ話 ・揺籃のうた
4つの小さなメロディ
中原中也の詩による4つの歌曲
・春の日の歌 ・いちじくの葉 ・秋の日 ・冷たい夜
心願の国(初演)
無伴奏ヴァイオリンのための小ソナタ
唱歌伴奏集
・朧月夜 ・われは海の子 ・虫のこえ ・冬景色 ・ふるさと
【予約】
感染症対策のため、チラシ裏面の誓約書を切り取るかコピーし、回答の上、(チラシがお手元に無い場合には以下部分を印刷、回答の上)当日受付に必ずご提出ください。お手数をかけますが、円滑な会の進行のため、皆様のご協力をよろしくお願い申し上げます。
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誓約書
私は2020年10月23日現在、以下の状況であることに相違ありません。
上記事項のうち、1箇所でも回答欄左側に○がつく場合には、参加を控える必要性があることを理解しました。
住所
電話・メール
自筆署名
辛よ さようなら金よ さようなら君らは雨の降る品川駅から乗車する李よ さようならも一人の李よ さようなら君らは君らの父母の国にかえる(『雨の降る品川駅』中野重治)
「生きながら死して、静かに来迎を待つべし」と云々。万事にいろはず、一切を捨離して、孤独独一なるを、死するとはいふなり。生ぜしもひとりなり、死するも独りなり。されば人と共に住するも独りなり、そひはつべき人なき故なり。(一遍上人語録)
どうです父さん。少しは良いですか。…まったく強情っぱりで。父さん、少しは颯子を頼れば良いんですよ。僕たち腹を割って話すことのなかった親子じゃないですか。でも、案外、僕は父さんのことを分かってるつもりなんですよ。颯子のことだって分かってます。だから離婚もしないんです。とにかく、颯子にも良く言っておきますから。父さんも颯子のこと気に入ってるんでしょう? なんでもいいから颯子を使ってください。なんでもさせます。妙な方向かもしれないけど、これは一応、親孝行なんですよ。…それじゃあ、おやすみなさい。
――この語を説きたもう時、会の中に比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の五千人等ありて、即ち座より起ちて仏を礼して退けり。所以は如何。この輩は罪の根深重、及び増上慢にして、未だ得ざるを得たと謂い、未だ証せざるを証せりと謂えり。(法華経)
――私には名刺もない、と西村は思った。不良少年の仲間では、自分の情人を持たないことは、その男の劣性を意味する。成年に達して名刺を持たない迂闊さは、おそらく、その人間の決定的な貧困を意味するのだろう。(『憂鬱なる党派』高橋和巳)
— 岡崎体育 (@okazaki_taiiku) April 6, 2020
アベノミクス星野源への矢、左右上下の言論人大半が、未だ問題の本質を判っておられない気がする(判っている方々には失礼)。安倍晋三はどうすれば良かったのか? 下手でも歌うか踊るかだ。そういう宰相なら舞台人に無収入を強いるような真似は出来ない。さもなくば参加資格無しと自覚すべきなんだ。— 津原泰水=やすみ (@tsuharayasumi) April 12, 2020
不思議なことに「基本再生産数が2.5として、医療機関や性風俗のことを考えると、80%減でないと2週間で減らない」というシミュレーションの資料を作っていたのですが、私の知らないところで諮問委員会の資料の数値が書き換えられていたのです。
今般の新型コロナウイルス感染症の影響により、全国的な文化イベント等について中止、延期等の検討をお願いして1か月余りが経過しています。感染拡大防止の観点から、関係者の皆様の多大なご協力により、多くのイベントの開催を見送っていただいており、皆様の御対応に心から敬意を表し、また感謝申し上げます。
一方で、イベントの中止、延期により、活動の場を失い、辛い思いをされている方も多くいらっしゃると思います。日々、鍛錬を重ね、入念な準備をしてきたものを中止するというのは、いかほどの苦渋の選択であったのか、はかり知れません。また、生活にも大きな影響が出て、文化芸術活動をあきらめざるを得ない方も多数いらっしゃるということも伺っております。
芸術家としても生きてきた私の人生を振り返っても、過去に幾度となく、災害などで文化芸術活動の継続が困難となる事態に遭遇しました。一方で、困難に直面した人々に安らぎと勇気を与え、明日への希望を与えてくれたのもまた、文化芸術活動でした。この困難な時こそ、日本が活力を取り戻すために、文化芸術が必要だと信じています。
日本の文化芸術の灯を消してはなりません。
この困難を乗り越え、ウイルスに打ち勝つために、文化庁長官として、私が先頭に立って、これまで以上に文化芸術への支援を行っていきたいと考えています。
明けない夜はありません! 今こそ私たちの文化の力を信じ、共に前に進みましょう。
私は日ごろから作曲家の有名無名や肩書きやプロフィールにかかわらず、自分の心の琴線に触れるかどうかを基準にさまざまな作品を紹介してきました。(婦人公論.jp 2020年2月4日 )
私は、自分ははじめから彼の難聴に関してはまったく興味がないことを述べ(後略)(婦人公論.jp 2020年2月4日 )
その虚像と作品を結びつけて群がってきた多くのメディアにも問題があったことは確かでしょう。私には何の悔いもありませんが、この事件に巻き込まれたことは残念なことでした。(婦人公論.jp 2020年2月4日 ※下線は筆者)
東京初演となったコンサートは先に述べたように長年の定期演奏会として開催している東京芸術劇場シリーズのなかのコンサートです。お客様は基本的に定期会員として普段から私たちのコンサートに通ってくださっている方々でした。このときの演奏直後のお客様の熱狂的な拍手は今思い返しても作品と演奏に対する率直な反応だったと思っています。なぜならばこの時点では作曲者に対する情報はほとんどなく、当日の曲目解説も作曲家紹介も作曲家が難聴であることを殊更強調することもないごく普通の控え目なものだったからです。(婦人公論.jp 2020年2月4日 ※下線は筆者)
◆4月に東京交響楽団が、佐村河内守氏の交響曲第1番を披露
◎佐村河内氏の交響曲第1番は、広島の原爆をテーマにした祈りの音楽
(前略)佐村河内氏は、被爆二世として広島に生まれ、20代で聴覚異常を発病。35歳の時に、すべての聴覚を失うが、自身の絶対音感を頼りに、その後も作曲を続ける。全聾後には、ゲームソフト「鬼武者」の音楽を手がけるなど、現代音楽だけでなく、ゲーム音楽、映画音楽、テレビ番組のテーマ曲など、幅広い分野で活躍している。重度の神経障害や頭鳴症、耳鳴り発作など、止むことのない肉体的かつ精神的な苦痛と闘いながら、同じように苦しんでいる人々に向けて、日々音楽を紡ぎだしているという。(後略)(Stereo Sound ONLINE 2010年2月23日 ※下線は筆者)
日本のクラシック音楽の聴衆の間に、極端なオタク的感性を持つ人が増えてしまいました。自分の好き嫌いがはっきりしていて、嫌いなものは認めない。排他的な感性を持つ人を増やしてしまったといえるでしょう。(『日本のクラシックは「オタク」に殺されつつある』PRESIDENT Online 2020年01月29日)
ちょうど沖縄にいたときに、「週刊文春」の記者から電話が入り、「来週こういう記事を出すのでコメントをいただきたい」と言われました。私が「おやめになったほうがいいのでは。そんな記事を出して誰が幸せになるんですか」と答えると、「ゴーストライターに書かせたのは問題でしょう」と言う。「そんな作品は山のようにあります。オペラなんか1人では書けませんから。こんなことを大事件だと騒いでいたら、他の分野も含め収拾がつかなくなりますよ」と言うと、記者は「分かりました。大友さんのコメントは出しません」と言って電話を切りました。(『話の肖像画 指揮者・大友直人(60)(8)ネット上で中傷された』産経新聞2019.2.14)
電気楽器の発明者のほとんどが、初期の自動車デザイナーが馬車を真似たように、十八、十九世紀の楽器を真似ようとした。テレミンが新たな可能性をもたらしたときテレミン奏者がやったのは、甘ったるいヴィブラートをかけて過去の名曲を無理やり弾くことだった。我々は新たな音の体験から遮られたのだ(ジョン・ケージ)
つまり、我々は「作曲できるAI」を作る前に、「どのような条件設定をすれば『面白い音楽が作れるAI』を作れるか」ということを人間自身が学習する必要があるということでしょうか。((c)やれやれ氏)