だいぶ前だが、最後の琵琶法師という人の演奏する映像を見たことがある。
肥後琵琶の、盲目の老人で、本当にそれでなければ生きていけなかった人だ。おそらくは彼の家の、緑がかった昭和色の冷蔵庫の前で、こたつに座り、調弦など無いに等しいぶよぶよとした響きに乗せて唸っていた。ひどく格好良かった。社会保障の整った現代社会の方が盲人にとって暮らし良いに決まっているが、彼らの音楽は世界から失われ、代わりに夢を追う若者がそこに座る今日だ。
それからしばらくして、ウードで弾き語りをするバーレーンの民謡を聴いた折、それが肥後琵琶の老人の謡と非常に似た印象を受けるものだったので、驚いたことがある。
アラビア語「ウード」とペルシャ語「バルバット」は同じ楽器を指す。似たような文字を使う両者だけれども、一方はセム語、一方は印欧語なので、丸切り違う言語だ。「ウード」に定冠詞アルをつければ「アル・ウード」。ただし会話中では(フランス語のリエゾンの要領で)「ア」が落ちるので「ルード」となる。これがジブラルタル海峡を渡りリュートになったようである。一方の「バルバット」は東に向かい、琵琶に。北に向かってヴィオラになる。ペルシャ語には定冠詞が無い。